氷の花 その3
パキ…
「なにこの音…?」
パキ…パキ…
音は一度だけではなかった。あちらこちらから…、そうだ、湖のそこかしこから
聞こえてくる。最初は氷にひびが入る音かと思った。そういう、何かが割れていく
ようなそんな音だったから。でも、そうじゃないようだった。湖面は今のところ、
朝日を浴びながら静かに輝いている。
それに、この音はどちらかといえば割れるとかそういう音というよりも、何だか
何かが開いていくような…。
「あ、あれか!」
例の、湖面の逆ツララ。音はそれから聞こえてくるようだ。しかもよく見るとさっき
までとくらべて形が変わっているように見える。ツララ(?)のだいたい半分から上
の部分がなんだかふくらんで…、ああ、そうか。
「つぼみだったんだ」
パキリッ…
そして、“氷上花”が開いた。
その瞬間わたしの頭の中はいろいろなものが吹き飛んで真っ白になった。それというのも、朝の光の中で花を咲かせる氷上花があまりに美しかったから。
花の大きさは花びら1枚がわたしの手のひらほどだろうか。幅もそのくらいで、
先にいくにつれて細くなり、先端は尖っていて、ほんの少し下にカールしている。1本の枝(逆ツララのことを仮にそう呼んでみる)の先に5枚1組の花びらが並んで星形の花を形作っている。かなり大きな花だ。つぼみはとても細かったのだけれど、きっと最初は花びらがきつく巻かれた状態で閉じていて、開花の時に一気に広がったのだと思う。花の色は枝と同じく真っ白。けれど花びらは非常に薄く、透けてしまいそうなほどだ。まるで氷でできているような繊細さで触れればすぐに壊れてしまいそうに見えると同時に、冷たい氷の上で天を向いて花を咲かせる様子は、何人も寄せ付けない冷たさ、そして強さも持ち合わせているようにわたしには思えた。
…なんて感動するのは良いけど、さっさと採集を終わらせなければ。
氷上花は湖の全体にまんべんなく咲いている。その数はおそらく百輪以上。師匠からはそんなにたくさんは採集しなくて良いとは言われていたけど、花がかなり大きいことを考えると、持って帰ることができるのは頑張って十輪くらいではないかと
思う。
とりあえず採集するのは湖畔から近い場所に咲いている数輪と見定めて、わたしは
そっと湖に足をつけた。
今わたしが履いているのは、皮でできた膝丈までのブーツで、防水性をたかめるために様々な樹脂を調合したものが塗り込まれている。短い時間なら水の中で作業をしていても、水がしみこむことはないし、湖は湖畔の近くは浅瀬になっているので、このブーツを履いていれば湖の中に入って氷上花を採集することができるのだ。
だから足を水に沈めて水底に立とうとしたのだが、沈んでいた泥や落ち葉を踏んで、思っていたよりも深く足が沈み込んでしまった。
「わ…わっ…沈む!!」
さらに沈んだ瞬間にバランスを崩して転びかけたが、なんとか堪えて姿勢を正した。
ブーツのおかげで今のところ水は染みていないが、生地を突き抜けて冷たさを感じた。
足をとられないように慎重に氷上花のところまで足を進める。近くで花をみると
しみじみとこれが植物なのだろうかという気持ちになった。まるで熟練の職人がおのれの技術を注ぎ込んで造り上げた工芸品のように見える。
採集用のハサミを手に持ち、氷上花の花弁から少し下のあたりの茎を切って採集
しようとわたしは花に顔を近づけた。ちなみに花の咲いている位置はわたしの胸の
あたりだ。
「えーっと、このあたりを切って…あっ!?」
その時衝撃的なことがおきた。わたしが採集しようとした瞬間、氷上花の花の
色がくすみ、そして花びらがへにゃりとしおれてしまったのだ。
どうしてこうなった…。
花がしおれた理由をわたしなりに考えてみたが、おそらく花に顔を近づけすぎた
ために、わたしが吐く息が花びらに当たってその温度でしおれてしまったのでは
ないだろうか。
ここまで繊細だとは…。
とにかく花に顔を近づけすぎないこと、なるべく息をしないこと、慎重に慎重を
重ねて採集すること、これらを頭に叩き込み、わたしは再び採集に挑んだ。
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