第3話 福岡天神ではよくあること

「……今回の件も、あんな雑魚が力をつけていたのもあいつのせいのような気がするが……少し調べてみないと……」

「雑魚ってあの、紫乃さんが念入りにトラックで何度か踏んでたあの男の人ですか?」

「ああ。あれは贄山隠(にえやまかくる)。関東某所在住の二十七歳、最近お家騒動起こした呪詛師だ」


 信号待ちの間に紫乃さんがスマートフォンでホームページを開いてくれた。

 そこには呪い屋としての経歴や株式会社としての説明、社歴、実績などが書かれている。


『安心してください! 念願成就絶対保証!』


 闇の呪詛師らしき人々がガッツポーズをし、前のめりの笑顔で集合写真を撮っている。

 確かに真ん中で笑顔を見せている男性は、四トントラックで念入りに撥ねた覚えがある。


「闇の呪詛師がこんなノリでいいの」

「そんなもんだって、噓はついてないんだし」

「で、これに私たちは……対処した、んですね?」


 紫乃さんは頷く。


「人あらざる、まつろわざる連中─今ならあやかしって言い方が一番妥当かな。付き合いがあるあやかしから依頼があったんだ、自分のところの土地神や、祀られなくなって愛情に飢えた無縁仏たちが奴らに利用されているとな。俺の管轄外だが、福岡から移住した稲荷(いな り)神や武士の御魂(み たま)もいるし、縁がある連中から泣きつかれたら黙ってるわけにもいかなくてな」

「それで、関東まで……」


 私は呟いたのちにはっとする。


「もしかして、だから燃やしたんですか? 彼らの魂が蹂躙された場所を、炎で清めるために」

「そうそう。歌いながら灯油撒いたって言っただろ?」

「説明が悪すぎる!」


 はははと笑って、紫乃さんはハンドルを左に切る。

 牧のうどんの看板が見えてきた。


「楓も巫女として、千切っては投げ千切っては投げの大乱闘……もといお祓いをしていたんだ。みんな笑顔で成仏していったよ」

「……それなら、よかったです」


 私はようやく安堵できた。

 さすがに記憶喪失からの大量殺人鬼スタートなんて嫌だ。


「楓と俺は普段、土地神と巫女として福岡を中心に北部九州あたりのあやかしの祓いをしている。行政の依頼でやることもあるし、旧知から相談を受けて動くこともある。福岡を離れていく人から移住してくるあやかしに土地の仲介をしたり、あやかしの就職先の斡旋なんかもするから、建前としていろいろ事業はやってるよ」


 紫乃さんはこちらを見て、ちょっと微笑む。


「楓が社会で生きるには人間としての居場所が必要だから。それに政教分離の都合もあるし、明治維新のときに正式な神職として認められなかったから民間ってことにするしかないんだ」

「いきなり地に足がついた話ですね」

「博多湾にビームで吹っ飛ばしたり、鈴で思いっ切り殴ったり」

「そっちの意味の『沈める』!?」

「普通の巫女なら歌や踊りで鎮めるんだけど、楓は霊力がわんぱくだからなあ」

「わんぱくで片づけていいの」


 そうこうしているうちに牧のうどんに到着した。

 着くだけで急に空腹感が増してくるのだから、不思議なものだ。


「ラッキー、駐車場空いてた」

「紫乃さん」

「ん?」

「じゃあ最後にこれでもかと轢いていたあの男の人……贄山さん? も、轢いてオッケーな死霊とかだったんですね?」

「よし行こうか、今はちょうど席空いてるみたいだ」

「待って、私の質問」

「ほらほら、急ぎなさい。席埋まるぞ」


 紫乃さんが微笑んで手招きする。私はとりあえず、食欲に従うことにした。

 席は奥のほうが空いていて、私たちはそこに座ることになった。

 周りは親子連れから地元のなじみのお年寄り、髪の毛を上に思いっ切り立てたやんちゃそうな人々までたくさん溢れている。

 超美形の紫乃さんがいても、誰もこちらに特別な注目を向けることはない。

 注文してすぐに配膳されたゆるゆるのおうどんを食べながら、私はしみじみと紫乃さんに言った。


「紫乃さん、神様なのにうどん食べるんですか?」

「土地の恵みだから土地神にとっては神力になるんだ。ほら、うどんも喜んでる」

「うわあびちびちしてる」


 びちびちと活きがいいうどんを啜る姿も絵になるのだから、綺麗な人というのはすごい。

 私も目の保養ばかりに気を取られないように、うどんをするすると食べた。美味しい。髪の毛を一つにくくっててよかったと思う。


「あーおだしがしとしとで美味しいー」

「わしはしこしこの讃岐うどんが好きだがな」

「楓、ねぎが顔に飛んでる」

「あ、ありがとうございます」


 紫乃さんが頰についたネギを取ってくれる。一寸遅れて気づく。


「今おじさんの声が聞こえませんでした?」

「ああ、そこに先生がいるから」

「えっ」


 紫乃さんの視線の先を見ると、長テーブルのそばに花をつけた梅の枝が一枝、転がっていた。

 今は春だから梅の季節だ。


「あわわ、どこかで引っかけて折っちゃったのかな」

「違う、触るでない。湯飲みに入れるな迷惑になる」


 梅の枝から声がする。スマートフォンやイヤフォンから声が聞こえるのに似ていた。


「あの……菅原道真公で、いらっしゃるのですか?」

「先生と呼べ。人間のときの名は呼ばれたくない」


 そして紫乃さんはスピーカーモードにしたスマホに話しかけるような調子で尋ねた。


「先生。贄山の動きはどうだ」

「壊滅した。あちらの天満宮によると、贄山の事務所が壊滅したのを皮切りにしばらくは呪詛合戦が起こるようだ。こちらに次の話が来ることはないだろう。あちらの土地神が詫びていた、楓の回復のためならなんでも協力するとな。また情報が入ったら伝えよう」

「感謝する」


 会話の外野になっていた私に、紫乃さんが補足説明をしてくれる。


「先生は今も全国で信仰される神で、神通力は日本全国からハワイまで及ぶ。贄山の件があった関東の神霊関係の情報を見て貰っているんだ」

「ありがとうございます」

「なに、楓には生前世話になっとるからな。人間は好かぬが楓なら仕方ない。体を大事にしなさい」

「はい」


 梅の花は枝ごとふわっと散っていく。梅の香りだけがうどん屋のだしの匂いに溶けていく。

 紫乃さんが肩をすくめた。


「記憶が自然に戻るか、取り返さなければならないかも今はわからないな」

「いやー、こんなにラフに菅原道真公が話しかけてくるなんて……」

「梅の花がその辺にあったら、だいたい先生だよ」

「壁に耳あり障子に目あり、梅に先生あり……」


 近くの席で大笑いする誰かの声が聞こえる。

 梅の木に話しかける珍妙な私たちにも、誰もこちらを気にしている様子はなかった。


「梅の木がしゃべっても、みんな気にしないんですね」

「結構その辺にあやかしいるからなあ。無意識に見慣れてる人が多いんだよ。あとは、客もそれなりにあやかしがいるからかな」

「えっ」

「そっか。今の楓には見えないか。……少し目、閉じて?」


 紫乃さんに言われるままに目を閉じる。

 いい匂いがして瞼に何かが触れた気がした。


「いいよ」


 言われるままに目を開くと、見える景色が変わっていた。

 お客さんの四分の一くらいが、人間じゃない感じに見える。


「うわあ、人魚もいる。カワウソさんもいる……ほんとに結構多いんですね」


 唇を舐めながら、紫乃さんが答える。


「天神に行くともっといるよ。外様大名の黒田、配流で訪れた菅原道真、海からやってきた外国商人たちやら、いろいろな新しい住人が多かったこの土地は、今でも気軽なノリであやかしが集まる場所だから」


 紫乃さんは簡単に、私に福岡とあやかしについての説明をしてくれた。

 福岡、特に福岡市天神近辺はあやかしが多く住む土地らしい。

 九州圏内はもちろん、廻船の運輸がメインだった時代から繫がりのある日本海側、そして海外。厳しく統制された首都圏や関西のあやかし事情に比べて、こちらはずっと混沌としておおらかなところがあるという。


「宗像大社や筥崎宮のある東区や山笠の加護が強い博多近辺は、全然空気が違うし俺はノータッチだけどね。元々海に向かって開かれた糸島と先生の神通力が強い天神大牟田線沿線は、結構移住者が多いよ。ああ、東区と言っても照葉は多いかな?」

「へー……地名はわかるのにそれ以外の知識が全て消えてます」

「うーん重症だな」


 そんな話を聞いているうちに、うどんも食べ終わって店を出た。

 さようなら、また来ます牧のうどん。

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