第6話 お題:万年筆 「綴られる想い」

 彼女の白い手に握られている黒い武骨な万年筆を不思議な面持ちで見つめる。

 それは彼女のお父さんが愛用していた物だったそうだ。

 正直私には万年筆の良し悪しや値段というのは良く分からないのだけど、使い古されたそれが彼女にとってはとても大切で、きっと価値のある物だろう。

 スマホやパソコンからトークアプリなど使い簡単に素早くメッセージや通話ができるこの現代に、彼女はわざわざその父親から譲り受けた万年筆で美しく丁寧な字を便せんにしたためていた。

 古風だな、と思う。

 放課後の静かな教室の中で、カリカリと彼女が万年筆で便せんに文字を走らせる音だけが響く。

 それを前の席の椅子に逆向きで座り、その手元を頬杖をついて見つめる。

 走らせる万年筆の音は時々止まり、便せんの上に現れてくる黒く美しい文字が途切れた。

「……綺麗だね」

「なにが?」

 窓から差し込む夕日のオレンジ色が便せんの上に落ちて、そこに魔法の様に現れる彼女の文字と、その白い手に握られている武骨な万年筆のアンバランスさ全てが綺麗だなと思った事をそのまま口にしてしまった。

 その言葉に彼女が便せんの上に落としていた視線を私に向け、小首を傾げる。

「えっ? あー、や、インクとか、字とか……」

 自分が無意識で口にしてしまった事を手紙に集中している彼女が聞きとめ、聞き返されるとも思っていなかった為にしどろもどろにそう答える。

 そんな私に彼女はくすりと笑うと「そう?」と言いながら長い黒髪を万年筆を持っていた手で優しく自身の耳へとかけた後、視線を便せんへと戻す。

「……それ、誰に書いてるの?」

 今までは特に誰に宛てて書いているのかは聞いてなかったのを、思い切って聞いてみる。

「んー?」

 だけど返って来た言葉はまるではぐらかすようなもので。

 その事に軽く肩を竦め、視線を彼女の手元へと落とす。そこに綴られているのは、逆側から見ても彼女の淡くて、だけど熱い想いを綴ったものだ。

「好きな人?」

「さぁ、どうだろ?」

 思い切って直球で聞いてみても、またはぐらかされる。

「なんで手紙なの?」

 私の質問にちゃんと答える気がないと分かり、質問を変えてみる。

 するとちらりと私の顔を見た後、また手紙へと視線を落とす。

 そして便せんの上を走っていた万年筆が、ぴたりと思案するように止まった。

 そのまま無言の時が流れ、私と彼女の間に開け放たれている窓からさわさわと心地よい風が吹き抜けて、彼女の手の下で便せんがその風に煽られてひらひらとめくれる。

「……出さなくてもいいから、かな」

 短くて長い時間が過ぎてから、ぼそりと彼女が独り言のように呟く。

「え?」

 一瞬何を言ったのか理解できなくて、目を瞬きながら彼女に聞き返すと、白い肌に浮き立つような赤い唇が緩く弧を描いていた。

 その笑顔は寂しそうにも、楽しそうにも見える不思議な笑みで。

「……出さないの?」

「出さないよ」

「なんで?」

「必要ないから」

 頭の中で彼女が口にした言葉を何度か反芻し、改めて聞き返すと彼女は視線を窓の外のオレンジへと向けて事も無げにそう答えた。

 また私の頭の中に疑問符が大量に浮かぶ。

 こうして毎日放課後になると机に向かって、わざわざ持ってきた便せんに古風な万年筆でその想いをしたためて、便せん同様綺麗な封筒に丁寧に入れ、封をして鞄の中に収めているのを知っているだけに彼女の言葉は意味が分からなかった。

 また目を瞬き彼女に重ねて質問しようとすると、彼女は使っていた万年筆にキャップを丁寧につけると、くしゃくしゃと便せんを丸める。

「あっ! もったいない!!」

 途中まで綺麗な字で彼女の大切な想いを綴っていた手紙を、誤字をした訳でもないのに雑に丸めたのを見て思わずそう声を上げてしまう。

 すると彼女は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、教室の後ろを振り返った同時にぽいっとそこに置いてあるゴミ箱へと投げ入れた。

 その事に慌てて席から立ち、その手紙を拾おうと机と机の間に出ると彼女の手が私の手首を握ってそれを止める。

「今日の分はもうおしまい。帰ろ」

「でも、」

「いいんだって。お茶して帰ろ」

 私がちらちらとゴミ箱を見ているのを遮り、いつも帰りに寄っているカフェへと誘う。

 その言葉に私は諦めの溜息を吐くと、降参するように両手を上げる。

 そして彼女の前の席の机の上に置いていた自分のスクールバックを手に取った。

 私が自分のバックを肩にかけるのを満足そうに見届けて、彼女は私の手首を掴んでいた手をそっと離すと万年筆を丁寧に筆箱の中へと入れる。そして筆箱と便せん、封筒を鞄の中へと収め、肩へとかけた。

「ほらほら、早く行こ。お腹すいちゃった」

 そう言いながら彼女はいつものように私の腕を取り、その細い腕を絡ませ引っ張る。

「今、栗のフェアやってるから私モンブラン食べたいな」

「あー、モンブランいいね」

 ぴったりと寄り添う様にくっついてくる彼女に小さく苦笑をし、その言葉に頷く。

 万年筆で手紙を書くのは毎日だけど、帰りのお茶は週に一回程度でお互いの小遣いの範囲内で寄り道して帰る。

 彼女が手紙を書いている姿を見ているのも好きだけど、こうして彼女とカフェでお茶をする時間もとても好きだった。

「そっちは別のにして」

「えー、なんで?」

「だっておんなじだったらシェアできないじゃん」

 彼女とそんないつもの会話をしながら教室を後にする。

 ゴミ箱に入れられた、誰に宛てたか分からない彼女の想いが綴られた手紙に未練を残し、思わず一度だけそちらを見る。

 いつか誰に宛てた手紙か彼女は教えてくれるだろうか。

 だけどその答えは知らない方がいいのかもしれない。

 知ったら彼女の白く細い指があの武骨な万年筆を握って紡いでいる言葉を、逆側から見る事は出来なくなるような気がしていた。そして、あの静かな教室に彼女の万年筆が奏でるカリカリとした心地よい音も聞くことが出来なくなるかもしれない。

 それはどうした訳か、自分の知らない人か、知っている人かは分からないが誰かに想いを綴っているという事実よりもなんだか嫌だった。


「明日も付き合ってね」

 隣で私の腕に腕を絡め、別れ際彼女がそういつものように言う。

 それに私は頷き、明日はどんな彼女の気持ちが手紙にあの万年筆で綴られるのだろうかと、楽しみな気持ちになり家へと駆けだしていく彼女に手を振った。

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