第7話 お題:秋刀魚 「秋空の下の儀式」

 七輪の上でじゅうじゅうとその身に詰まった脂が焼け、香ばしい匂いが煙と共に辺りに広がっている。

 パタパタと手にしているうちわで七輪の中に空気を送り火力を強め、その香ばしい煙を更に立ち昇らせた。

「そんな焼いたら焦げるよ」

「おばあちゃん」

 背中から少しだけ呆れた様な声がかかり、扇いでいたうちわの手を止め振り返る。

 小柄で背中の曲がったおばあちゃんがその手に大きな盆を持ち、眼鏡の向こうにある小さな目を声同様呆れた様に細めていた。

「だって、この匂い好きなんだもん」

「分かるけど、焦げたら苦くなるよ」

 おばあちゃんの言葉に軽く唇を尖らせてもう一度うちわで七輪を扇ぎ、香ばしい匂いを空気中に広げひくひくと鼻を動かせてその匂いを嗅ぐ。

 秋刀魚の皮が焼け、したたり落ちる脂の甘く焦げる匂い、そして、その内臓へ火が通った少し苦みのある匂い。

 秋特有の高い空の下で、庭に七輪を出して秋刀魚を焼く。

 そして二人で縁側に並んでそれを山盛りの大根おろしと、しょうゆで食べるのだ。

 ……わたしはちょっぴり大根おろしとしょうゆ、苦手なんだけど。でもおばあちゃんはそれがおいしいというから、同じようにして食べる。

 それにみんなそうして食べる、って聞いたから。

「ほら、食べ頃よ」

 おばあちゃんはそう言うと焼けた秋刀魚を一匹細長いお皿に乗せて、縁側のお盆の上に置いた。これはわたしの分。

 そしてもう1枚のお皿にも同じように秋刀魚を乗せる。おばあちゃんの分だ。

 さらにもう一匹をもう1枚のお皿の上に乗せて、おばあちゃんはそのお皿を持ったまままた部屋の中へと戻った。

 おばあちゃんの小さな足がさすさすと畳の上をすべるように歩く音が聞こえて、次に秋刀魚の乗った皿をどこかにコトリと置く音。そして、チーンと涼やかな鈴の様な、なにか金属を叩く音が聞こえて、ふわりと秋刀魚の煙の臭いにお線香の匂いが混ざって秋の空へと吸い込まれていく。

 そのおばあちゃんの儀式にわたしは縁側に大人しく腰掛けて、秋刀魚の香ばしい匂いとお線香の匂いが空気の中に溶け込んでいくのを鼻をひくつかせておばあちゃんが戻ってくるのを待つ。

 これはおばあちゃんだけの特別な儀式だから、わたしは参加しない。

 ただ終わるのを待つだけだ。

 縁側に腰掛けて、美味しそうな秋刀魚を横目にぷらぷらと足を揺らす。

 暫くするとまたさすさすと畳の上をすべるように歩く音が背後に聞こえて、隣におばあちゃんが座った。

「おばあちゃん」

 さっきまで焚いていた線香の匂いがおばあちゃんの体から強く漂ってくる。

「さぁさぁ待たせたわね。食べましょう」

 わたしが笑顔を向けるとおばあちゃんはそう言って箸を取りわたしに渡してくれる。それを受け取って、程よく冷えた秋刀魚が乗っているお皿を膝の上に乗せる。焼きたてあつあつの秋刀魚だとわたしは食べられないから、これくらい冷えている方が嬉しい。

 そして箸で秋刀魚の身をほぐして少しずつ口に運ぶ。

 わたしは箸を使うのがとても苦手だった。身をほぐせても口に運ぶのが難しい。

 それでもなんとか箸に乗せた身を口に運べば、口の中で秋刀魚の脂が溶けて、内臓部分のほろ苦さと脂の甘さに喉を鳴らして目を細める。

 そんなわたしをおばあちゃんも目を細めて見てから自分も秋刀魚の乗ったお皿を膝に乗せて、わたしと違ってとてもきれいな仕草で秋刀魚の身をほぐすと口に運んだ。

 おばあちゃんは箸の使い方がとても上手だ。

「……おいしいねぇ」

 もぐもぐと口を動かして秋刀魚を噛んで飲み込んだ後、おばあちゃんは幸せそうに微笑んでそう呟く。

 その言葉に頷きながら、上手く使えない箸に悪戦苦闘しながら美味しい秋刀魚をおばあちゃんとは対照的にぼろぼろと零しながら口に運び続ける。

 いっそ両手を使ってがぶりとその身と骨に頭からかぶりつきたかった。

 でもこうしないとおばあちゃんが悲しむからわたしは一生懸命箸を使って秋刀魚を食べる。山盛りに乗せられた大根おろしとそこに垂らしたしょうゆがぴりりと舌を刺して、やっぱりちょっと苦手だなと思いつつ、それでもおばあちゃんがおいしそうに食べているのを真似てわたしもおいしいと思ってそれを食べた。

「もうすっかり秋の空ね。いわし雲が出てる」

 わたしより先に秋刀魚を食べ終わったおばあちゃんがお皿と一緒に持ってきた急須から湯呑にお茶を入れながらそれを啜り、満足そうな溜息と共に空を見上げる。

 その視線につられてわたしも空を見上げ、うろこ状になっている雲を見ていわしもおいしそうだなぁと思う。

「今度はいわしをうめぼしと一緒に煮たのを食べてみる?」

「うめぼし?」

 おばあちゃんの言葉に目を瞬き聞き返すと、おばあちゃんは微笑み「ちょっと待っててね」と言って立ち上がり、またさすさすと畳を歩く音が遠ざかり遠くの部屋に行ったみたいだった。

 それを待つ間わたしはきょろきょろと辺りを見回し誰もいないことを確認すると、お皿の上でぐちゃぐちゃになっている秋刀魚に顔を近づけふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、その匂いに惹かれてぺろりと散らばっている身と骨を舐めとる。

 大根おろしの汁と秋刀魚の脂で薄くなっているしょうゆの味と、秋刀魚の内臓のほろ苦い味が舌先に広がり、ひと舐めだけのつもりだったのに思わず夢中になってお皿を舐める。

「こら、お行儀悪いわよ」

 そしておばあちゃんが帰って来たのにも気が付かず、お皿を舐めていれば突然そう呆れた様な声で怒られた。

「にゃっ!」

 そのおばあちゃんの声に驚きびくっと体が竦み、慌ててお皿から顔を離すと縁側から飛び降りておばあちゃんの方を向く。その手には透明な器があって、その中に赤くて丸い玉が何個も入っていた。

 あれが“うめぼし”なんだろうか。

「あらあらお耳と尻尾が出てるわよ」

 驚いたわたしを見ておばあちゃんはくすくすと笑い、縁側へと腰かける。そのおばあちゃんの言葉に思わず頭とお尻に手をやるとぴょんこと耳と尻尾が飛び出ていて、とほほと思う。まだまだわたしは未熟だ。

 2つに分かれている尻尾は自由になった事を喜ぶようにふわりふわりと持ち上がって揺れていた。

「ほら隣に座って」

 そしておばあちゃんに促されて隣に腰掛けると、また優しく頭を撫でてくれる。わたしはこのしわしわであったかい手が大好きだった。

「あなたが来てくれてそろそろ5年ね。この日をこうして誰かと一緒に過ごせるのは寂しくならなくていいわ」

 おばあちゃんに撫でられわたしの喉がごろごろと鳴る。そのまま心地よくてふにゃふにゃになっていき、その膝の上に頭を乗せた。

 すりすりと頬をおばあちゃんの着ている着物越しに膝へ擦り付け、わたしは、にゃぁと鳴いた。

 自分の体が弛緩した事で縮み、秋刀魚の脂と大根おろしの汁が染みついた手をぺろぺろと舐める。その手はもう人間の形をしていなくて、いつものわたしの黒い毛が生えている手だった。

「来年もまたこうして過ごしましょうね」

 おばあちゃんの言葉にわたしはまたにゃあと鳴くと、お腹がいっぱいになったことでうとうととし始めた顔を庭とは逆に向ける。

 その部屋は人間の言葉で仏間、というらしい。

 そしてその部屋にある黒と金色で出来た置物に、秋刀魚の乗った皿が置かれ、さっきまでわたしが変化していた子と同じ顔が板に入れられて飾られていた。

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