第2話 身に覚えのない異類婚姻譚

 神様は平然と答えた。


「戸籍上は娘で育てたのは俺だけど、俺と楓は夫婦の運命だから、一応」

「夫婦!? 運命!?」

「巫女と神様だからそりゃまあ」

「さも当然のように言われましても」

「もちろん、今世はまだ関係をどうするかはっきりしないままだったから、現状、父親代わりってのが一番関係性としては近いかもしれないけど」

「あ、あわわ……」


 私は困惑した。関係がわかったようで、わからない。


「ええとでは……私どんな距離感で紫乃さんと向き合えば」

「今の楓の楽な関係にしてくれればいいよ」

「大雑把だなあ」

「娘にしろ妻にしろ楓は大切な楓に変わりないし、俺にとっては問題ないからなあ」

「私には結構な大問題ですよぉ」


 私は困った。紫乃さんは綺麗な男の人だ。恋愛対象になるかならないかでいえば、多分なる。でも育ての親代わりのような人だと言われると、なんだか背徳的な気もしなくもない。


「まあ、今はゆっくり眠りなさい。俺も傍にいるから」


 紫乃さんは私を再び横たえると、布団を肩までかけてぽんぽんと叩く。

 混乱していたのに急に眠気が襲ってきた。この人と一緒にいると落ち着くのだと、体が覚えているのかもしれない。


「……紫乃さん」

「ん?」

「……本当に、昨日のこと、捕まりませんか? 犯罪じゃない?」

「大丈夫大丈夫」

「私、記憶を失う前は紫乃さんにどんなふうに接してたんですか?」

「前のことは気にしなくていいよ。今の楓は今の楓なんだから。まずは寝なさい」


 穏やかに額を撫でながら言われた。疲れているのだろう、私は再びまどろみに落ちていく。

 まあいいや。難しいことは後で考えればいいのだから。

 璃院楓、十八歳。記憶喪失ほやほや。

 わかっているのは自分が神様の巫女(つま)で戸籍上の娘であること、それだけだ。


◇◇◇


 すっと意識が浮上する。目を開くと、部屋は夕日で染まっていた。

 なんだか寝てばかりだなと思って横を見ると、隣で寝そべる紫乃さんと目が合った。


「うわっ」

「おはよう」


 思わず声が出た私に動じず、紫乃さんはにこりと笑う。同衾はせず畳に身を横たえ、布団の上から私を叩いてくれている。添い寝をしてくれていたらしい。


「おはようございます。ええと、今何時ですか?」

「まだ夕方。もうすぐ六時半かな」

「ずっとこうしてくれていたんですか?」

「ああ。触れている方が霊力の回復も早いから」

「ありがとうございます。びっくりしちゃって失礼しました」


 私はお礼を言って身を起こした。


「具合はどうだ?」

「お腹が空きました……」

「そっか。じゃあ何か……」


 紫乃さんは立ち上がろうとして、思い出したように座り直す。


「いや、台所使ったらまずいな。食材が過度におおはしゃぎする」

「どういう意味ですか」

「土地神(おれ)が料理しようとすると喧嘩するんだ。やれ自分が調理される、自分が食われたいって」

「難儀ですねえ」

「いつもなら料理人がいるんだけど、今日はな。……外食と出前、どっちがいい?」

「うーん……じゃあ、外に出たいです。記憶が戻るきっかけになるかもしれないので」

「わかった。隣が楓の部屋だから、着替えておいで。俺も用意して待ってる。でも無理するなよ」


 紫乃さんは私の頭をひと撫ですると、隣の部屋を指し示して去っていく。

 襖の向こうの部屋はフローリングの和モダンな部屋になっていて、壁一面のハンガーラックや収納がおしゃれに置いてあった。しっかり見てみたくもあるものの、待たせるのも忍びない。

 私は一番手前のハンガーを手に取る。服はコーディネイトされて吊るされている。便利だ。

 カットソーに袖を通してストレートのデニムパンツを穿き、私は姿見を覗く。


 改めてじっくり見ても、紫乃さんと似ても似つかない。

 どちらかというとタヌキ顔。

 丸っこい栗色の目に栗色のセミロングで、あまり色素は濃くないタイプだ。


「ええと、髪はいつもくくってたよね……?」


 姿見に引っかけられたゴムで、簡単に髪をくくる。

 身支度をしていると、私は普段の自分がどんな服が好きだったのか思い出してきた。

 けれど誰と買い物に行ったかとか、普段どんな生活をしていたかとなると、さっぱりだった。


◇◇◇


 数分後。

 私は車庫にあったミニバンの助手席に座っていた。

 走行メーターを見るとずいぶん走り込んでるようだったけれど、車内は綺麗で紫乃さんの几帳面さを感じる。


「どうした? そわそわして」

「あー……ボコボコの四トントラックじゃなくてよかったなあ、と思いまして」

「ははは、あれは乗り捨てたよ」

「乗り捨てた?」


 紫乃さんは話をスルーして、発車させる。


「正門には天満宮を設置してるからどこにでも行けるけど、とりあえず牧のうどんでいい?」

「さっき聞きそびれたんですけど、天満宮ってなんなんですか? ワープゲートみたいに使ってる気がするんですが……」

「ワープゲートだよ。ここの屋敷は俺が作った神域にあって、現世……普通の世界の福岡からは離れている。で、毎回二つの領域を繫ぐのも結構手間だから菅原道真(かれ)と提携して全国各地の天満宮の鳥居をワープゲートにさせて貰ってるんだ。九州の天満宮なら連絡なしに飛べるよ」

「便利ですねえ」


 車が門を出る。

 また光に飛び込み、気がつけば普通の車道を走っている。山に面した道だ。

 後ろを振り返ると夕暮れの天満宮が見えている。加布里天満宮だ、覚えがある。


「202号線を東に行くと牧のうどんだけど、覚えてる?」

「あー……誰かに連れていってもらったような……」

「俺俺」

「……そのあたりが全く記憶ないですね~……」

「あやかしや神霊にまつわる部分の記憶だけが、ごっそり欠けてるみたいだな。じゃあ天満宮で遊んで貰った記憶もないかー」

「誰にですか?」

「菅原道真。通称先生」

「ご祭神じきじきに!?」


 夕暮れの202号線は福岡市内からこちらへと向かう車が多い。反対車線の混み具合を眺めながら、私はふと気になったことを尋ねた。


「紫乃さん、どこに祀られている神様なんですか?」

「俺そのものを祀ってるところはないかな、別名義だったり、俺から分かれて人々に祀られるようになった神は残っているけれど。そうそう、璃院紫乃は楓の保護者としての名前で、本来の名前は紫乃。昔の楓が『紫のほうの神様』を縮めて名付けてくれたんだ」


 まるでもう一人神様がいるような口ぶりだ。


「筑紫の筑はどこに行ったんですか」

「喧嘩別れしてそれっきりだな」

「いるんだ。そして喧嘩別れしたんだ……」


 反対車線、中心部方面から糸島に向かう道は相変わらず混んでいる。

 最近宅地化が進んだわりには道路の敷設が追いついていないので、混みやすいのだ。

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