第8話 あやかしカフェと、人魚さん
羽犬さんに連れていかれたのは、私がいつも暮らしている離れの逆側だ。
板張りの廊下を渡った先、庭に一度降りて踏み石を渡って建物の裏手に行く。
「蔵……ですか?」
「そうそう。改装したんよ。紫乃は『神域だから最初から好きに造りゃいいのに』なんて言いよったけど、リノベだからこそ出るニュアンス、あいつわかってなかとよなあ~」
間接的に光が差し込んで明るい店内が広がった。
緑が基調の、和の雰囲気を大切にしたキッチンとカウンター。さらに奥へと目を向けると、いくつかの掘りごたつの席が用意されている。柄違いで並べられた花ござの座布団も鮮やかだ。外に池があるのだろう、池の光が空間全体に、乱反射してゆらゆらと揺れている。
私は目の前の光景に見とれた。
「雰囲気ありますねえ」
「やろ? 緑茶なら八女茶に和紅茶があるし、コーヒーなら焙煎から俺がしよるよ。ほらあれ焙煎機」
「すごい! おっきい!」
「うーん、嬉しい反応」
棚には硝子瓶に入った金平糖やお菓子がきちんと並べられ、壁には等間隔の正方形の薄い棚がしつらえられている。中には一つ一つ宝物のように器やティーカップが納められていて、どれもが綺麗に磨き上げられ、自然と全部、淡く輝いているように見えた。食器全てが、どこか誇らしげだ。
「綺麗……」
「やろ? みんなほら、楓ちゃんが見よるけん気合い入れてー」
「食器に話しかけるんですか」
「そりゃ、みんなアンティークで付喪神ついとるけんね。持ち主がおらんくなった食器のうち、やる気がある子だけ引き取ってきよっとよ。やけんみんな、勝手に出てきて勝手にシンクに下げられて、勝手に洗って戸棚に入ってくれるたい」
「便利な全自動だ……」
そのとき、カランカランと表の扉が鳴った。
「はーくんおはよー! 奥の掘りごたつ空いてるー?」
若い元気な女性の声。
見ると、長いワンレングスの黒髪を靡かせた、手足の長い女性たちが六人やってきた。いきなり団体客だ。長袖でもヘソ出しだったり、ホットパンツだったりで、化粧もばっちり。まるでアイドルみたいだと思う。
私を見て、女性陣はきゃーっと黄色い声をあげて駆け寄ってきた。
「なになに! 楓っち、もう出てきて大丈夫なの!?」
「ちょっとー心配したんだからねー!」
彼女たちは私の頭をかわるがわるに撫でさする。
「わ、わわわ」
「ちょっとねーさんたち、紫乃から聞いとったやろ? 楓ちゃん今記憶全然なくて困っとっとやけん。そうごねごね撫で回してびっくりさせんでやって」
「聞いてたけど、それと撫でたいのは別じゃない」
お姉さんの一人が、私の肩にぎゅっと腕を回す。
お化粧からなのか、パウダリーないい匂いがする。
「あー楓ちゃん可愛い。霊力美味しい。いっぱい分けて分けて」
「れ、霊力って分けられるんですか?」
「楓ちゃんくらい強い子なら、毛穴からどんどん放出してるのよ」
「毛穴からかはわからないけど、とにかく漏れてるもんね」
「今日うちら大事な日だから、しっかり浴びさせて」
「私も私も」
かわるがわるお姉さんたちにもみくちゃにされる私を、羽犬さんが引っ張り出す。
「だああ、もう、楓ちゃん混乱しとるやろ。今は彼女なんも知らんとやけん」
「ちっ」
「舌打ちせんでよねーさん……で、注文は?」
「もちろんいつものやつ! モーニングね!」
そう言い残し、ぞろぞろと席に着くお姉さん方。ロングヘアをなびかせて颯爽と座ると、嵐が過ぎ去ったようだ。
「さて、モーニング準備急がんと」
「あ、よかったら私手伝いますよ。食材に触らないなら、大丈夫ですよね」
腕まくりする羽犬さんに言うと、彼はぱっと顔を明るくする。
「よか? 助かるよ! ちゃんとバイト代出すけんね」
「えーいいんですか?」
「よかてよかて、こげんかとはちゃんとせんと」
予備のエプロンを受け取ると、私は羽犬さんと一緒にキッチンに入ってモーニングの準備をする。手を動かしながら、羽犬さんは私に彼女たちの説明をした。
「あの人らはね、人魚の皆さん。二丈の海の浜女とか、長崎の方の磯女とか出自は色々で……あっ、川が狩り場の川姫の人もおらすね。みんな友達でちょいちょいここに集まってくれるんよ」
「荷物が多いみたいだけど、ご旅行にでも行かれるんですか?」
私の言葉を耳ざとく聞きつけ、お姉さんたちが一斉に笑顔で私を見る。
両手には魔法少女のようなペンライトが装着されていた。
「ジェリッシュの日本公演!」
「場所は百道、任意の名前ドーム!」
「会場十七時! グッズ販売は十六時から!」
「だから日本海側の人魚、みんなで集まったの!」
すごい熱気だ。だけど私は片手をあげて質問する。
「ええと……その任意の名前ドームって。今の名前はたしかみ……」
「あー! 言わんで!」
人魚さんたちは一斉に私の言葉を遮る。
「私たちにとっては名前覚え切れないから、『任意の名前ドーム』って呼んでるのよ!」
「そ、そうですか」
「短命の子たちなら覚えられるだろうけど、うちら一番若くても八十代だからね」
「そうそう。まだうっかりすると平和台って言っちゃう」
「球団名も間違えるよね~」
「アイドルは忘れないのにね」
彼女たちはきゃっきゃと盛り上がる。
「今回は福岡がスタートなのよ、ライブツアー。楓ちゃんも毎年行ってるのよ、初夏は唐津の波戸岬の音楽フェスでしょ、夏は糸島の芥屋のサンセットフェスでしょ……あっ今年も行くよね!」
「記憶喪失でも行っていいなら是非」
「当然じゃーん! んじゃ決定ねーっ!」
彼女たちはキラキラして綺麗で、プロのアイドルにひけを取らない美しさだ。
すらっとして髪が長くて綺麗な彼女たちは、きっとライブ会場でも迫力あるのだろう。
話している間にスピーディにモーニングは完成し、私と羽犬さんで一緒に両手に抱えて席に運んだ。
厚切りパンにバターがじゅわっと塗られたトーストと、ゆで卵。大粒の果肉が残った苺ジャムに、ホイップまでついている。それにそれぞれコーヒーだったりカフェモカだったりのドリンクオーダー。さらにポテサラがついてくる─羽犬さんが今朝朝食に出していたのと同じものだ。
モーニングセットを見て、お姉さんたちの瞳がぱっと輝いた。
「相変わらず腕だけは最高! はーくん!」
「顔もいいやろ、顔も」
にやっと笑って決め顔をする羽犬さんに、人魚さんたちは楽しげに笑う。
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