第4話 お題:月見 「揺らめく月」 BL/死に関する表現
煌々と明るく地面を照らしている真ん丸な月が空の中ほどまで登っていた。
目を凝らせばそこにあるクレーターまではっきりと見えそうで、ベランダで煙草をふかしながら見つめる。隣では何を考えているのか分からない男が自分と同じように煙草を燻らせ、月を見上げていた。
なんでこんな奴と月見をしているんだか、と月を見ながら思う。
「……先輩、アンタとの記念日楽しみにしていました」
男がぼそりと独り言のように月を見上げたまま呟く。
その言葉に心の中で、知ってる、と答えるが口にはしない。ただ、肺の奥にまで巡らせた紫煙をゆっくりと吐き出す。ゆらりと口から吐き出された煙は空へと昇り、まるで天空に浮かぶ月の中に吸い込まれるかのように消えていった。
そもそもこの男に『アンタ』呼ばわりされるいわれもなかった。
アイツが職場で倒れ、搬送された病院で死亡が確認された時、この男が隣にいたという。俺が連絡を受け病院に駆け付けた時、横たわっているアイツよりも余程青い顔をして椅子にへたり込んでいたこの男を見た時、嫌な予感がした。
アイツには殊の外可愛がっていた後輩がいた。愛想が良くて、出来が悪くて、人懐っこい後輩。
青い顔をしてはいたが、一目見てこの男がそいつだと理解した。
「……俺が、殺しました」
あの時、俺の顔を見たこの男がゆっくりと口にした言葉を脳内で反芻し、溜息の様に煙を吐き出す。そのタイミングで隣に立つ男はあの時と同じ言葉を隣でぼそりと呟くように口にした。
だが、その先は謝罪ではなくあの時と同じく無音だった。
一体何が言いたいのだろうかと思う。俺にキレて欲しいのだろうか。人の大切な人間を間接的に死に追いやった事を責めればいいのだろうか。それとも俺が泣けば満足なのか。
――そんな事をしてもアイツは戻ってこないというのに……?
アイツの葬式は滞りなく終わり、俺達がパートナーとなって1年を迎えた記念日は、アイツの命日となった。
死因はカフェインの過剰摂取。
飲むのほどほどにしろよ、とあれ程言っていたのにアイツは俺のお小言なんてマルっと無視して会社で栄養ドリンクやカフェイン飲料、錠剤を良く飲んでいたそうだ。葬式の時にアイツの同僚からそんな話を聞いて、俺は何とも言えない気持ちになった。
そしてあの日、隣で煙草を燻らせている男の後始末をする為に一人オフィスへ残り、残業をしていた。
何度も電話する俺に嫌気がさしたのか、夜中の12時を回った後は電話に出る事もなく、ただ空しく俺が心配したり怒ったりした声がアイツの遺品となったスマホに録音されていて、自分があの時電話ではなく直接会社に行っていれば、とそんな後悔ばかりが胸の内を染める。
だけど馬鹿な俺はアイツの残業はいつもの事、と思い呆れながらのほほんとテレビを見たり、風呂に入ったりして心配を一切していなかった。
「……なんで怒らないんすか」
無言に耐えられなくなったのか、アイツの後輩を名乗る男は相変わらず月を見上げたまま、ぼそりとそんな事を言う。
あぁ、怒って欲しかったのか。
そういやアイツも良くコイツを怒ってたって聞いたな。今度は俺をアイツの代わりにでもしたいという事だろうか。
「アイツが死んだのはカフェインの過剰摂取で自業自得。お前が殺した訳じゃねぇからお前に怒る理由なんてない」
深く吸い込んだ煙草の煙をまたゆっくりと月に向けて吐き出しながら、抑揚のない声でそう言えば隣で息を呑む様な気配がする。
「……後、アイツがずっと寝不足だったのは俺の帰りを起きて待ってたから。全部アイツの自業自得。俺が怒るとしたらアイツと自分にだけ」
短くなった煙草の灰を、ベランダの柵の上に置いた灰皿へ落とし、揉み消しながら答えると、男の視線が漸く月から俺へと向けられる。
突き刺すようなその視線を、だけど俺は無視して着慣れない喪服用のダークスーツの尻ポケットから煙草の箱を取り出してまたもう一本口に咥えた。煙草が苦手なアイツに合わせて暫く禁煙をしていたんだが、もういないアイツに義理立てする必要もなく好きなだけ吸える。
ふぅ……とそのアイツからすれば臭くて煙たいだけの煙を吐き出し、俺は月を見上げ続けた。
「俺を許す、っていうんですか?」
「許すもなにも……、お前はアイツを殺してないし、何も悪くない」
そんな俺に隣の男は相変わらず突き刺すような視線を俺の横顔に注ぎながら、どこか怒りを押し殺している様な低い声でまた見当違いな事で俺に絡んでくる。
その言葉に俺は呆れたように答え、煙草の煙を吐き出す。
「なんでっ! 俺があの日ミスしなければ……っ、そのせいで先輩に残業させなければ……っ、あんな事には……っ!」
誰に対しての怒りなのかはわからないが、隣の男は言葉に怒気を込めて俺に訴えてくる。
あぁ、うざい。
だから何だっていうんだろうか。
視線の先にはまぁるいまぁるいお月様。黄白色に輝く光の中に見えるクレーターの青い影がウサギの形から不意にアイツの笑顔に見えてくる。
不器用で、冗談も言えない程バカが付く程真面目で、口下手で、そして出来の悪い後輩の尻拭いを毎度懲りずに続ける程のお人好しで。それに酒にも弱くて。なのに俺の
隣の男がなにかずっと声を上げているが意味を掴む前に空気の中へと溶けて消えていく。吐き出す煙の様に、空中に言葉がゆらゆらと揺蕩い月に吸い込まれて……俺には届かない。
「てめぇだけ、楽になろう、なんて滑稽だな」
ぼそりとそう男ではなく、月に向かって呟く。
俺だけこの生き地獄に置いて、ひとりで天に上るなんて卑怯じゃないか? そこでひとり笑っているなんて滑稽じゃないか? 隣に俺がいないのに。
お前がいればこの地獄だって、少しはましだと思い始めた矢先だったってのに。
「楽になりたいわけじゃないっ!」
俺の呟きが自分に向けられての物だと思ったのか、男が急に俺の肩を掴むと無理矢理に男の方へと体の向きを変えさせる。
俺より少しばかり背が高いその男は俺の肩を痛い程掴み、また何かを怒鳴っている。
あぁ、煩い。わんわんと頭の中で男の声が反響し、頭痛がした。
「わざとなんだよ! アンタとの記念日を楽しみにしてた先輩をアンタの所に帰らせたくなくて……! だからっ」
「……俺は、楽になりたい」
「……え?」
男の言葉なんてどうでもよかった。懺悔なんてもっとどうでもいい。
俺の肩を掴んでいるその手をそっと離すと、俺はまた視線を月へと向ける。
まぁるいまぁるいお月様の中にいたウサギはすっかりアイツの顔へと変わっていて、頬を何か生暖かい物が伝って足元に落ちた。
そのぽたぽたと落ちる雫はそのまま、ベランダの柵へと体の向きを変え、そこに手を置く。
「あ」
そして背後から男の間の抜けた声が聞こえ、俺は視線の先に揺れる月を見ながらベランダを乗り越えてアイツの所へと昇って行く。
月に差し伸べた手を、アイツはいつもの笑顔で取って、俺の意識は月の光へと向かい消えていった。
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