一日目

 外壁塗装や防水加工、クリーニングに防駆虫処理といったリファイン工事が完了したのは、せみのけたたましい大合唱が鳴りを潜めつつまだ残暑の厳しい土曜日だった。ただ、内覧の時に確認しきれなかったことがあり、トイレのタンクと排水管が割れていて、型式も古く全交換を余儀なくされる羽目になった。数十万の出費だったが今さら嘆いてもどうしようもなかった。


『ああ、榎土えのきどさん。先日は無理な日程でトイレ交換して貰ってすみませんでした。今日は一体どうしたんですか?』


 引っ越し作業の最中トイレ交換工事の業者が菓子折りを持ってやってきたのでどうしたのか尋ねると、何でも『トイレ一式交換工事の搬入時に邪魔だったので、門扉もんぴの所にあった大きな石を動かしたら少しヒビが入ってしまった』ことのお詫びだった。大した問題ではなさそうで本当によかった。


 それからも家財道具などを積み込んだ二台のトラックから荷物を家の中に搬入していって、がらんとしていた新居はあっという間におびただしい数のダンボールで埋め尽くされた。


「ママ、パパ! お風呂がすっごく広くて気持ちいい!」

「きもち~!」


 明奈あきなと一緒に真新しく広い風呂を満喫した美桜みおがバスタオルに身を包み、玲央れおは素っ裸で、真新しい木の匂いがする一階の和室――俺と明奈の寝室――を駆け回る。


 一階には和室と洋室が一部屋ずつあり、洋室はリビングルームとして活用する。その他にはダイニングキッチンに洗面所と風呂があり、玄関横にトイレが備え付けられている。それらは内覧で確認した通りほぼ新品同然だ。食洗機まで備えられたシステムキッチンで、収納も広く取られているのが明奈も気に入っているようだ。

 二階には洋室が三部屋あり、部屋同士がふすまで仕切られている珍しい間取りだ。恐らく元々は和室だったものを洋室にリフォームしたのだろうと思う。そのうちの一部屋が俺の仕事場で、隣の部屋が美桜と玲央の部屋になるのだろうが、子供たちが自分の部屋で寝るのは散らかった荷物を片付けてからの話になる。そして余ったもう一部屋で、美桜がずっと飼いたいと言っているペットの世話を――という話になっている。


 ……なっているのだが、どうにも前とは少し――本当にほんの少し――雰囲気が変わった。何というか、空気が少し窮屈きゅうくつな気がする。内覧の時にはこんな感じはしなかったのだが……


 そんなことを思って俺は階段を降り、改めて不動産屋で見た平面図を脳内に思い浮かべる。この家は築数十年が経っているのだが、四隅の柱と中央の大黒柱を残し〝リノベーション〟、早い話が建て直したらしい。これは再建築、つまり建て替えにはあたらないのだと。

 道理で古臭さも感じない訳だ。中央の大黒柱がことのほか太いのが特徴的だが、それ以外はうまく隠してあるおかげで、築数十年の家をリフォームしたようには到底見えない。


 居間では明奈がすぐに使いそうな食器などを荷解きしている。俺も手伝おうかと思ったが、子供たちを見ておいて欲しいとお願いされたので今は美桜を膝の上に乗せてくつろいでいた。玲央は俺の布団の上できゃっきゃとはしゃいでいる。流石さすがは男の子、元気印だな。


 俺と一緒にいるのに飽きた美桜が布団の上で玲央とじゃれ合っているのを横目に見ながら、俺は俺で自分だけの居城をようやく手に入れたという実感を、縁側に座ってビールとじっくり味わおうか……そう思ってき出し窓を開け、前庭を見る形で縁に座った。明日は日曜だが、朝から町内の人たちに挨拶をしなければならないし、やることは山積みだ。しかし、引越しの当日の今日くらいは体を休ませて貰ってもバチは当たらないだろう。そう考えた俺は、やっと効き始めた冷蔵庫から一本取って貰った缶ビールのタブをプシュッと開けた。


 この時季になれば夜風も熱気が抜けており、ちょうどいい心地良さを取り戻してきていた。虫には詳しくないが秋の夜を彩る音色が少し聞こえて来ているので、もうそんな季節なのかと思いながら目の前に植えられた松の木に意識を向け――その裏に建てられているらしい石碑の存在を思い出した。


「なあ明奈、そっちにサンダルか何かないかな?」

「え? まだ出してへんけど」

「そうか、じゃあいいや。靴あるし」

「何、どこか行くん?」

「いや、ちょっと庭にある石碑とやらを一度おがんでみようと思ってさ」

「ああ……そうねえ。私も気になっとったし、一緒に見たいわ」

「あたしも一緒に行く~」

「ぼくも~」


 リビングの方で荷解きをしていた明奈が手を休め、美桜の手を引いて玄関を通り、俺の靴を持って縁側まで来た。俺は玲央をひょいと抱き上げ二人の前を歩いて松の木の裏にあるという石碑に近づいた。やはり近いうちにホームセンターに行って園芸用品を一通り買い揃えないと今でも少し雑草などの手入れが行き届いていない。

 そして、大人が二人は並べない程度に狭い裏手の、更に奥まった端の方に、それはあった。自治会で管理しているというだけあって、苔がむしているといったこともなく、その辺りだけ雑草が取り除かれている。さほど大きくない平石が三段に積まれ、その上に三角形の形をした石柱が――というより三角錐のほうが近い――鎮座ちんざしている。花瓶のようなものが地面に半分埋められ、そこには花がされていた。

 しかし、明奈が出したスマホのライトに照らされたそれを改めて確認した俺の第一印象は、少し陰りを帯びていた。


「……こうやって見ると、なんかさい河原かわらの石塔みたいだな」

「あなたもそう思った? 何故か私もなんよね……でもこれってただの石碑なんやろ?」

「という話だけどな、一体何をまつっていることやら」

「ここに神様おるん~? まんまんちゃんなん?」

「あ~ん」


 美桜が俺の言葉に反応し、玲央がそれにかぶせてくる。明奈があやしている様子を見ながら庭の様子を眺めやると、一瞬だけ門の方に何かが見えた気がした。暗くてよく見えなかったが何だか人影だったような気もして、俺はそっちに視線と意識を集中させたが、何もなかった。


「あれ、進ちゃんどうしたん、そっちのほうに何かあったん?」

「ん? ああいや、何でもないよ。さあて、そろそろ家に戻ろうか」

「は~い。ママ、ご本読んで~」

「はいはい」


 引っ越しや片付けの疲れと、一段落した安堵あんど感から缶ビール一本で眠気が襲ってきた俺は、明奈と美桜よりも先に睡魔の柔らかな腕に抱かれて、そのまま眠りに落ちた。


 しかし、改めて……さっきのは気のせいだったのかな。何か見えた気がするんだが……

 ――それに、一体何だろう、この感覚は。

 本当に、少しだけ、空気が窮屈きゅうくつというか……息苦しい感じがする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る