十四日後

 日下くさかは今日も喫煙ブースで秋空をめつけながら、煙草たばこを吸っていた。その目線の奥には、深い懊悩おうのうが隠されている。先々週発生した単独事故の件でどうしても振り払えない疑問や謎が彼の頭の中に巣食っていて、最近はめっきり口数も少なくなり、周囲の人間は彼の身を案じる始末であったが、元々人付き合いが上手でもない彼はそんなことなど知るよしもなく、興味もまるで持っていなかった。


「日下さん、今日もご機嫌斜めみたいですねえ……例の件、ですよね?」

白金しろがね――俺はもう、何が何だか分からんようになってもうた」

「どうしたんです、らしくない。自分でよければお付き合いしますよ」


 そこへ休憩にやってきた白金から声をかけられる日下だが、視線を合わせることもなくただ空中を見据みすえ、煙と弱音をゆっくりと吐き出した。


「いっそ酒でもあおって全部ぶちまけたい気分やけれども……」

「それやったら個室居酒屋でも行きましょか? 自分、いい所知ってるんですよ」

「個室っつったって、壁に耳あり何とやらやで」

「そこは心配要りませんよ。何度かつこてますけど、ほんまに周りの音何も聞こえんのです」

「ふむ……まあ、それやったら誘われてみるか」


 日下は渋面じゅうめんを崩さず煙草たばこをもみ消し、背中越しに手を振ってブースを後にした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――んじゃあ、お疲れさまです!」

「ああ、お疲れさん」


 日が落ち、少しだけ空気から熱気が失せていく。家路を急ぐ者や入る店を物色する者であふれ返る繁華街のとある一角。その裏通りにひっそりとのれんを出している居酒屋の一室で日下と白金は冷えたビールをかかげてグラスを鳴らした。

 突き出しとして供されたさばの南蛮漬けを一口つまんだ日下が、味付けの絶妙さ繊細さに目を丸くして軽くうなずく。その様子を見た白金が破顔はがんした。


「いや、よかったですわ。お口におうたようで何よりです」

「俺は濃いのが苦手やからのう。まあ俺のことは気にせんと、ゆっくり食べえ」

「この店は天ぷらや揚げ物全般がむっちゃくちゃ美味しいんですよ。おすすめを適当に頼んでおきますんで。あ、日下さんて食べられんもんとかあります?」

「しやから気にせんでええて。特に食べられんもんもないから」


 それからも、白金がおすすめと称して頼んだ品々は、どれも日下の舌に合っていた。日下は程よく酔いが回り、最近溜まりっぱなしだった鬱憤うっぷんから少し解放されつつあった。


「――ほんで日下さん、昼間だいぶ落ち込んどったようですけど、何ぞありましたん?」

「……ん。そらあ、色々あったわ。むしろありすぎて、もう訳分からん」

「あの事故って結局全部もう片付いたんですよね?」

「ああ。血痕けっこんについては解決せんかったが、事故としては、な。しやけど……」


 日下は良く冷えた升酒をちびりと口にしながら、揚げ茄子の味噌田楽を頬張り、じっくりと味わうように噛み締めて、そのまま言葉を続けた。


「どうもその後の状況が異質すぎてのう。ホンマにこれはお坊さんか神主かんぬしが必要な案件か……そう思い始めとるところよ」

「日下さんがそこまでいうんはよっぽどですやんな。もしよかったら、その後の状況とやらを自分にも聞かせてくれますか」

「ええよ。そのために酒に付き合うてもろてんねんから」

「まぁ、それ抜きでもいっぺんここの飯は紹介したかったんですけどもね」

「……気いつこてもろて悪いのう。んで、早速やけどこの間話した内容の後で分かったことを教えたるわ。先に言うとくが当然他言無用やで」

「そこは職業病ちゅうんですかね、割りとうても割れませんよ」

「――ふん。んじゃ最初に……あの事故で死亡した運転手……もう名前ぼかす必要もないな、名は上牧かんまき隆偉りゅうい、年齢は二十一。いわゆるマルソウ崩れの悪ガキやな」

「ふむ……ということは、やはり無謀運転ですかね」


 和風エビマヨをつまんでいた彼のはしが止まり、その視線が少し厳しくなる。日下は軽く数回うなずきながら、話を繋いだ。


「せや、そこまでならどこにでも転がっとる話なんやけどな。どうもちいとばかし、ややこい話になっとるようや」

「ややこい言うのは、どういった?」

「――先週、上牧と同じチームでいつもつるんどった女が一人、自宅でガス爆発事故にうて亡くなっとる。ちょうど俺がお前に上牧の話した日あったやろ。あの日や」


 部屋の空気が一瞬で重苦しく淀んだ。日下の指に挟まっている煙草たばこの煙がふわりと揺れた。白金は息苦しさから逃れようとネクタイを緩めたが、日下の話はそこで終わらない。


「……これは俺が仕入れたネタやねんけどのう、その女の事故の現場状況いうんがな……また〝ココが〟食い散らかされたようにボロボロやった、ちゅう話や」

「な――」


 首筋をポンポンと叩きながら重苦しい内容を重苦しく告げる日下に、二の句も告げず驚きを隠せない白金。空気が凍りつき、酒はぬるくなる。

 普通に考えれば飯時にするような内容ではない。一般人なら空気を読まないサイコパスとのそしりを受けても当然の話ではあった。しかし彼らは幸か不幸か、比較もできない凄惨せいさんな現場を幾度となく見てきている警察官だ。だがそれでも人間であることに変わりはなく、話を聞いた白金から食欲が失せていくのが日下にも見て取れた。


「んで、また不気味なことにな、上牧の事故んときと同じく〝ブツ〟もまだ見つかっとらん」

「…………」

「ほんでな、どっちも見た目は完璧な事故やったけれどもやな、妙に共通点が一致しとる……いや、し過ぎとる気がするんは、果たして俺だけなんかな」

「いや、その話を聞くかぎりじゃ自分でも疑うかもしれません。それにしたって、あまりにも偶然に偶然が重なり過ぎてやしませんか」

「ああせや、偶然ついでにまだあるで、不気味な共通点」

「えっ、ちょ、待ってください。展開早いですて」


 ことさら演出を狙った訳ではない。むしろ不気味さにおののく自らの心を落ち着かせようとあえて間を取っただけに過ぎなかった。だがそんな間が、白金の内心を疑心暗鬼ぎしんあんき漆黒しっこくの中へ叩き込んでいく。


「事故現場で、首が見当たらんと、鑑識の結果ほとんど出えへんかったルミノール反応。なあ、どう思うお前、この話」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――酔いの勢いに任せてしゃべりすぎたか――日下はそんな反省をしながら夜道を歩いていた。あの後口数が少なくなってしまった彼をなぐさめるように話題を変えてはみたが、やはり口にする料理の味がしなかった。明日も業務がある日下は飯代を精算しようとする白金を制して早々に会計を済ませ、家路についたのだった。


「しかし、あの様子を見る限りじゃあ、言わんでよかったかもしれんのう……」


 彼には白金に話していないことがあった。上牧の母親からもたらされた気味悪い話、そして女――河合かわい理依乃りいののガス爆発事故の現場で見つかったものこそ、現実主義者を自負する日下が〝お坊さんや神主かんぬしが必要な案件〟とまで追い詰められる内容となっていた。

 日下は携帯灰皿と煙草たばこを取り出し、紫煙しえんを吐き出しながら、上牧の母親から聞かされた話を思い返して――少し肌寒さが強くなった外気とは関係なく、小さく身震いする。


『――昨日、大家さん立ち会いで息子のアパートに行ったんです。立ち退きの準備もせなと、とりあえず息子の部屋を見させて貰ったんですけど……テーブルの上にあの子の字で、一枚のメモがありました。一行だけやったんですけども、内容が内容で、先日の電話の件もあの子の様子がおかしかったもんで……もしかしたら何ぞアカンもんに巻き込まれたんかと思いまして刑事さんにご連絡を――』

『遺体発見時、被害者はスマートフォンを握りしめていました。画面にはSNSが表示されていたのですが、そこに書かれていた一文が――』


 こえんのとおりくろう


 その話を聞いた時、にわかに意味を図りかねていた日下だったが、その一文の中に気になる〝〟という単語が混じっていたことが妙に引っかかった。そして、以前一度話を聞いた女の〝縁ができたら手遅れ〟の言葉が、何故か頭をよぎる。日下は迫りくる不安感を無理やり振り払うように頭を激しく振り、家路を急いだ。


「……ちっ。〝ごえん〟て一体何なんや……」


 ボソリとつぶやかれたひとり言は、行き交う車の排気音と遠くで鳴り響くサイレンの音に消され、誰の耳にも届くことはなかった。

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