氷の花 その2

 今回の採取素材である“氷上花”は、わたしはまだ実物を目にしたことは

ないけれど、師匠から冬の重要な採取素材のひとつとして簡単ではあるが

説明を受けていた。師匠曰く、

「清浄な湖が凍結した冬の夜明け、太陽が出た直後のほんの短い間しか

採取できない、その名の通り氷の上に咲く花」

とのこと。すごく繊細な花で、朝日を浴びて開花するが、少しでも日が

高くなると、あっという間にしおれてしまう。そうなってしまえばもう、

薬効は期待できないらしい。


 つまり日の出のその瞬間までには湖に着いていないといけないわけだけれど、

残りの距離を考えると、今の歩く速度では間に合わない気が…。


 走るか。


といってもまだ暗いし、足元は霜ですべりやすいので、「小走り」といった感じで、

わたしは湖への道を進んだ。



 冬の森は静かだ。その中でわたしの足音と、息遣いがやけに大きく聞こえる。

体力は並みはあるはずだが、緊張と寒さのせいかすぐに息が切れ始めた。それでも

日の出に間に合わせるために足を止めることはできない。


 きっと今が一番寒さの厳しい時間帯なのだろう。息を吸うたびに冷気が胸の奥

を刺し、そこでわたしの体温を奪って白い息となって、森の空気の中に吐き出されて

いく。それの繰り返し。冷気がもろにあたる頬は冷たいを通り越して痛いくらいだ。


 そうやって必死で進んできて、もうそろそろ湖に着いても良いくらいの時間はたっているはずなのだが…いっこうにたどり着かない。こんなに遠かっただろうか?


 もしや途中で道を間違えた…?不安が頭をもたげる。しかし今更引き返すわけにも

いかないので、あまり考えないようにする。何だか周りの景色が違う気もするが、

「まあ昼と夜だと印象が違うしな!」と無理やり自分に言い聞かせる。



 走る。走る。相変わらず小走りで。湖へと向かって。



 そしていよいよ空が明るくなり、「これはもう間に合わないかも…」とあきらめかけた時、木立が開けた。

「着いた…!」


 わたしの眼前に湖面が広がる。師匠の言っていたとおり、氷が張っていた。

まだ冬の始まりのため、ごく薄いものだが(寒さが本格的になると人が上に乗っても

割れない程氷が厚くなり、歩いて反対側の湖畔まで行けるのだそうだ)それでも

普段見ている湖の風景とは一変していた。


 風が吹けばさざ波がたち、時折魚やそれを狙ってやってくる水鳥達がたてる水音。

普段の湖はけっこうな賑やかさでそういう所がわたしは好きなのだけれど、凍り付いた湖はやけに静かだった。氷には音を吸い込む機能でもあるのだろうかと考える。でも、静かで、なんだか神聖な感じがして、つんとすましているようで、そしてなにかを待っているような今のこの湖も嫌いじゃないな、などと思いながら水際まで近づくと、わたしは凍った湖面を眺めた。すると違和感に気づいた。



「なんか生えてる…?」

 きれいに氷の張った湖のあちらこちらにとげのようなものが立っていた。それは

水中から氷を突き破って生えているのか、あるいはどこかから落ちてきて、湖面に

突き刺さっているのか、見ただけではわからなかった。長さはだいたいわたしの指先から肘あたりまであるかないかだろうか。つららを反対にしたような形をしており

まっすぐでとても細い。ちょっとでも触ると折れてしまいそうだ。色は雪のような

混じりけのない白。


 これはなにかの自然現象なのだろうか。初めて見る光景だった。よく観察したいと思ったが、ふと空を見てそんな暇はないと悟る。ついに夜が明け始めたのだ。


 

 森に光が満ちていく。朝日が凍り付いた湖面を照らし、反射した光が乱舞する。

それはキラキラなんていう生易しいものではなく、まぶしさに目を開けているのが

つらいくらいだったが、この上なく美しいものだった。


 しかしそんな光景を楽しむ余裕はない。夜は明けた。今から氷上花が咲くのだ。

わたしはいつ花が咲いても良いように気合を入れて湖をにらみつけた。


 ……。

 「…なかなか咲かないな…」

 なんとなく日の出のその瞬間にパァーっと咲くイメージだったんだけど。

そもそも氷上花がどんな風に咲くのか、わたしはよく知らないのだった。

こんなことなら師匠にもっと詳しく聞いておくんだった。でも時間がなかった

からなあ…。


 などということ考えている間にも湖面を照らす日はどんどん強くなり、わたしは

次第に絶望的な気分になってくる。


 「採集失敗…かなあ」

せっかく師匠が信頼して送り出してくれたのに。師匠の役に立ちたいのに。じわりと

眼前がにじんだ。



 その時だった。


 



 

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