四日目

 ホームセンターで園芸用具と屋外用の倉庫を買い揃えて庭の手入れ作業を始めた俺は、庭で遊んでいる美桜みお玲央れおの面倒を見ながら、残暑厳しい中あくせくと雑草を刈って回っていた。明奈は仕事で朝から家を空けているが、今日は早く帰ってくるといっていたので庭をさっさと片付けて彼女を驚かせてやりたい。美桜の幼稚園は明日からで、今日が美桜にとって〝夏休み最後の日〟になる。


「あれ? ねえパパ~、何かあっちに猫ちゃんがおるよ~!」


 そんな時、美桜が茂みの中を指しながら一目散に駆け込んでいった。玲央が彼女を真似して駆け出し、二人が転んで怪我をされでもしたら大事になってしまうので、俺も作業を中断して子供たちについていく。するとあの石碑の近くにやせ細った黒猫が一匹、へたり込んでいた。ドロドロに汚れていてあばら骨も浮き、明らかにエサや水に見放された生活を送ってきたのがうかがい知れる。どうやらまだ子猫のようで赤ちゃんではなさそうだが成猫せいびょうにはもっと見えない。生後何ヶ月か経ってはいるだろうか。念の為、周りを調べてみたが母猫の姿はどこにもなく、様子からみてはぐれてから相当の期間が経っているようだった。そもそもの話生後まもない赤ちゃん猫にも見えなかったので、母猫と行動をともにしていなかった可能性が高い。


「パパっ、パパっ。猫ちゃん死んじゃいそうやよ! ねえねえパパ、ご飯あげよう!」

「しんじゃうよ、パパ~!」


 どんな虫や病気を持っているか分からない子猫を躊躇ちゅうちょなく抱きかかえた美桜が、子猫の頭をヨシヨシとでながら〝もう大丈夫やからね~〟と声をかけている。

 取り急ぎ俺は皿にお水とエサになりそうな魚の水煮の缶詰を開けてほぐしてやってみる。


「……よっぽど腹が減ってたんだな。ガツガツと食ってる」

「おいしい? おいしい? よかったねえ」

「おなかすいたね~」


 俺はとりあえずスマホを取り出し、近くに動物病院がないかを検索して連絡を取り、事情を説明してすぐに行けるよう予約を取った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 結論から言うと、家で黒猫を保護することになった。動物病院で基本的な診断をして貰って虫がお腹にいるとのことなので虫下しを飲ませ、ノミやダニも相当いたので駆虫薬をうなじにさす。血液検査の結果は後日分かるそうだが、マイクロチップは埋め込まれていなかったのと首輪をつけていなかったので、多分野良猫ですねと獣医さんが言っていた。生後四~五ヶ月、体重は標準よりかなり下で、性別は女の子だった。栄養失調気味な以外は問題もなく、点滴を受けて応急処置的に体を洗って貰い、その日は終了した。

 段ボール箱にタオルや毛布を敷き詰め、仮の寝床を用意する。美桜が抱きたがっていたが、まだしっかりと体を洗っていないので我慢して貰う。そのままお風呂に入れたが驚いたことにまったく暴れ回らず、されるがままに洗われていたので、手間が省けて助かった。明奈も特に反対はなかった――どころか洗われてつやを取り戻しつつあった黒猫を気に入ったようだった。


「何て名前にしよかな~」

「たま~? ぽち~?」

「玲央~、ぽちは犬やよ~!」


 俺が綺麗きれいになった子猫の濡れた毛にヘアドライヤーをかけている間、美桜がキョトンとした子猫の鼻をちょんちょんつついて足をバタバタさせながら、その様子を笑顔で見つめている。玲央は俺の背中に飛び乗っておぶさってきた。

 名前は美桜の思いつきですぐ〝クロノア〟に決まった。今はまだ段ボール箱の仮寝床だが、明日にでもホームセンターかペットショップにいって獣医さんに聞いてきたあるといいものを買い揃えてこよう。意外に早いタイミングで出費が重なったが、ルールの厳しい保護猫団体、単純に高価なペットショップやブリーダーのお世話になることを考えればついている。


「クロちゃ~ん、クロちゃ~ん」


 美桜はもうベタベタにくっついて離れない。子猫のほうはまだおっかなびっくりな挙動だが彼女を拒否しているということでもなさそうなので、当面は問題ないだろう。玲央はといえば寝転がっている美桜の背中に乗って一緒にクロノアを可愛がっていた。


「皆~、そろそろご飯やから降りてきてー」


 階下で明奈の呼ぶ声がする。時計を見るとすでに小一時間は経っていた。俺は美桜や玲央と一緒に手を洗い、心温まる食卓を囲んで団らんの一時を楽しんだ。炊きたてのたけのこご飯ととろろ昆布汁、きんぴらレンコン、里芋の煮物を存分に堪能たんのうした。

 そして夕食後はいつもどおり風呂に入って、子供たちを寝かしつける。新たに家族となったクロノアと一緒に寝たがっていたが、初日からそれをやるのはクロノアにもストレスなのでと説得し、諦めさせることができた。

 二人を寝かせた後は階下で夫婦団らんの時間を持ち、少しお酒を飲んで気分もよくなった。寝る前に仕事のメールチェックをと思って二階の仕事部屋に戻ると、ワーキングチェアの上に保護したばかりのクロノアがちょこんと座っている。


「おやおや、好奇心旺盛だなあお前は。はいはい、そこに座るからどいてね~」


 と声をかけながら小さな体をひょいと持ち上げ、久々にワーキングチェアに腰を下ろした。仕事のメールがきていないのを確認し、俺は背もたれに体重を預けて先日の挨拶回りで聞いた石碑についての説明を思い返す。自治会長だった土田つちださん、世話を担当する役員の水島みずしまさん、木下きのしたさん、金本かねもとさんの顔が脳裏に蘇る。本当はもう一人いたらしいが、日曜なのに診察中との話で会うことはできなかった。

 土田さんは古希こきを越えた辺りの厳格そうな声と表情をした人で、通された応接室の調度品を見るかぎりかなり裕福な暮らしぶりがうかがえた。水島さんは土田さんと同じくらいの年代だが、金本さんはそれより年を召している相貌そうぼうで、米寿べいじゅには届かなさそうな感じの寡黙かもくな人だった。木下さんは還暦かんれき辺りの御婦人で、とにかく所作が美しい人だった。茶道さどう華道かどうを修めたのかと思わせるような雰囲気を身にまとっている。そしてよわいを感じさせない若々しさを保っており、りんとしたたたずまいがとても印象的だった。この四人の中では一番人懐っこそうだった水島さんは自治会の副会長を務めているらしい。とにかく話が好きそうな好々爺こうこうやという印象が先立った。きていなかった一人の詳細は聞いていなかったが、話の内容からすると近所の病院の院長で、日曜診療をしていてこれそうにないとのことだった。個人病院で日曜診療も手掛けるなんて、結構珍しい話ではないだろうか。


 その話し合いで俺と明奈が受けた説明は長かったので、要点でしか覚えられていない。

 ・ 近所を含めた一帯はもともと豪農・大地主の屋敷だった。

 ・ 石碑が建立こんりゅうされたのは文政ぶんせい天保てんぽう年間のあたり。

 ・ 石碑は一帯の農地を水害から護るために勧請かんじょうされた氏神うじがみ様をまつる。

 ・ 俺の家は大地主の末裔まつえいが最後までのこしていた土地。

 ・ 末裔まつえいの死亡時、遺言で自治会に石碑の管理が委託された。

 ・ 自治会への入会は必須。費用はすべて免除を改めて確約。

 ・ 石碑管理は毎月持ち回りで担当が変わる。俺たちが関わることはない。


 その他、世間話としてこの地域で行われる七五三しちごさんについても話を伺った。

 ・ 普通の七五三しちごさんとは違って旧暦十月朔日さくじつに催される。

 ・ 催し自体も普通の七五三しちごさんとは趣がかなり異なる。

 ・ 一帯では有名なお祭りなので一回は行ってみること。


 小一時間ほどの説明と雑談を経て、土田宅をあとにした俺たちは、渡された資料の細かさと分厚さに少々閉口しながら、重要そうな内容だけを再確認した。ゴミの分別がやたら細かいと頭を抱えてぼやいていた明奈を横目に、俺は石碑の管理日程表を再度見てみた。石碑の世話は毎週何曜日というくくりではなかった。基本的に等間隔ではあったけど、日程を読み進めると二週間近く間隔が空いたり、かと思えば数日しか空いていなかったりと、所々不規則な動きが見られた。そこには意味があるのだろうが俺には分からなかったし、いずれ土田さんなり他の自治会の人たちから教えて貰えるだろうと、俺はそこで考えるのをやめた。


 それからPC画面に目をやると、部屋の窓の外から覗き込まれるような感覚が襲ってきた。カーテンをかけてあるので視線は通らないはずだし、何よりここは二階だ……一体何がどうなっているのか分からなかったが、外が気になった俺はカーテンを開けてみたが案の定そこには何もなく――北隣に建っている木下さんの家の裏庭が見えるだけだった。


「今の視線は一体何だったんだろう……何だか寒気がしたけど」


 この家って、本当に心理的瑕疵かしとか幽霊とか何も存在しない、ただの家だよな……?

 俺は今さらながらにそんな不安を抱いたが、少し時間が経てば不快極まりない視線のような何かも感じることがなくなった。内心ビクビクとしながらも、俺はその不安を振り払うように仕事のメールチェックに取り掛かった。


 その時、デスクに置いてあったスマホが〝ポコン〟と鳴り、メッセージを受信した。


〝シチゴサン〟


 画面を見るとそこには訳の分からない文字が表示されている。入力間違いか何かだろうか。俺はそのまま削除して仕事を続けた。

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