第2話 人並みな夢
「あの人が言っていたかもしれないけれど、恭太の父親なのは本当。中学生の時に付き合った初めての彼だった。スポーツ万能で、優しくてクラスでも人気の人だった。
妊娠に気が付いたのは高校受験の願書を出す一週間前だった。
彼はみんなから見ると完璧な男の子に見えるんだけど、私と二人きりになると違った本性を見せた。私が浮気してるんじゃないかとか、隠し事をしているんじゃないかとか、そんなことばかり気にしていた。そんな幼い彼に妊娠を告げたところで大事な恭太を一緒に育てるには不安があった。だから彼には妊娠のことは言わずに一人で育てようと思った。正直今の恭太とそんなに変わらない年齢で子供ができて、自分が育てられるのかとても不安だった。
当然みんなに反対もされたしね。でも、恭太がお腹の中で大きくなるのを感じてみんなの反対も、私の将来も、なんとかなるなって思った。実際何とかなってるしね。
彼から離れたのは後になって正解だなって思った。私の体に痣ができてたの覚えてる?彼私が学校に通い始めたのを誰かから聞いたのか何度も会いに来て、それで何度も手を上げられた。接近禁止命令を出してもらってたんだけど、一年とか二年とか期間が開くとどうにかして私の居場所を見つけて会いに来た。彼今日お酒の匂いがしたでしょう?
アルコール依存症だった。私は何も言ってないのに、病気を治したら結婚したいって何度も言いに来て断ると殴られるのを繰り返してた。歯向かうと恭太にも手を上げるって言われて、中々彼の目に着かないところで生活するのって難しかった。今回もどこかから聞きつけたみたいで、見つかっちゃった。前に一度私への暴行で逮捕されて執行猶予付きの判決が出てる。今は保護観察中なのかな。」
「あの痣あの人につけられたんだ。」
「うん。黙っててごめんね。私もできることはしてたつもりだったんだけど、格好良い恭太に傷つけさせちゃった。」
「…格好良くないけどね。」
恭太の困ったような表情に少し安心したのか舞耶はほほ笑んだ。
「もう大丈夫。あの人は今回こそ逮捕されてしばらく刑務所から出てこないはず。もう恭太をこんな目に遭わせるようなことはないからね。」
恭太はこんな風に強く、優しい母が大好きだった。今まで母の言うことに反抗したこともないし、母のことを心から尊敬していた。
舞耶は警察署からの帰りにスーパーに立ち寄り、ビーフシチューの材料を買った。恭太は母のビーフシチューが大好きだった。母のビーフシチューはこだわりなのか、作るのにかなりの時間がかかり、かつどんな店でも食べられない特別な味だった。何度聞いても隠し味は教えてくれなかったが、母がシチューを作っている様子を後ろから眺めるのが恭太は大好きだった。
中学生の恭太はまだ頑張り続けている母に我儘を言えずにいた。ずっとバトミントンがしたいと思っていたが、お金がかかると思い部活動はしないと言った。舞耶は看護師で収入も安定しており恭太に好きなことをさせてあげる余裕も十分にあった。だが恭太は母親思いのために高校生になってアルバイトをしてそのお金で部活動をすると決めていた。その恭太の様子に舞耶も無理に何か言うことはしなかった。中学三年生になった恭太は高校受験に向けて必死に勉強していた。もともと成績のいい恭太だが、どうしても行きたい高校があった。ある程度自由度のある、かつ国公立大学へのルートの多い高校を目指していた。舞耶は恭太に塾へ行くのを進めたが、恭太は自分の力だけで合格したいからと毎日机にかじりついて勉強に励んでいた。
春には恭太は無事志望していた難関校に合格した。
入学式には桜が満開で、風が吹くたびに皆の門出を祝うかのように花弁を散らした。その日恭太は舞耶に緊張を悟られないか心配していた。
恭太は入学試験の成績がトップだったため、その日新入生代表挨拶を任されていた。舞耶が家に不在の時に学校から連絡をもらった恭太はせっかくだからと当日まで舞耶には秘密にしていた。受験が終わったのに、やけに部屋に籠る恭太をみて訝しがっていた舞耶だがいつも通り不要な追及はしなかった。舞耶はこういった行事は欠かさずに来てくれていた。周りの友人たちのどの親よりも若くて可愛らしい舞耶は授業参観でも目立つ存在だった。
「新入生代表挨拶、貫地谷恭太君。」
恭太はひどく緊張した状態で壇上へ上がった。一呼吸おいてゆっくり保護者席に目を向けた。舞耶を見つける前に発表用の原稿を取り出し、口を開いた。
「ねえ、どうして言わなかったのよ。ビデオ回すの遅くなったから最初の部分取れなかったんだけど。」
舞耶は不服そうな表情だ。正直恭太は自分が発表している間の事は何も覚えていない。
「ごめん。驚かせようと思っただけ。僕が読んだら喜ぶかなって。」
「それは、自慢の息子がまさか入学式で代表挨拶するなんて思わなかったし、あんなに難しい文を考えて大勢の前で発表できるくらい成長したのを見せられて、少し寂しいくらいだよ。入試の成績がトップだったのも本当はお祝いしたかったし。」
ブツブツ文句を言い続ける舞耶だが表情から嬉しさや誇らしさが滲んでいて恭太も嬉しかった。
「そういえば、僕アルバイトしようと思うんだけど。いい?」
舞耶はどんどん自分の手を離れようとする息子に喜びと寂しさが一度に押し寄せ思わず表情を曇らせた。
「バイトかあ。でも勉強大変じゃない?皆きっとできる子たちばかりだろうし。それに高校でも部活やらないつもり?」
「高校では部活やりたいと思ってる。ずっとバトミントンやりたくて、部活に必要なものはバイト代で払うつもりでいるから安心して。それに勉強ももともと嫌いじゃないから三つのことうまく両立してみるよ。」
「急に頼もしくならないでよ。」
「高校生って一気に大人になった感じがする。電車やバスがあればどこにでもいけるし、自分でお金を稼ぐこともできる。」
風が吹き、桜の花弁が周囲に舞い、その景色はやけに二人の心に刻まれていた。
「そうか。そうだよね。勉強も、部活も、バイトも無理のない範囲でやるんだよ。バイトはどんなことしたいの?」
「そうだな。将来の役に立ちそうなバイトがいいな。僕も将来は医療関係の仕事に進みたいから、サービス系のバイトがいいかな。」
恭太が将来の夢を話したのは初めてだった。
「えっ。恭太、看護師になりたいの?初めて聞いた。」
「看護師に決めてるわけじゃない。目標は高いほうがいいと思ってるから今は医者になりたいかな。親が人のためになる仕事しているとつい尊敬しちゃうよね。」
恭太はにっこりと笑った。今まで恭太の前で涙を見せたことがなかった舞耶だが、息子の成長に思わず目尻が濡れた。恭太はそんな母にハンカチを当て、涙を拭ってあげた。その夜、恭太は自分の部屋へ行き舞耶はリビングでテレビを見ていた。
「…そっかあ。医療職かあ。いつの間に。」
恭太が自分を心から慕ってくれているのはわかっていた。仕事を頑張る母親の姿に尊敬を抱いているのも感じていた。確かに医療職は将来ロボットにとって代わる仕事ではないし、一生人が人を支える業界だ。不安はない。
舞耶には一か所、アルバイト先に当てがあった。恭太の新入生代表挨拶の動画をテレビで見ながら考えていた。
翌日は土曜日だったため、恭太は八時に目を覚まし、昨日舞耶に買ってもらったアルバイト用の履歴書を書いていた。舞耶が作って行ってくれたパウンドケーキを食べながら、買ったばかりの携帯に指先を滑らせた。よく見るアルバイト求人は全て飲食系のもので、確かにサービス業だが恭太にはあまりピンとこなかった。
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