第6話 治らない記憶喪失とはやかけん

 記憶を失って一週間。

 紫乃さんと一緒に母校に行ってみたり、昔なじみの場所にあちこち行ってみたり、最終的には


「転んで頭を強く打ちました!」


 と普通のお医者さんの診察まで受けたりした。


 けれど、相変わらず全く何も思い出せなかった。

 私は紫乃さんの屋敷の別棟にある修行場にいた。

 場所に合わせてだろう、紫乃さんは細身のジャージの上下を纏っている。淡いグレージュカラーがよく似合う。


「こういうときって和装じゃないんですか」

「和装が似合う顔と体型なら、普段から着てるよ」


 見ればわかるだろう、と言いたげに、中に重ねたTシャツを引っ張ってみせる。顔が小さくて細身のすらりとした体型は、確かに和装が引っかかる場所がない。


「そういえば紫乃さん、どうして絶妙に日本人離れしたビジュアルなんですか?」

「さあ。具現化した当時の俺にとっては、これが一番しっくりきたからかな?」

「うーん、古代の不思議」


 紫乃さんは私を見て尋ねる。


「楓、巫女装束は出せ……ないよな」

「なおしてる場所も知らないです」

「ああ……そういう意味じゃないんだ。楓は霊力コントロールで巫女装束をいつでも身に纏うことができる。ほら、日曜の朝に楓が見てたアニメみたいに」

「魔法少女の変身みたいに、ってことですか?」

「そうそう」


 紫乃さんは頷いた。


「楓は生まれたときからずっと修行をしていたから、なんでもできたんだ。でも今の楓は記憶を失う前の楓が持っていた技能はまっさらだ。歌で祓うのも、神楽鈴を用いるのも今の楓には難しいだろうし、霊力のコントロールも一から覚えなければいけない」

「悲しいなあ」

「昔から使っていた道具の中には、今もそのまま使えるものがある。それがこちら」


 紫乃さんは言いながら、おもむろにICカードを取り出す。

 明朝体のひらがなで『はやかけん』と大胆に描かれ、マスコットキャラクターのちかまるくんの正面向きの笑顔がこちらを見つめる、見慣れた福岡市営地下鉄のものだ。ICカードでよく使われる『○○カ』の名称ルールにも則っていないフリースタイルなデザインのそれを、私はまじまじと見る。


「ええと……はやかけん……ですね?」

「ああ、はやかけんだ。右上のところに『アジアのリーダー都市へ』が追加された第二世代修正後版のものだな」


 紫乃さんは右上のFUKUOKA NEXTのロゴ部分を示したのち、続ける。


「幼い頃からずっと身につけてきた持ち物には呪力を籠めやすい。ICカード自体も情報を書き込まれるのに慣れているし、個人情報がしっかり納められている。学生時代はずっと定期として使ってたから、本名と生年月日も印字されてるし、呪符として完璧なんだ。ほらここ」

「ほんとだ、リインカエデって書いてある」


 淡い紫のケースに収められていて、ストラップは使い込まれているのがわかる。


「楓は常にこれを携帯し、己の霊力の調節に使っていた。溢れそうなときに……もういいか、説明より使ったほうが早いな」


 紫乃さんは説明を打ち切ると、道場の向かいの壁を示した。壁には的がいくつか描いてある。


「ビームが出るから、アレに頑張って当ててみるんだ」

「突然雑になりましたね!?」

「言葉で説明は難しくてな。ほら、神(おれ)にとって当たり前のことを一から嚙み砕くのは。これまでも習うより慣れろの教育方針で来たし」

「そもそも巫女がビーム出していいんですか。しかもはやかけんから。もっとこう……巫女っぽい何かは……」

「一応、正式な場所では『地祇巫女の光条』やら『命婦の慈光』やらそれっぽい名称をつけていたけど、はやかけんビームは、はやかけんビームだし」

「はやかけんビーム……」


 私はなんとも言えない気持ちではやかけんを見つめた。

 はやかけんからビームが出る姿が想像できないけれど、元の力を回復するには必要なことだ。


「……まあ、確かに実践あるのみですよね、やってみます!」

「いけいけー」


 紫乃さんがぱちぱちと拍手する。私は仁王立ちになり、はやかけんを構える。

 まずはとにかく、ビームが出るように念じた!


「……出ませんね」

「言葉にするのはどうだ? 砲丸投げも声を出したほうが飛距離が伸びるって言うし」

「それと一緒にしていいんだ……よ、よーし!『ビーム!』」

「……出ないな」

「はやかけんビーム!」

「おっ、ちょっと光った。必殺技を口に出すと強いな。頑張れ頑張れ! できるできる!」

「うおおおお! はやかけんビーム!!」

「あ、また出なくなった」

「えーん! ちかまるくん助けて! はやかけんビーム!!」


 ─そんなこんなでしばらくの間修行をしたけれど、結局はやかけんからビームが出ることはなかった。


「ごめんなさい、ふがいないです」

「いや、頑張ってるから大丈夫。コツさえ思い出したらすぐできるようになるよ。ちかまるくんも応援してるさ」

「してくれてるかなあ。頑張ろ」


 紫乃さんはねぎらうように私の髪を撫でる。優しいからこそ悔しくなる。


「うう、早く社会復帰しなければ……!」

 私は拳を握り誓った。早くビームを出そう!


◇◇◇


 そして記憶を失って八日目の夜。

 結局今夜の修行でもビームは出なかった。


「まあまあ、すぐに上手くいかなくてもしょうがないさ」

「前の私はどれくらいでできたんですか?」

「……未就学児のうちかな」

「……」

「だから四、五年は修行が必要なんだ。まだほら、八日じゃないか。大丈夫だって」

「はーい……」


 しょんぼりしながら道場から出ようとしたとき、紫乃さんに呼び止められる。


「悪いが明日はちょっと所用で家を空けるんだ。だから昼の修行に付き合えない」


 私の修行に付き合わせていたけれど、紫乃さんだって忙しいのだ。

 私が巫女として働けなくなったせいで、紫乃さんの負担も増えていることだろう。

 理由を言わない紫乃さんに申し訳なくなりつつ、私はぶんぶんと首を横に振る。


「謝らないでくださいよ。私だって記憶を取り戻せないばかりか、巫女としてポンコツになっちゃってご迷惑おかけしてるんですし」

「……守れなくて、ほんとごめんな」


 この件になると、紫乃さんは見るからに申し訳なさそうにする。いたたまれなくて私は慌ててフォローする。


「あああ、それ以上しょげないでいいですってばあ」


 そして言葉通り、翌朝紫乃さんの姿はなかった。

 いつもは布団を上げて身支度を済ませた頃に、様子を見に来てくれていたのだ。


「今日は一人で修行かな。頑張ろっと」


 今日はフーディにショートパンツ、明るい色合いのソックスのコーディネイトセットを選んだ。カジュアルなスタイルで服装だけでも元気になろうという算段だ。

 ちなみに服は全部紫乃さんの趣味らしい。

 先日クローゼットの奥にしまわれた煮染め色のペイズリー柄のワンピースに気づいたとき、紫乃さんが


 「それは前の楓が……買った服だ……」


 と気まずそうな表情で明かしてくれた。

 着てみると案外似合うかもしれないと着てみたけれど、肩幅が広く、足が短く、お腹が出て見える最悪の似合わなさだった。

 それに引き換え紫乃さんが合わせてくれたセットは、どれを着ても可愛い。


「きっと、紫乃さんと一緒に服を買いにいったりしてたんだろうなあ」


 鏡の中の自分を見ながら、消えてしまった過去を想像する。

 周りから私たちはどんな関係に見えていたのだろう。少し考えてみたけれど、お腹が空いたので部屋を出た。

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