第3話 プロローグ 3
本日の仕事が終わった頃、空の色はもう既に闇に飲まれて暗くなってしまっていた。吐く息も白く、雪解けした後の時期とは言え、まだ凍えそうな空気だ。水作業で悴んだ手は赤さを通り過ぎて指先は青くなってしまっていた。自分の吐息で温めようとするが、何の足しにもならなかった。
「もう暗いけどまだお店開いてるかしら」
カーナが仕事終わりに足を向けるのは人通りが少なくなってきた市場。ロナリ王国の住民達は買い物を済ませて一家団欒としている時間帯。市場のこの時間帯は駆け込み客を狙って閉店準備しつつも開けている店はいくつか存在している。その内の一店舗が目当てなのだ。足繁く通っている間に店のおじさんと仲良くなり、売れ残ったおまけを貰えるまでの仲になった。
そんな贔屓にしている店に向かっている間、ルイゼから聞いた≪掃除≫の話を思い出していた。詳しく聞いた話では≪掃除≫があった付近は空気が張り詰めているようで落ち着かないと言うことだった。そして、その≪掃除≫があった場所はカーナが目的としている市場も含まれている。
「特に雰囲気も今までと変わらないわね」
道すがら行き交う人々の会話の内容を盗み聞きしたり、表情を観察したりしていたが、たわいのないモノばかりで肝心の≪掃除≫についてやそれに対する恐怖が伝わるような会話などなかった。『普段通り』の、カーナにとって何とも羨ましく、喉から手が出る程求める温かさのある会話ばかりが聞こえてきた。
(なんだ、いつもどおりね。ルイゼが真剣な顔で言うから警戒しちゃったわ)
なんだかんだ思いつつもほっと胸を撫で下ろしながら、歩を進めているうちに目的地に到着した。見慣れた背中に向かって声をかける。
「おじさん、いつもの売れ残りの麺麭ちょうだい」
「おう、カーナじゃねぇか。いつもの二個でいいんだな?」
麺麭を作る職人である店主が店番をしていた。店主もカーナが≪外モノ≫と知っている人物の一人だ。だが、金で支払いができているので別に嫌ってもいない。何なら、「売れ残りだから持っていけ」とあからさまに焼き立てのような麺麭を包んでくれるのだ。
「いっぱい食ってくれよな!」
「肉汁も飲めたらいいんだけど、でも、おじさんのおかげでお腹の空く夜は来なくなったわ、ありがと」
カーナの満面の笑みに店主は心を打たれる。それもそのはず、初めて麺麭を買いに来たときはそれなりに肉はついてはいたが、目の下には隈が出来ており、話を聞く限りでは睡眠があまりとれていなさそうだった。大して食事も取れていなく、夜は空腹で目を覚ますのだとか。
手に入れた食料は一人分にもならないにも拘らず、同居人に分けているのだから、それは腹空かすに決まっている。店主は商売しているがやはり腹を空かしている子供には満腹になってほしい。そう言った思いから、この関係が始まった。
ただ、カーナの手持ちで白麺麭も買えるだろうに、堅い黒麺麭を購入している。曰く、一回で全て食べているわけではないので、多少時間が経っても食べれる黒麺麭が一番とのこと。
そう言った経緯から、購入分以外にも包んでくれるのだ。
「ほいよ、なんか最近物騒だから気をつけて帰んな!」
「ありがと、っておじさん今、物騒って。何かあったの?」
「あぁ、なんかよ、城の付近で≪掃除≫があったんだってよ」
ルイゼはこの市場付近でも≪掃除≫が行われたと言っていた気がしたが、店主の発言から≪掃除≫は城付近だけのようだ。であれば、ルイゼはなんで嘘を吐いたのか。頭を抱えることばかりだ。
しかし、≪掃除≫されるのは平民が多いと聞いていたが、今回は城仕えの貴族の様な人々が対象になったらしい。前例がないわけではないので情報の一つとして頭の片隅に納めた。
「と言うことはもう今回の≪掃除≫は終わったの?」
「多分な」
はっきりとしない物言いに頭を傾げた。それを見た店主が話を補足した。
「あぁ、噂じゃ無差別に人が消えているらしい」
だから、最近物騒なのか、と納得してしまった。カーナが≪外モノ≫とは言え、城壁内の施設で仕事してることもあり、噂好きな女性達が集まっているので世間話は耳に入る。
基本的にはどこどこの果物が美味しいとか、とある家長が妾をもらったとか、そう言ったモノばかりなのだ。しかしながら最近では子供を探している母親が日が暮れても家に帰らないで夫に連れて帰されていたなど、誰それが行方不明になった話の割合が多くなってきているのだ。
店主は最後に「気を付けてな」と言い、カーナを見送った。
(おじさんの話からすると≪掃除≫よりもそれを真似た事件の方が気になるわね)
老婆の元へ、城壁の外へと向かうために先を急いだ。それは今もこうした状況下であっても老婆は寝床で体調悪く横になっていることもあるが、やはり物騒な状況下の城壁内にいたくないと言うのも一つである。
そして、次の角を曲がれば城壁外へ出れる場所に辿り着いた時だった。
「オラァ!」
男の怒号と蹴りが突如カーナを襲った。避けることもできず、腹部にまるで突き刺さるように打ち込まれた。
大の大人の蹴りがもろに入ったので、カーナの体は浮き、そのまま地面に叩きつけられた。
「がっ・・・ひゅっ・・・」
呼吸も上手くできず、空気が僅かに抜けるような音が出るだけ。口の中は血の味がする。
(痛い痛いいたいいたい・・・。一体何が、何で何で私が・・・?)
錯乱状態になりつつも現状を整理する。視界はボヤけているが、大柄な男がこちらに近づいてきている。
カーナが持っていた黒麺麭も一緒に地面に散らばっていた。
「ぱ、ぱん・・・」
老婆と一緒に食べるはずだった麺麭。それが男に踏み潰されている。
「あぁ?こんなもん食ってんのかよ?」
黒麺麭に向かって唾を吐いた。もう一つの麺麭を踏み潰し、土で汚れた麺麭をカーナの方へ蹴った。
(なんて、勿体無いことを・・・、あの人に食べさせる食べ物がなくなっちゃう)
「まだ未練があるんか、こんなんに」
男ははぁとため息しながら、本来の仕事に戻る。そうカーナを攫うと言う仕事に。
その前にと男は口の端を舐めつつ、いやらしい顔で近寄ってきた。
「味見くらいしてもいいよなぁ」
流石にカーナの呼吸も落ち着き、体を起こそうとするが痛みで思うように動けないが、耳には先程とは違った声色で男が近寄ってくるのが分かった。
「ここじゃ流石に不味いな」
そう言うと男は周囲を見渡しつつ、どこか都合のいい場所を探し出した。そして、動けないカーナの髪を掴み、引きずって都合のいい場所へ連れ出す。
(痛い痛い痛い!)
髪がぶちぶちと抜ける音が体を伝って聞こえる。
「いや、やめて、助けて!誰か!誰か!」
「抵抗すんじゃねぇ!また蹴られてぇのかぁ!?ああぁん?」
男がもう一度蹴ろうと髪を離し、振り返った瞬間のことだった。
カーナの身体が急に発光した。
そう、それは老婆と初めて会った日に見た、あの光だったのだ。一つだけ違うことを指摘するのであればカーナの体から出ているということだけだった。
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