第34話 楓から、楓へのバトン
彼は私に背を向けて、大きなひとり言を口にした。
「毎回思うのですが、なぜ上手くいかないのでしょうねえ。金権力地位顔、楽な生活、温泉と美食、それに靡かない女性など、他にいないというのに」
「まあ確かにみんな、女子の憧れでしょうけど……。攫って強引に誘って上手くいくのなんて、ゼウス神くらいですよ」
私は肩をすくめる。彼はそれでも不満そうだ。
「理解できませんね、やはり私に靡かない人は愚かです」
「極端ですね……やっぱり人格が信用できないと、どんなに好条件並べ立てられても人生を委ねるのは難しいですよ。お金があってもモラハラされたら地獄だし、与えられる美味しい温泉も美食も、逆に生殺与奪を握られることを条件に与えられる餌ってわけですし。釣った魚に餌をやるかどうかなんて、結局人格じゃないですか」
「わ、我に騙された女性たちを阿呆だと言いたいのですか、あなたは!」
「議論のすり替え! そ、そもそも騙した自覚あるなら最悪すぎるんですよ!」
「ええそうですよ、騙した自覚ありますとも、始皇帝を騙す男、この徐福、ペテンにかけて四千年の歴史がありますので!」
「いさぎよくていっそほれぼれしてきた」
「おっ、惹かれてきました? 脈アリの脈が脈打ってます?」
「どちらかというとドン引きのほうの引くなので、脈は停止し続けてますね」
「仕方ありませんね」
彼の空気が変わる。
鵲が彼を包み込む。
鵲の目と彼の目、たくさん視線をぶつけられ、一瞬息が詰まる。
これは彼の術だ。
私は拳をぎゅっと握り、自分の意識をしっかり保つ。
「楓さん、ではお尋ねしますが、あの筑紫の神は信用できるというのですか」
「そりゃ当然信頼してますよ」
「彼が言ってないことがある……私は、そう言いましたよ?」
徐福さんはにこにこしながら、髪に挿した簪を取る。ふわっとムスクの匂いを漂わせながら、黒髪が広がった。
「ご覧なさい、これを」
簪を私に向ける。それは艶やかな簪だった。簪自体が色気の塊のような。
「古代、神は男女の一対であることが多かった。それは夫婦だったり、兄と妹だったり、親子の場合もある。それは現代とは違う倫理観、神の道理で結び合っていた。……ふと、思うことはありませんか? 彼には何かが欠けていると」
「筑のほうの女神様のことでしょう、聞いてますよ」
「二人が一対の神だったという意味も?」
「え?」
「最初のあなたに会う前の彼は、彼女と一対だったんですよ。男神と女神。意味はわかりますよね?」
「……夫婦だったって、ことですか?」
私の反応に、徐福さんは目を細める。私を動揺させたいのだろう。
逃げたい。
けれどはやかけんは彼の手の中にある。
私の油断が招いた事態だ。なんとかして、私が解決しなければ。
ここでちゃんと元気に戻らなければ、紫乃さんがまた悲しい顔をしてしまう。
そんなの、冗談じゃない。
私は決めた。
目の前の彼の隙を作るために、大げさに動揺すると!
「うそ……そんな……」
私は立ち上がり、大げさによろよろと顔を覆う。
我ながら胡散臭い演技だと思うけれど、こういうのは思い切りと度胸だ。
「紫乃さんはどうして教えてくれなかったの……?」
うろたえた振りをして、私は胸をぎゅっと押さえる。
思い出すのはランダム販売のグッズで押しを手に入れる前に手持ちが尽きてしまった人魚さんの姿。彼女の真似をして、私は大げさに座り込んで絶望する。
やりすぎかな、とちらっと徐福さんを見る。
彼はしてやったりという顔をしている─いけそうだ。
私は顔を上げて、渾身の演技で訴えた。
「で、でも……わ、私は紫乃さんを信じます!」
「強がらないでよろしいのですよ、真実を知りたいのなら、我と契約なさい。ここに名前を書くだけでよいのです、簡単でしょう?」
「あ……」
私はいつの間にか現れた女性に筆を握らされ、契約書のような紙も差し出される。
古い中国語だというのはわかる。
読めない契約書に契約させようとするあたり、最悪だ。
「ささ、ここに名前を」
「すみません、私記憶と一緒に自分のフルネーム忘れてまして。ちょっとはやかけん見せてもらっていいですか?」
「仕方ありませんね。どうぞ」
印字面を見せてきた彼の眼鏡を、私は思い切り筆先で塞ぎ、はやかけんを奪い取った!
「
一瞬にして私は紅一色に千早の巫女装束に変身する。力が漲る。
墨で真っ黒になった眼鏡を拭きながら、彼が叫んだ。
「ひ、卑怯ですよ!」
「なぁにが卑怯ですか! インチキ方士!」
「くっ……ますますあなたの才能が愛おしい。今すぐ我の物におなりなさい!」
「いーやーでーすー。騙してくる人の言いなりになるわけないじゃないですか」
「我なら、あなたの記憶を取り戻す方法も教えられますよ? 紫乃の姉と繫がっていますからね」
「いらないですよそんなもの」
「そうでしょう、素直でよろしい、教えてあげましょう」
うんうんと頷いたあと、徐福さんは目をむいて私を二度見する。
「……待って。いらないんですか?」
「いらないですよ。前の私は前の私として終わりです。そこにこだわって迷惑かけたらきっと、前の私は納得しない」
常に思い出を整頓していた、あの部屋の迫力。
楓はいつも、紫乃さんを残して去る日のことを覚悟して生きていた。
いわばあの部屋は、元の楓の棺なのだ。
丁寧に整頓された日記やアルバムは、日々、自分の人生の終わりを考えていたのだろう元の楓の思いが詰まっている。いつか自分がきちんと過去になったとき、紫乃さんの中にしっかりと
そんな元の楓は─今の私が記憶にこだわって惑うことを望むだろうか。
否。
紫乃さんの傍にいる璃院楓としてのリレー、そのバトンを私は受け取ったのだ。
「私は迷いません。私は間違いなく璃院楓です」
私は両手の親指と人差し指で長方形を作り、はやかけんを構える。
「いいお湯をいただいて申し訳ありませんが、私は紫乃さんを信じます」
「ふん、そんなことが言える立場でしょうか? あの神は筑紫の神、
ばきばきばき。
「あ」
屋根を突き崩し、車が部屋に飛び込んでくる。四トントラックだ。
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