八日後

「一体何なんや、あの事故は……」


 とある所轄署、喫煙者のために設けられたブースで一人の男が紫煙しえんをふうと吐き出しながらひとりごちている。眉間にはしわが寄り、元々あまりよろしくはない、猜疑さいぎ心に満ちた目つきを持つ人相がことさら厳しさを増し、うろこ雲が浮かぶ秋空をにらみつけていた。


日下くさかさん、ここにいはったんですか。えらい厳しい目つきですけど、何ぞありましたん?」

「おう、白金しろがねか。いや、先日起きた単車の単独事故の件でちょっとな」


 ブースに近づいてきた男の問いかけに、日下と呼ばれた男が渋面じゅうめんを崩すことなく短くなった煙草たばこをもみ消して新たに一本取り出し、安物のライターで火をけながらつぶやいた。


「ああ、あの峠道の……確か首が〝コレモン〟やったやつでしたよね」


 そう言いながら自分の首を手刀で切る仕草を見せる白金。それに首肯しゅこうした日下は煙草たばこを口に寄せながら、言葉を続けた。


「せや。けどな、どうにもけったいなんや、俺にはのう」

「と――いいますと? というかそれ、自分が聞いていい話なんですかね?」

「お前なら構わん。どうせ調書にも載る話やし」


 言葉の続きを待つ白金。しかし思った以上に待たされた上に、日下の視線は厳しかった。


「――現場で明らかにおかしい点が三つ、見つかった」

「えっ……三つもですか? どんな感じやったんです?」

「一つ、今白金がいった〝コレモン〟の事故にしては、明らかに血痕けっこんが少なかったんや」

「え、ちょ、それってどういう――」

「分からん。ただ、臨場鑑識りんじょうかんしきによれば〝現場での衝突による衝撃に起因する頸部けいぶ切断ならびに出血の痕跡と断定するには疑義ぎぎが残る〟そうや。〝アレ〟は現場で起きた訳ではない可能性がある、ちゅうことやな」

「ちょ、待ってくださいよ。ソコで飛ばんかったんやったらどこで飛んだんですか。それに、そんな状態やったら一体現場までどうやって単車転がして……」

「しっ、声が大きい」


 話が予想を超えて奇妙な方向へ進んでいるのに気づいて、身を乗り出した白金をたしなめる日下だったが、正直この事故に関しては彼自身が狐につままれた思いでいるのだった。


「そんなんはもちろん俺かて考えた。マルモクマルホウの男四人の人定や聴取も全部洗ったしな、カンカメの映像も取り寄せた。しやけどまあ連中は完璧にシロやったわ。それにな……運転手も映っとったよ。当然〝コレ〟付きで」

「はあ……ますます訳分かりませんね。じゃあ一体どこで――」

「それもまだ調査中や。現場がアレやし、見落としもあるかもしれんしな。それにまだブツが見つかっとらんのや。その〝コレ〟がのう。それが二つ目のおかしい点」


 煙草たばこを持った手をうなじに当ててポンポンと叩きながらつぶやく日下を、目を丸くして見つめる白金。狙ったとは思えないそのタイミングで、白金の煙草たばこから灰が落ちた。


「――き、きっと茂みかどこかに……いや、あそこやったら坂を転がり落ちているとか――」

「まあ、どこかにはあるやろ。どこかには……な」

「け、けど日下さん、今教えてくれた二つでも十分ヤバいやないですか。おかしい所が三つもあるて、あと一つは一体? ブツが見つからん以上にけったいな話があるんですか?」

「――ああ。実はな――」


 日下はそれまで以上に声を潜め、すっかり短くなった煙草たばこを吸い殻にもみ入れながら、首を傾けて白金の耳元に囁いた。


「いや、切断面がな、何かに食い荒らされたみたいになっとるんや。まるで熊にでも襲われたような切り口で、のう」

「なっ……」


 日下はそう言いながら、ここらで熊の出没情報など今まで一度たりとも聞いた記憶がないということを知っていた。一方その話を聞かされた白金は、あまりの内容に絶句している。まあそうなるよなと言いつつ、日下は続けた。


「お前にも分かるやろうけど、猛スピードで衝突事故を起こしたモンのがそないな状態になることはたまにある話や。けどそれにしたってあの状態は、俺も初めて見る」

「そ、それめちゃくちゃヤバイやないですか! 熊やとしてもそうやないとしても――」

「しやから声が大きい。落ち着け」

「……はい、済みません」


 そこで日下は口を閉ざす。単なる事故として片付けるには異様な現場状況。そして日下は、交通捜査課として現場を多数見てきたものとして、強烈な違和感の数々に頭を痛めていた。


「日下さん、運転手の人定は……」

「終わっとるよ。免許はあったからな」

「じゃあ、前足マエアシなんかも取れとるんですよね」

「ああせや。それに関連してもう一つおかしいことを思い出したわ。これが一番訳分からん」


 顎に手を当て眉間にしわを寄せながら考え込む白金に、追い打ちをかけるようにして日下がそれまで失念していたことを思い出す。白金は怪訝けげんそうな顔をおもむろに上げて、今までの話以上に不可解なことなんてあるのかと目線で訴えかけた。


「運転手が持っとった携帯の通話履歴から家族らしき連絡先を見つけてそこに連絡したんよ。母親が出たが運転手とは同居しとらんかった。ただ、事故にうた前夜、母親宛に一本連絡があったらしい」

「連絡……どんな?」


 白金は、もう驚きを通り越して疲れすら見える表情を口元に乗せながら続きを待つ。日下は諦めたように、三本目の煙草たばこを取り出した。話が長くなるのか――白金はそう感じた。


「『とんでもないことになったから誰か偉いお坊さんでも神主かんぬしでも知ってたら紹介してくれ』とか言うとったらしいわ」

「……あの、日下さん、一気に胡散臭うさんくさくなりましたよ」

胡散臭うさんくさいも何もないわな、そう言うとったもんはしゃーない。ただ、その時はどうもえらい切羽せっぱ詰まった様子やったらしくてな。一体何があったんか母親も聞こうとしたらしいんやが、支離滅裂しりめつれつなことばかり口走ってまるで話にならんかったらしいわ」

「……勘弁してくださいよ。冗談にしても笑えませんて」

「冗談やったらホンマよかったんやけどな、俺も。まあ、その母親も占いだとかそういうんが好きやったらしいから、とりあえずパッと思いついた人を紹介したそうや。それが、運転手が最期に通話しとった人物っちゅうことらしいわ」

「で、その人物には――」

「裏は取った。アリあり、メンなし。運転手のほうから連絡があって、カウンセリングのために店だか事務所だかを訪れる途中で事故にうたということらしい」

「うーん……そういう流れやったら怪しいいうことはなさそうですね……」

「何か知っていそうではあるんやけどな。どんな相談を持ちかけられたのか尋ねても、それは口を割らんかった」

「もう自分、色々と怪しいところが多すぎてついていけんですよ」

「俺も分からんことだらけや。何が一番けったいかって――」


 日下は吸いかけの煙草たばこをもみ消し、長すぎた休憩時間を終わらせるように歩き始める。今日一番不穏な、謎めいた言葉を白金へ投げかけながら。


「――縁ができたら手遅れ。知らぬが仏、好奇心はあんたを殺す。警察に解決でけんことなぞ山のようにある――その女はそう言って、ドアを閉めたんや」

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