第50話 太宰府の喫茶店にて
「そうだ、逃げ場になっていただいたお礼をしないと、ええとお賽銭、お賽銭……」
私はせっかくなので本堂にもお参りをした。
「時間稼ぎにお邪魔させていただきました……何卒どうか活路をお与えください……」
もちろん本殿の奥から、目に見える反応はない。
最後の一礼から頭を上げたところで、後ろから唐突に男性の声がした。
「活路が見いだせぬか、巫女よ」
「あ……先生」
髪に挿していた梅の枝から声がする。
「この状態でも話せるんですね、先生」
「儂のところに来ぬか、太宰府に」
「いいんですか? 今の私はまだ行っちゃダメって言われてましたけど」
修行が足りない状態で太宰府に行くと危険だと、以前紫乃さんに言われた。けれど梅の枝は器用に腕を横に振るようにぶんぶんとして、私を連れていく気満々のようだ。
「五分くらいならよかろう。紫乃とやり合いたいなら、出し抜く作戦もまた必要ぞ」
「確かに……」
先生からはどうもおじいちゃんのような優しさを感じる。
私はお言葉に甘えて、再び天満宮を通じて光の中に入った。
次の瞬間、私はアンティークなカフェの中にいた。
「あれ? 天満宮じゃないですね? ここは?」
目の前にはダンディなおじさまが足を組み、中国語で書かれたらしき本に目を落として座っていた。ロマンスグレーの髪を一糸乱れぬように撫でつけ、眼鏡をかけた細面(ほそ おもて)の男性だ。第一ボタンまで留めたネルシャツに、渋い色のベストを纏っている。どこか気難しそうな男性だ。
「もしかしてあなたが」
「先生だ。それ以外の何者でもない」
頷く私に一瞥もくれないまま、先生はテーブルのメニューを示す。
「ここは参道、儂の気に入りだ。好きな物を頼むといい。甘い物もな」
早速綺麗な和装ウエイトレスさんが現れたので、私は遠慮しようとしたけれど、結局コーヒーとチーズケーキをお願いすることになった。
すぐに運ばれてきて、先生の前には常連らしく当たり前のように、ウインナーコーヒーが置かれた。
甘い匂いが漂う個室にて、先生は視線を本のページに落としたまま呟く。
「筑紫の神はお前を殺せない。そこに隙が生まれる」
「肉を切らせて骨を断つ作戦ですか」
「そこまでしなくてもよい。ただ隙を作るのだ。捨て身の攻撃でもなんでもいい」
「捨て身の攻撃……」
「その隙に襟を摑んで口吸いでもしてやればいい」
「いきなり俗っぽくなりましたね」
「ちゅーとでも言えばいいのか?」
「う、うーん」
「現代語はわからぬ。中国語と韓国語なら覚えたがな」
「覚えたんですか……」
真面目な顔で指ハートをしながら、先生は頷く。
「遣唐使に行かずとも向こうから観光に来てくれる、よい時代よ。古代からの言語の変容が実に興味深い」
本を閉じ、先生はウインナーコーヒーに口をつけた。
よく見たら、本は中国の分厚いSF小説だった。SF読むんだ~。
洗練された仕草が美しい。元左大臣は違う。
彼はふっと窓の外へ視線を向けた。
「あと十分だな。複製神域が太宰府まで追いつくようだ」
視線で促されたのでチーズケーキをいただく。
歴史ある喫茶店らしい王道のチーズケーキは味がしっかりとしていて美味しい。
私が食べ終わった頃に、彼は窓の外の景色を見やる。パネルを変えるようにぱきぱきと、空の色が移り変わっているように見えた。複製神域が届こうとしているのだ。
「時間だな」
そう言うと、先生は初めて私の目を見た。
「あの神は楓に弱い。まあ最悪、死ぬことはないのだから全力で挑むがよい」
薄く口元を動かしたのは微笑のつもりだろう。
「早く成長して遊びにおいで。楓が来てくれると儂は嬉しいよ」
「……ありがとうございます!」
コーヒーの最後の一口を飲み終えたとき、先生は消えていた。
私は立ち上がり、はやかけんを握りしめて窓を開く。
空に浮かぶ紫乃さんと目が合った。
「太宰府には行くなと、言っていただろう?」
穏やかな笑みをたたえた紫乃さんから、しびれるような覇気を感じる。
─来る! ならば!
私はカフェの窓枠に足を引っかけ、太宰府天満宮の参道に飛び出す。
複製神域の参道には、人間はいない。暗い影のようなあやかしさんや神霊さん、霊のような人たちが遠巻きにうごめいている。
早く強くならないと、彼らだって救えない。
はやかけんと神楽鈴を構えた私に、紫乃さんは目を眇めた。
「待ちなさい。ここでやるのか、楓」
「当然です。何か問題でも」
「ここは危ないと言っただろう、今の楓の実力じゃ─」
「はやかけんビーム!」
「……っ!」
紫乃さんがはっとして退く。
参道のお土産物屋さんの屋根に上がり、苦笑いする。
首に巻いた五色布が解けかけたのをそっと結び直した。
「そういうことか」
私は神楽鈴とカードを構え、にやりと笑ってみせる。
「ええ、そういうことです。心配ならば、早く私に降参してください」
聖域であり、政治の中心であり、あまたの戦場の舞台にもなった場所。だからこそ、あえて。
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