十五日目

 月も変わり、まだ暑さは抜けないが過ごしやすい季節になってきた。てんたかうまゆる秋とはいうものの、ここ最近はあいにくの雨模様だった。

 今日は美桜みおの転園後最初の面談だ。本当は明奈あきなも同伴する予定だったのだが今日どうしても外せない急な仕事が飛び込んできて会社がてんてこ舞いしているとのことで、俺一人で先生の話を聞かなければならない。まあ、前にも経験しているので大丈夫だろう。俺は少しぐずついている玲央れおを膝の上で大人しくさせ、担任の先生がくるのを待った。


「済みません、お待たせしました~」


 快活な、それでいて忙しいのがうかがえる声で、担任の服部はっとり先生が書類を抱えて入室してくる。一通りの挨拶を終えた俺たちは、早速本題に入ることとなった。何か明奈に伝えるべき重要な話が出た時のために、俺はメモを取り出した。

 担任の先生からは、美桜が活発で明るい子だと報告を受けた。他の園児たちとも溶け込めてお話ができているとのことなので、仲間外れにされたりといった心配はとりあえずないなと、俺は胸をでおろす。

 しかし、その後に続いた先生の話に、俺は少し眉をひそめることとなった。


「……時々姿が見当たらなくなる……?」

「ええと、今はきちんと彼女の行動を把握して対応はできていますから問題はございません。ただ――」


 その時、先生が一瞬だけ声を詰まらせたような気がした。それは一瞬でかき消され、先生は話を続けた。

 時々幼稚園の裏手側に一人でいることがあるらしい。その時わざわざ暗くて狭いスペースでひとり言を話している様子を何回か見かけたのだと。先生が声をかけると一瞬だけ驚いたように反応したあと、笑顔で話してくるのだそうだ。


「危ないからあまりそこには近づかないようにと言って、返事は貰えるのですけど……何回か同じことを繰り返していまして。少しだけ気になってはいるんです」

「実は家でも引っ越してきてからよく押入れで猫と遊ぶようになりまして……あまりそういうことをしないようにと注意はしているんですが」

「お父さん、美桜ちゃんへの注意はなさらないほうが良いかもしれません。といいますのも、美桜ちゃんが一人で園の裏側にいる時って、もしかすると自分の心を落ち着かせているのかもしれないんです。美桜ちゃんの姿が見えなくなると、決まって裏手の狭いスペースにいるのがパターンになってきているんですよ。むしろ――」


 誰にも言えないような不安やさびしさといった負の感情を持て余しているのではないか。人にぶつけて発散することもできずに、一種の逃避行動を取っているのではないか。先生の説明を聞くにつけて、色々と思い当たる節があると俺は思い知らされた。表面上は明るく振る舞い、とてもそんな様子には見えなかったのだが、もしかすると子供なりに気を使って自分の内側に溜め込んでしまっているのかもしれない。

 俺はもう少し美桜とのスキンシップを密にしようと心に決め、あとは特に問題がないという先生の話を受けて、面談は終了した。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 明奈が仕事から帰った後、いつものように食卓を囲み、二人を風呂に入れて寝かしつける。その後に訪れる、つかの間の夫婦の時間、俺は今日幼稚園で聞いた話を明奈にも伝えた。


「なあ、明奈から見て美桜ってさ、ストレスとかそういうの抱えてるように見えるか?」


 その問いに唸りながら首をかしげて思案する明奈。俺のほうは色々と思い当たる節があるが、彼女はそうでもないのかな。


「何やろ、もうちょっとご近所の子供たちと遊びに行ってもいいんやないかなとは思うけど。あの子、前の幼稚園でもちょっと人付き合いが得意やなかったっぽいからさ」

「そういえば引っ越す前もあんまり家に遊びにきた子はいなかったなあ……でも何か幼稚園で周りの子と仲良くやっているような話だったよ」

「それなら心配ないんやないかなあ。いずれにしてもそこらへんはさ、もう少し慣れてきたら自然に解決することやと思うし、私はそんな心配はしとらんよ」


 美桜の話題に一区切りがついたと判断した明奈が晩酌ばんしゃくに飲んでいた水割りのグラスを静かに置いて話題を変えようとしたとき、どこかでバイクかスクーターが甲高い音をあげて道を走るけたたましい音が虚空こくうに鳴り響いた。


「ああもう、ここらへんて暴走族とかおるんやねえ。音がやかましいん何とかならんかな」

「スクーターとか軽とか改造して乗り回してるのは見かけたなあ……美桜が事故にわなきゃいいんだけど……本当に危ないよね、珍走団ちんそうだん

珍走団ちんそうだん! 何か小馬鹿にしてる感じが出ててええやん。私も今度からそう呼ぼっと」


 クスクスと笑いながらグラスをカラカラと鳴らし、気分を落ち着けて当初予定していた話を始める明奈の言葉に、俺はほんのり紅がさした耳を傾けた。


「そういえばこないださ、土田さんが石碑の面倒見とったやんか? その時にな、私も一緒にお参りさせてもろてんけどね……何か聞いたことのない念仏ねんぶつみたいなのとなえとったよ」

念仏ねんぶつ? 氏神うじがみ様をまつってるんだったら祝詞のりととかそっちのほうじゃないの?」

「あー、そっちのほうかもしれんねえ。でも何いうてるのかちっとも分からんかった」

「作法とかあるんだったら、いずれ俺たちにも教えてもらえるんだろうか?」

「どうやろ。土田つちださんに聞いてみるのが一番やない?」

「まあ、落ち着いたら聞いてみるか」

「あ、あとね、石碑の周りにぶわーって茂ってた緑あるやん。あれ、石楠花シャクナゲやったよ」

「へえ、そうなのか。確かにきれいだもんなあ」

「ね。育てやすいし、来年の春になったらきっときれいに咲くと思うよ。ただ毒持ちやからさ、気をつけないとね。特に美桜と猫ちゃん」

「へえ、毒があるのか、怖いね。ちゃんと美桜にも言い聞かせておかなきゃな」


 ああ、いいなあ。こういう生活。便利だけど時間とお金だけに追われてた都会の生活より、少しだけのんびりとしたこっちの生活のほうが、俺には合っているのかもしれない。


「……ねえ、ちょっと相談があんねんけどさ。聞いてくれる?」


 話題が途切れ、俺たちの間に少しだけ沈黙が訪れたが、明奈が穏やかな口調で、しかし何か意を決したように語りかけてきた。


「ん? どうしたの改まって」

「あんな、もう美桜も五歳やし、玲央も四つになったやんか? こうして家も買うたんやし、進ちゃんも在宅勤務になったし、そろそろ、三人目のこと考えたいなって」

「……そうだねえ」


 相槌あいづちを打っておきながら、内心少し驚いた。明奈は〝三人目〟にあまり積極的でなかったと思っていたのだが、家を持ったことで何か心境の変化が現れたのだろうか。特に美桜と玲央は年子で、俺が若気の至りというか何も物事を知らなかったこともあって、明奈の体にかなりの負担をいて玲央を産んで貰った負い目もあり、俺個人は三人目を欲しいと思っていたもののそれを言い出せずにいたのだが、まさか明奈のほうからその話を出してくるとは――


「年齢も年齢だからね、もし作るとしたら、なるべく早めのほうがいいんだろうけど。ただ、明奈は本当にそれでいいのかい。もう少し落ち着いてからでも――」

「うん、その年齢がやっぱり私は気になるんよ。体も丈夫な方やないしさ、元気でいるうちに作っておきたいなって思ってん」

「――そっか。明奈がそう望むなら、俺としてはありがたい話だよ」


 近い内に心も含めて準備しないといけないな、俺はそう思ったが、明奈は俺にそんな時間を与えてくれなかった。


「じゃあ早速なんやけど、今晩……ね?」

「……うん、分かった」


 俺は彼女の性急にも見えたその行動力に少し面食らったものの、その気になっている伴侶はんりょの誘いを断るのも何だか違う気がしたので、彼女の言葉に応じておもむろに立ち上がった。

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