シチゴサン

雷神 透

 平均的な家庭に生まれ育ち、ブラック気味な中小企業に勤め、妻の明奈あきなと結ばれて、娘の美桜みおに息子の玲央れおを授かり、それなりに満足のいく人生を歩んでいた俺たちは、美桜が幼稚園にあがってから始まった隣人とのトラブルを機に引っ越しを決意した。


 その頃俺も勤め先での過酷な勤務がたたって体調を崩したため、持っていた資格を活用して個人事業主として立ち上がったばかりで、不安はあったが引っ越しの決意は揺るがなかった。傾いている建屋、古すぎる築年数、子供には危険な急傾斜の階段など難点を抱えた家が多く、妥協できるだけの物件が見つからない中、妻が勤め先の同僚から〝隣県に電車一本で通えて、格安で購入できる一軒家が色々ある〟という話を聞きつけ物件サイトで色々調べ回った結果、破格な条件の売却物件があった。

 その物件はこれまで自分で貯めてきたものを総動員すれば手の届く金額ではあったものの、値段に釣り合わないほど〝条件が良すぎた〟のが俺には少し引っかかった。掲載された写真がどう見ても新築物件にしか見えなかったことも、ことさら不気味だった。


 釣り物件だろうという明奈の予想に反して内覧可能だと不動産屋から返答を受けて次の週に物件を確認した俺と明奈は、あまりに状態の良すぎる家屋に面食らった。内装は新品同然で、キッチンや風呂にトイレといった水回りも完璧なだけでなく、外観からは想像もつかないほどリフォームが徹底されていた。

 逆に〝何故破格すぎる値段で売られているのか〟いぶかしんだ俺は不動産屋に確認を取ったが、心理的なものを含めた瑕疵かしは皆無で、土地も借地権ではなく所有権込みでの売買契約であると聞くに及んで、取り急ぎ買付証明を提出することにした。売買契約書に署名捺印をしなければ最悪の場合でもその場での取引キャンセルが可能だし、重要事項説明時に徹底的に確認すればいいと思ったからだ。


 明奈はそれでも一抹の不安を感じたようで、ネットで有名だった〝事故物件紹介サイト〟で当該物件を調べたところ、ヒットしてしまった。詳細は書いていなかったが、一言〝病死〟と記してあったページをプリントアウトして俺に見せてきたときは俺も頭を抱えた。とりあえずその紙を契約締結の約束をした日に持っていって、聞いてみてから判断しても間に合うはず、俺は自分にそう言い聞かせた。


 そして契約書締結当日、売主側の説明を受けた不動産屋からの話を聞いて、色々納得した。息子夫婦と同居する予定だった家主が、家族の受け入れのために内装を完全にリフォームして同居生活を始めた数年後に息子夫婦が家庭の事情で遠方へ引っ越したのだと。その後、家主の妻が死去して独居生活となった所で、今度は家主のほうが息子の購入した家で同居するために引っ越すこととなり、物件を売って処分する――というのが大体の筋だった。

 この家主の妻が死去した状況が〝自宅で〟療養中にという話を聞いて、恐らくあのサイトに書かれてあったのはこのことだろうと、俺も明奈も納得したのだった。


 値段が安い理由としては最寄りの駅から徒歩三十分ある――つまり車は必須であることと、土地が旗竿地はたざおちなため駐車場のスペースが限られていること、接道条件が満たされていないため再建築が不可なこと、が主に挙げられた。


 ――そこまでは特に想定を超えるほどの事情はなかった。しかし、最後に残った特記事項の説明の段になって、様子がほんの少し変わった。


「――土地の中に、石碑……?」

「売主さん側からこの話は契約前にしっかり説明して欲しいと念押しを頂いておりますので、こちらの別表をご確認下さい」


 そこには、以下のようなことが書かれていた。

 ・ 敷地内・前庭部に石碑あり。

 ・ 石碑はその位置関係上この土地と切り離せないため、契約に含まれる。

 ・ 石碑の管理は町内自治会(以下自治会)で行い、責任者は持ち回りで担当する。

 ・ この土地の所有者は自治会に属する必要がある。

 ・ ただし、自治会費および共益費等は免除される。

 ・ 土地所有者が売主となる場合、この特記事項を漏らさず買主側へ伝える。


「――あっ、あれ石碑やったん? 確かに何やろうなとは思っとったんやけど」

「明奈、そのあれって、どこにあったんだ?」

「庭の端に松の木とか並んで植えてあったやろ? その木と隣の家の塀との間にさ、ちょっと石段みたいなんがあって、小さな石碑みたいなのが建っとったんよ。ほら、これ。もっと良く見てみよ思たんやけどさ、家の中に入ったら忘れちゃって」


 明奈のスマホにあった写真を見せて貰うと、確かに小さい石碑のようなものがあった。ただこれを石碑と呼べるかどうかまでは分からなかった。俺は眼前にいる取引士の女性に尋ねた。


「ええと、つまり、この石碑を管理するのは自治会で、管理を担当する人は毎日、かどうかは分からないんですが、うちの敷地に入ってくる……ということですか?」

「そうなりますね。ただ誤解しないで欲しいのですが、この辺りは元々地域の住民さんたちの繋がりが結構深い場所ですし、お互いに見守り運動を積極的になさっておられます。ですので周りの住民については信用して頂く必要があり、更に町内の決め事としてこの土地のご購入の際にはこの条件を受諾して頂かねばならない……と売主さん側はおっしゃっております」


 この時になって初めて、俺はこの物件の購入に一抹の不安を覚えた。ここが売れ残っていた一番の理由とは、もしかしたらこれではないのか――いや、恐らくそうだろうと。

 しかし、それにさえ目をつむれば、ほぼ最高といっていい条件ではあった。あれだけしっかり造られた家を、水回りや内装が完全新品同然の状態で、驚くほどの安値で入手できる機会など滅多にあるものではない。俺はただ、自治会の人たちが時折か毎日か、敷地内で石碑の世話をするのを黙認する……たったそれだけを飲めばいいのだ。

 地方ならこういった人付き合いも避けられないだろうしそのうち慣れるだろう……俺はそう自分に言い聞かせた。その他に特筆すべき告知事項などはなく、心理的なものを含めた瑕疵かしも以前に聞いたとおり存在しないことをあわせて確認し――


「――分かりました。その条件を受け入れます」


 ――俺は契約に同意して、ついに我が家を手に入れた。

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