第58話 えもいわれぬ違和感

「……何を企んでいる? 尽紫」


 紫乃さんが身構えたまま、彼女に尋ねる。彼女はくすくすと笑う。


「私が何を企んでいたって、私は所詮分け御魂。一対であるあなたの足下にも及ばない力しか、今は出せないわ。今日だって贄山と一緒だからこそ、飛行機に乗って福岡に帰ってくることができたの。弱いのよ、だからこそ見苦しく不意打ちに知恵を絞ったりしたのよ? 知っているでしょう? 私本体を封印して以来、あなたは楓ちゃんと一緒に、これまで何度も何度も分け御魂わたしを消してきたのだから」


 一歩、一歩と近づいてくる尽紫さん。

 明らかに胡散臭い。それは紫乃さんも感じているようだ。けれど紫乃さんは抵抗できない。

 舌の上に、私の記憶が転がっているから。


「……最後に口づけをちょうだい、紫乃ちゃん」


 目の前まで歩いてきた尽紫さんが、両手を紫乃さんの前に広げておねだりをする。

 口の中には勾玉。無防備な彼女は、刀を携えた紫乃さんの前で目を閉じた。

「渡せるものは何もない。指の先まで、俺は楓のものだ」


 冷ややかに紫乃さんが言う。尽紫さんの目尻がつり上がった。

「生意気な」


 黒髪がしゅるしゅると伸び、紫乃さんの頭を引き寄せるよう絡みつく。

 一瞬の躊躇のうちに、紫乃さんは頭を引き寄せられ、尽紫さんの唇が近づく。


「……っ……!」


 触れ合う前に、二人の間を突如生えた梅の木が隔てる。紫乃さんの神通力だ。


「……ふ」


 梅の木に軽く突き飛ばされた尽紫さんは目を薄く開き、微笑んで倒れた。

 力を失った尽紫さんの体を、紫乃さんは腕に抱き留める。

 私は駆け寄った。


「大丈夫ですか?」

「ああ」


 紫乃さんは力を失った尽紫さんの口から記憶の勾玉を取り出してしまう。


「……強情者め」


 ぬらりと濡れた舌と勾玉が、妙に色っぽい。

 そのまま尽紫さんを抱き上げ、複製神域を解除した。


「彼女の霊力も限界だったのだろう。土地神は自分の土地を離れると霊力供給ができなくなる。……終わりだ、姉さんも」


 尽紫さんは眠っているように意識を失っていた。


「帰ろうか、楓。……もう大丈夫だ、全部終わったから」


 紫乃さんは私を見つめて、微笑んだ。


「嫉妬した?」

「し、嫉妬ですか?」

「俺の唇がに奪われそうになっただろ?」

「……いえ、別に……」

「強がらなくていいよ。嫉妬されても仕方ない。


 紫乃さんはやけに綺麗に微笑む。

 そして私の耳に唇を寄せ、囁くように言った。


「あとでいっぱい口づけてあげるよ、いつものようにね」

「…………は、い……?」

「照れなくてもいいよ。楓は俺の妻だろう?」


 耳朶を震わせる低音ボイス。

 ぞわわわ。

 鳥肌が立つ。

 紫乃さんには大変申し訳ないけれど、記憶取り戻してから一番鳥肌が立った。

 私が目を白黒させていると、紫乃さんは思わせぶりにふふ、と笑って先を行く。

 私は言いようのない違和感と寒気に、首を傾げてついていった。


「紫乃さん、あんなこと言う人だっけ……」


 紫乃さんの違和感ばかりに気を取られて、私は贄山隠を駐車場に放置したままだったことをすっかり忘れていた。

 贄山隠(27)の出番は、残念ながらここで終わりである。

 彼の所有する家宅ではその後、彼が迷惑をかけまくった各地のあやかしや土地神によって彼のカード限度額までピザパーティーが開かれたり「集まれ地縛霊! 事故物件にしてやろう祭り」などが行われたけれど、そんなことは本編にはあまり関係が無い話なので、割愛する。


◇◇◇


「帰ったか、楓殿!」

「楓ちゃん!」


 屋敷に帰ると、すぐに羽犬さんと夜さんが門まで迎えに出てくれた。

 夜さんは羽犬さんのエプロンのポケットに入っている。どうも気に入ったらしい。


「楓ちゃん、紫乃、大丈夫やったか!?」

「問題ない。姉さんはこの通りおとなしくなったよ」


 紫乃さんが横抱きにした姉を二人に見せ、屋敷に入る。


「姉さんを封印しようと思うんだが、彼女の体を置いた場所に運ぼうと思う。両手が塞がっているから先に行って開けてくれないか?」

「わかった」


 夜さんが羽犬さんの腕から飛び降りようとしたが、羽犬さんがとっさに抱え直し、手で口を塞ぐ。


「ちょっと紫乃、何言いよっとね。俺らには教えてくれんやったやんね。案内してくれたら開けるけど?」

「そうだな、やはりお前たちに教えるわけにはいかないな」


 紫乃さんは薄く微笑むと、普段使っていない客間のほうに尽紫さんを運んでいく。

 私と羽犬さんは、紫乃さんの見ていない場所で頷き合う。


 おかしい。絶対、おかしい。


 紫乃さんは尽紫さんを安置している場所に案内してくれたばかりだ。「お前たちに教えるわけにはいかない」なんて冗談じゃない。

 しかし疑問を囁き合うのも危ない気がして、私たちは目配せした。


「じゃあ私、紫乃さんについていきますね」

「おう。じゃあ俺は夜と一緒にカフェの片づけ行ってくるわ」

「どういうことだ、羽犬、むぐぐ」

「はいはい、猫ちゃんは黙っとこうな~」

「にゃーっ」


 私は紫乃さんについていく。


「布団出すからちょっと待っててくださいね、紫乃さん」

「ん」


 客間に布団を広げる私を、紫乃さんは薄い微笑みをたたえたまま見つめている。

 絶対おかしい。違う。

 なんか変だ。紫乃さんはこういうとき、ありがとうと返してくれる。

 こまめに感謝を口にする人なのだ。


 思い返してみると、牧のうどんに行ったのに羽犬さんと夜さんにテイクアウトを持ち帰らなかったのもおかしい。

 外食してきたら何かしらお土産を羽犬さんに渡す、律儀な人なのだ。

 客間の布団に尽紫さんを横たえる。

 尽紫さんはまだ目覚めない。

 紫乃さんは彼女の枕元に座り、指先を嚙んで血を出す。

 血が金の糸になり、彼女を布団に縛り付けるように絡まった。


「ちょっ……!」

「どうした? 邪魔者が動き出すと嫌だろう、楓」

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