第2話 お題:残暑 「ツクツクボウシの知らせ」 GL/百合

 暑さを避け木陰に座っていると、秋が近づいてきているというのを知らせるツクツクボウシの声が耳に響くように届く。

 山のすそ野にある集落ならば尚の事、その一抹の寂しさを纏った鳴き声は愁いを帯びて耳に届いていた。道すがら小さな商店で買った水色が涼やかなソーダ味のアイスを真ん中で割り、片方を一緒に涼んでいる子へと渡す。

「……もう夏も終わりじゃね」

 アイスを受け取りながら彼女がそうどこか木々に木霊するセミの声と同じように一抹の寂しさを含ませて呟く。その声にはぁ……と小さく溜息を吐くと、アイスに思い切りかぶりついた。

「そうは言うても、まだまだ暑いけん。まだ夏は終わっちょらん。まだ終わらん」

 一気にアイスを食べ終わり一息吐くと、彼女の言葉にそうささやかな反論をしてみる。

 彼女はこの夏が終わると都会へと引っ越していくことが決まっていた。

「そうじゃといいなぁ」

 私の言葉に彼女は酷く遠い目をして、蜃気楼で歪み舗装もされていない道を見る。

 この山あいにある小さな集落には子供が少ない。

 だから必然的にみんな仲間の様な、親友の様な、家族の様なそんな付き合い方になっていく。その中の一人が欠けてしまうのは、大切な何かを失ってしまうのと同義だった。

「ほうじゃ! きょーちゃんだけウチに住めばいいんよ! ウチからおばちゃんに掛け合ってあげる!」

 名案を思い付いたとでも言う様にそういえば、彼女、きょーちゃんはかけた眼鏡の向こうでどこか眩しそうな瞳を私に向けて微笑んだ。

 そしてその後、視線をまたカラカラに乾いている道へと向け、溶け始めているアイスを下から上へとゆっくりと舐めて嚥下していく。その仕草に少しばかりドキリとし、私も視線を道路へと向けた。

 人一人、車一台も通らない田舎の舗装さえされていない道。この道を進めば集落に辿り着き、そこには人の営みが確かにある。

 だけど、今この場所には何もなくて、ただカラカラに乾いている土の道と、雑草、山の中へと続く木立、そして私達しかいない。

「……ほれじゃぁ本末転倒じゃ」

 暫くして、ようやくアイスを食べ終わったきょーちゃんがさっきの微笑みとは違う、楽しそうに、だけどどこか諦めの入った笑みを私に向けるとそう呟く。

 きょーちゃんが都会に行くのは、なにも親の都合だけではなかった。

「ウチがいかんと、両親が悲しむけん」

 その言葉に含まれている意味に、私は下唇を噛み泣きそうになるのをグッと我慢する。

「それにほら、まだ結果はわからんち。先生も希望はある言うとったけ」

 いつものように優しくきょーちゃんの手が私の髪に触れ、労わるように撫でてくれる。そんな気休めのような言葉、今の私にはただ残酷で辛いだけだった。

「……っ、でもっ」

「ええんよ。ウチが自分で決めたんじゃ。サチはここで待っちょって」

 ふふっと笑い、きょーちゃんは私の髪を撫でていた手を頬へと移動させ私の目元をその細くて白い指で軽く擦る。

 成功確率がとても低い賭け。

 それに賭けるしかないという状況が彼女にとってどれほど辛い物なのか、不安や恐怖、その他様々な複雑な感情に苛まれているかなんて私には全てを知る事なんてできなかったけど、それでも、私が抱えるこの寂しさや不安、恐怖よりもよほど強くて深いものだという事だけはわかる。

 そんな中でこの決断をした彼女は凄く強いと思うし、泣き崩れた両親を説き伏せたのも彼女の凄さだって私は良く知っていた。

「大丈夫、ちゃんと帰ってくるけん。ウチ、勝負運だけは強いんよ。サチも良く知っとるじゃろ?」

 私の頬に流れる液体をその白い指で何度も拭いながら、眼鏡のフレームの向こう側から私を真っ直ぐな瞳で見つめ彼女は悪戯っぽく笑う。

「……学期末テストのヤマ全部当てたっちゃ」

「ほうよー。ウチのお陰で赤点免れたじゃろ」

 きょーちゃんの勝負運の強さと勘の鋭さを思い出してそういえば、彼女はくすくすと笑い、もう一度私の頭を優しく撫でてくれた。

 そんなきょーちゃんに私も笑い返し、今度は自分の指で頬を伝う雫を拭う。きょーちゃんとは違う、黒く日焼けしてごつごつしている指。

 いつだってきょーちゃんは私の指を綺麗だって言ってくれるけど、私の指が綺麗だなんて自分では思えない。

 綺麗、という形容詞が似合うのは、きょーちゃんの白くて細い指の事だ。その存在も含めて。

「そろそろ帰ろっか」

「……残暑じゃゆーても、暑いけんもうちょっとここにおらん?」

 夕方を告げるひぐらしの鳴き声が更に大きくなった事で、きょーちゃんがそう言い歩き出そうとした手を思わず掴んでそんな見え見えの引き留め方をする。

 そんな私に少しだけ小首を傾げて見せ、きょーちゃんはそっと私の手を握り返してきた。

 その細くて綺麗な指を、ごつくて醜い私の指へと絡める様に握り返し、そっとその細い体を寄せてきた。

「サチはしょーがないなぁ」

 くすくすと笑い、少しだけね、ときょーちゃんは囁くと私の肩にその頭を持たれさせる。

「……きょーちゃん、ウチ、」

「しーっ」

 私が言いかけた言葉をきょーちゃんは私の唇に指をあてて黙らせると、そのままゆっくりと彼女の唇が私の唇に重なった。

 途端、山の中にわんわんと響いていたツクツクボウシの声も、そしていまだ残る暑さも私の周りから消え、ただ彼女の柔らかい唇の感触と、爽やかな金木製のコロンの香りが鼻孔をくすぐる。

 永遠というものがあるのならば、この瞬間を時間の檻に閉じ込めてしまいたい、だなんてらしくもなくロマンティックな事を考えてしまう。だけど、その永遠はすぐに失せ、彼女は体を離すと眼鏡越しにじっと私を見た後、繋いでいる腕を緩く引っ張った。

「……サチ。待っちょって。必ず帰ってくるけん、約束」

 時間が戻り、わんわんと木々にツクツクボウシの声が反響している中で彼女はそう言い、そして私の手を一度ぎゅっと握った後、するりと離した。

 その手を捕まえようと手を伸ばすけれど、指先が軽く触れただけで彼女はカラカラに乾いた道を歩いて集落へと背筋を伸ばして歩いて行く。私を振り返りもせずに。

 木陰に一人取り残され、暑さの含まれた風が頬を伝う生緩い雫を拭い去って行った。



 また何度目かのツクツクボウシの鳴く季節が廻って来た。

 畑仕事を終えて、一息吐こうと木陰で休む。雑草の上に腰を下ろし持ってきている水筒から冷たいお茶を飲み、その心地よさにはぁっと息を吐く。

 夏は確実に終わりへと近づいているのに、相変わらず残暑が厳しい。

 だけど耳に届くツクツクボウシの声は確実に夏の終わりを告げていて……。

「……もう夏も終わりじゃね」

 涼やかな声がそう後ろから聞こえ、そして頬にひやりとしたアイスの袋が押し当てられる。その声と押し付けられたアイスの袋に私は目を見開いて、後ろを振り返った。


 そして私は――。

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