第6話 繫がり
舞耶は中嶋の言葉がずっと気になっていた。たしかに今まで色んなことが起きすぎて混乱していたが、思い返せばこの事件には引っかかることがいくつもあった。舞耶は自分の携帯で恭太の事件を調べた。
恭太は送迎や夕方の散歩のために人が掃けたタイミングで居室にいる利用者を順番に手に掛けた。受傷の程度は本当にムラがあり、手首に傷をつけられただけの人、足首を折られた人、ラケットで喉元を複数回刺された人など。
亡くなった二人の利用者は精神症状により日常生活にかなりの手助けが必要で、病院での治療とホームでの生活を常に行き来している人だった。二人とも統合失調症と認知症を複合した症状が常に出ており、自殺企図などがない代わりに他者への暴力性が少し問題になっていた。頓用薬を使用することで落ち着くため入院することなくホームで調整しているところだった。二人ともともに生活を送る予定の家族がいたが認知症の症状が強く出ているうちは一緒に暮らせないと足踏みしている状態だった。この二人に関しては急に怒りっぽくなったり常に目が離せない時もあるため恭太が関わることは少なく医療スタッフが介入することがほとんどだった。食事も大人数では集中できないため居室でスタッフが付きっきりで介助していた。
恭太が他人に危害を加えること自体イメージもできない舞耶だが、考えれば考えるほど違和感が生まれた。恭太は何を思って対象者を選んだのか、傷の深さの違いにはどんな理由があるのか。
恭太は合計八人の利用者を襲い、わずか二十分ほどで証拠隠滅のための行動に移っている。この時間については事情聴取の際に刑事から告げられたことだ。この二十分の間舞耶は休憩室で眠り込んでしまい物音も何も聞こえなかった。でもまったく音が聞こえないというのも妙だ。
エキナセアは利用者の居室やトイレなど利用者が一人になるような空間には呼び出しボタンが設置されている。入居している利用者のほとんどは自分で呼び出しボタンを押せる人ばかりだ。異変に気が付けば舞耶のいた休憩室にも呼び出しの音が聞こえるはずだ。しかし他のスタッフが送迎から戻り叫び声が聞こえるまでは何も物音に気が付かなかった。ましてや軽傷で済んだ人のほとんどは自宅とホームを行ったり来たりしているような介助度の少ない人たちばかりだった。誰かがボタンを押したのなら気が付けたはずだった。
それに取り押さえられた恭太の服には少量の血液のみが付着していた。舞耶はインターネットに上がっている事件当時の動画を開いた。そこには右頬にべったりと血が付き、来ているユニホームには斜めに触られたような形で血が付いた恭太がいた。あの日廊下にはいろんな人が踏み伸ばしたであろう赤黒い出血が広がっており、恭太についた出血はその量に見合っていないように見えた。
舞耶は冷静になった今感じ始めた違和感の正体を突き止める必要があると思った。
谷川の家に着き、インターホンを押すとスウェット姿の彼がドアを開けた。
「お疲れさまでした。迷わなかったですか?」
「うん、大丈夫だった。もしかして荷物もう全部降ろしてくれたの?」
「俺は暇だったんで。警察でどんなこと聞かれたんですか?」
玄関に入るとすぐに大きな猫が舞耶に駆け寄ってきた。舞耶は驚いたが以前から谷川が猫を飼っていることは聞いていたためその子の名前を呼んだ。
「ママン、だっけ。可愛い。私もペット飼育可能の家なら猫飼ってたな。」
「こいつ人見知りしない性格なんでたくさん触ってあげてください。荷物とりあえず奥の空いてる部屋に入れたのでもし整理したりするのが大変なら手伝います。」
舞耶の足元を猫が体を当てながら動きまわっている。ゴロゴロと聞こえてくる愛くるしい音は舞耶にとって新鮮で心癒されるものだ。思わず愛くるしさに微笑んでいる舞耶を見て谷川はママンを抱き上げた。そのまま舞耶にグイッとママンを預け、「抱っこしてていいですよ。荷物は指示してくれれば俺が片付けます。」と奥の部屋に歩いて行った。
「私の荷物だし、片付けるの私がやるからいいよ。待って待って。」
慌てて谷川についていき、二人で荷物の整理を始めた。ママンの存在のせいで中々舞耶は手が進まなかったが谷川がてきぱきと作業を進め、荷物の片づけは二時間ほどで済んだ。
舞耶の荷物はほとんどが恭太の物だった。舞耶自身は少しの洋服と看護学生の時から愛用している臨床看護の参考書二冊、その他にはボストンバック一つ分の日用品のみを持ってきていた。恭太の荷物は何一つ捨てることができず、結局レンタルコンテナを契約し恭太の荷物はそこに預けることにした。
恭太の存在を色濃く主張するそれらの荷物は舞耶にとって今近くに置けないほど切ないものだった。しかし恭太がくれた手紙と幼いころの恭太のアルバムだけは手元に置くことにした。そのアルバムは恭太が小学生に上がるまでの写真が入っており、舞耶にとってその頃の恭太の写真が可愛くて仕方がなかった。部屋の片づけが終わり、気が付くと外が暗くなっていた。
「夕食どうしましょう。外食にしますか?」
「外食は人の目が気になって食事に集中できないんだよね…。もし谷川君が嫌じゃなければキッチン使ってもいい?」
「ご飯作ってくれるんですか。」
舞耶は谷川の嬉しそうな様子に、彼が好意を持った上で自分を住まわしてくれることをすっかり忘れていた。何度も好意を断る舞耶に今でも態度を変えずに助けてくれる彼には感謝しなければならない。しかしこれ以上実らない好意を思わせぶるほど残酷なことはない。思わせぶりな態度ではなく単純なお礼をしたかった。
「…居候させてもらえるだけでもありがたいから。」
舞耶はシングルマザーで恭太ほど年齢の大きい子供の母親には一見見られなかった。童顔で可愛らしい顔立ちで三十歳を超えても大学生と偽れそうなルックスだったためだ。恭太が生まれてから子育てに自分のすべての時間を費やしていた。そんな舞耶でもそのルックスと人懐っこい笑顔のためか谷川の他に言い寄ってくれる男性は過去にも何人かいた。しかし舞耶は今まで一度も交際の申し入れを受け入れたことはないし、パートナーを作ろうという気にはならなかった。
恭太がパートナーのような存在だった。大きくなるにつれ、より優しく逞しく愛情深い性格に育ってくれた。もし万が一谷川とそういう関係に進展したとして恭太はどう思うのだろうか。少し前までは谷川との交際をむしろ後押しするような様子もあったが最近の恭太は違っていた。
ホームから帰るときには舞耶の手を握り、何も話さない。少しでも谷川の話をすると見る見るうちに表情が険しくなった。明らかに谷川に対して嫌悪を抱いているのかと思ったがそうではなかった。谷川だけでなくホームで接する男性全員がその対象のようだった。ホームでそんなわかりやすく態度に出すことはなかったが、舞耶と二人になると何か抑えきれない苛立ちを押さえ込むような表情を見せた。それだけではない。時折恭太の部屋から何かすすり泣くような小さな声が聞こえることもあった。明らかに恭太の精神状態が崩れていた。舞耶は何度も恭太と話をしようとしたが恭太はそれを拒み、それが原因で喧嘩が増えていった。
恭太の様子が可笑しくなったのはここ一か月ほどのことだ。舞耶は恭太がどうしてあんなに不安定だったのかを知りたいと思っていた。
しかし今や恭太の母として世間に知れ渡っている以上、派手に動きまわることができない。できれば恭太の通っていた学校のクラスメイトや部活動の仲間から話が聞きたい。
舞耶はリストを取り出した。そこには「恭太の学校生活を知る」と書いてある。問題は方法。舞耶は携帯の画面に触れた。
まずは高校生達がこぞってインストールしているSNSを舞耶もインストールした。すぐさまそのアプリを開いた。舞耶はハッシュタグの機能を使い恭太のアカウントを探した。恭太は家にこそ友人を連れてくることはなかったが夜中によく通話をしていた。また舞耶とどこかへ出かけた時もよく写真を撮っていた。恭太が言っていた。
「今は自分の楽しいと思ったことや、それ以外の色んな感情と出来事を友達にシェアするんだ。そうすると友達が僕を分かったような気になってくれる。それだけでただの友達が少し仲のいい友達になるから。」
恭太にも細かな感情をシェアしたい友人がいたに違いない。
舞耶はあまりSNSに詳しくない。でも普段からよく携帯を触るため新たなSNSの機能に手こずることはなかった。
恭太の名前を数パターン、高校の名前、バトミントン、その他恭太が好んだものを思い出せる限り検索に掛けた。
数十分の格闘の上、それらしきアカウントを発見した。
一つは恭太のアルファベットの後ろに0120の数字の付いたアカウント。
もう一つ、Kという名前のアカウントを発見した。
一つ目は恭太のアカウントに間違いなかった。顔こそ出していないが日常の呟きは恭太そのものだった。内容は誰でも見れるようになっておりうまく高校名や地域が特定されるような画像は上がっていない。しかし事件以降度の投稿にも恭太を中傷するコメントで溢れていた。混沌としたインターネットの渦の中恭太の一つずつ呟きを確認するといくつかのことに気が付いた。
まず週に二回は投稿されていた呟きはここ一か月ほどまったく新規の投稿がなかった。他の人の投稿に反応した様子も無い。さらによく見ると恭太の投稿に毎回反応しているアカウントがあった。そのアカウント名は「ひまり」となっており、恭太の投稿にリアクションを送っている。舞耶はそのひまりというアカウントのプロフィールに飛んだ。
プロフィールによるとひまりは恭太と同じ学年の女の子のようだ。ひまりのアカウントのフォロー欄にはもう一つのアカウント、Kがいた。Kのプロフィール画像は真美さんと舞耶が作った栞だった。ひまりのアカウントは恭太のように公開されていないためどのような子なのか把握することができなかった。
「ねえ谷川君。聞いてもいいかな。」「なんですか?」
「この子に連絡取りたいんだけど、どうしたらいいと思う?」
「これ恭太のアカウントですか?」「そう。この子多分恭太と仲いい子だと思うんだけど恭太の学校での様子を聞いてみたくて…。」
谷川が指先を素早く動かしてメッセージ画面を表示した。
「この子フォローしてなくてもメッセージ受け付けてて向こうが承認してくれればやり取りがせきます。ここから送ってみてください。」
「なるほど。ここから送れるんだ。」
舞耶は熱心にメッセージを打ち込み始めた。この子から最近の恭太に何があったのか舞耶の知らないエピソードが聞けるかもしれない。
舞耶は毎日真美さんのお見舞いに通っていた。真美さんは打ちどころが悪かったのとショックが強かったのが原因で中々意識が戻らないでいた。谷川は病院まで送迎してくれるが面会中は二人きりが良いだろうと気を遣い、席を外してくれていた。真美さんは果物やお花が大好きだったためできるだけ新鮮な果物でジュースを作り、花の香りが強いアロマなどを持って行った。
真美さんは意識がないため点滴で栄養を確保していた。担当の医師は今後胃瘻での栄養も検討していたようだが傷の治癒が進まず栄養の注入により二次的合併症のリスクを懸念しているようだ。点滴のみの栄養確保は明らかに真美さんの体には量が不足していた。みるみる痩せる真美さんをみて舞耶は胸が苦しくなった。一見心地よさそうに眠る真美さんの喉元には事件の時に負った傷跡がまだ残っていた。
ひまりにメッセージを送ってから二日間が経った。返信はなく舞耶は肩を落とした。この日舞耶は面会が終わってから谷川にすぐ連絡せず、タクシーで警察署に向った。恭太は相変わらず面会拒否のままだったため中嶋から恭太の様子を聞くためにタクシーを降りた。
そこで思わぬ出会いがあった。警察署の入り口にある自販機の前で女子高生と中嶋が話をしていた。女子高生が着る制服は恭太と同じ高校のものだ。
舞耶は足早に二人に近づいた。
「あの、中島さん。」舞耶に気が付き中嶋が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「どうしたんですか、貫地谷さん。」
中嶋と話す女子高生が舞耶を見た。ショートカットでも分かる可愛らしい顔立ちのその子は中嶋の発した言葉で舞耶が誰かわかったようだ。中嶋が慌ててその子から舞耶は離そうとしたが、その子が逆に舞耶に駆け寄ってきた。
「恭太君のお母さんですか…?」
「もしかしてひまりちゃん?」
アラクネの最期 池里 @ikeri08
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