闇の底の真実

 放心するように呟いた彼を鼻で笑い、ルチアは言い放った。

「偽悪が下手ね、あなた。中途半端なことするからよ、監禁趣味を名乗るなら徹底しないと」

「……放っておいてくれ。きみが逃げるならそれでもいいと思っただけだ」

「どうせ私が逃げても保護できるように手は打っていたんでしょう?あなたの人望ならどうとでもなるものね。ずっと部屋を空けていたのも、私が逃げる時間を稼ぐためかしら」

「そこまで分かっているならどうして逃げなかった。保安局と繋がりまで結んでおいて、何故まだここに留まっている」

「約束を破る気はないの。それに、今は戸籍よりも欲しいものができたから。私だけ降りる訳にはいかないのよ」

 本当に、どうしようもないくらい見くびられていたらしい。ルチアの視線に応えるようにゆっくりと顔を上げながら、彼はふらりと力なく笑った。紺紫は何処か遠くを覗いているようで、カラッポの光がルチアを映して揺れている。

「きみの望みは何だ?」

「真実を教えて。レイやあなたに何が起きたのか、今何が起きようとしているのか。レイは、そしてあなたは一体何者なのか」

 問い掛ける声に力なく頷くと、彼はぼんやりと虚空を見上げる。過去を手繰り寄せるように、遥か遠くの誰かを想うように、カラッポで純粋な夜煌石がポロリと解けた。

 爪先ほどの大きさの欠片が一粒、飴色の床を伝って何処かへ転がっていく。この世の夜を閉じ込めて、大事に育てて、星屑をひとかけら落としたような涙を放置して、青年は緩慢に口を開いた。


「きみがレイと呼ぶ少年の正体はレイモンド・リア・ラムス。アギリアの王の一人息子で、この世でたった一人夜煌石の祝福を宿す存在だった。……俺の、あるじだった人だ」

 

 そうして語られるのは、誰も知らないあの日の裏側。

 たった一人の少年を巡る、醜い欲望と報復の物語だった。


「まずは今起きようとしていることから話そうか。とは言え、発端は七年前の聖夜まで遡る。貝の火の後継者たるきみを奪いうためにクオーレの家を訪れたヴァレット家の人間が、レイモンド・リア・ラムスを……幻の夜煌石の祝福を見つけてしまったのが全ての始まりだった」

 ルチアの肩がびくりと跳ねる。しかし、彼は淡々と事実を紡ぎ続けていく。

「ヴァレット家は宝石商。だが、何も加工された宝石だけを扱う訳じゃない。ただ掘り起こされただけの石ころより、特別な宝石を宿した綺麗なお人形の方が遥かに高く売れる。それに、本邸がある東地区にもアギリアへの連絡通路が複数ある。アギリアの女たちの中には望まぬ子を持て余している者も多いから、供給に事欠くこともない」

 生家の所業にルチアの背筋が冷えていく。アギリアは非合法の楽園だ。地上では禁じられている性産業もこの街ではごく普通の職業で、身寄りのない女性が多くその道を選んでいる。意に沿わず客の子を身籠ってしまうことだって日常だろう。堕胎を選べば命の危険もある上に、多額の金と長期間店に出られない代償だって付いてくる。だから、彼女たちは産むしかないのだ。そして、たまたま望まれずに産まれてしまった子供の瞳が、宝石そのものであったとしたら。破格の大金と引き換えに、それも子供を殺さずに引き取ってくれる存在に囁かれたら。追い詰められた彼女たちの思考が行き着く先なんて、考えるまでもないだろう。

「ヴァレット家の『商品』は、私だけじゃなかったのね」

 衝撃はなかった。いかにもあの家がやりそうなことだ。

「きみなら分かるだろう。祝福の子の真価は運命石ではなく、神に祝福を賜ったという肩書だ。祝福の子を掌中に収めること自体が最大のステータスになる。貴族にとって、祝福の子は家畜と同じだ」

「家畜なら、何処かに売人がいないとおかしいものね」

 運命石はもちろん、祝福の子を利用して利益を生み出すことは禁じられている。しかし、それは表向きでしかない。高位貴族は当たり前のように祝福の子を侍らせている。金よりも莫大な金を生み出す美しい家畜の存在を、あの家が野放しにしておくはずがないのだ。

「アギリアの貧しい女の下に産まれた祝福の子の大半が、物心つく前に攫われるか、売られてヴァレット家で飼育される。ある程度の年頃に育ったら競売にかけ、貴族連中に巨額で売る。そして、また次の商品を買い集めて飼育する。周期は大体五年から十年だ。リア・ラムスが台頭する以前から行われていたから、ドン・リーガルですら気付かなかった」

「……本当に、悍ましい一族だわ」

「だが、七年前を気に状況が変わった。夜煌石に目が眩んだことで、ヴァレット家の所業が浮き彫りになったんだ」

 彼の表情が仄暗く歪む。それは、かつて母が覗き込んだ鏡に映った姿に似ていた。憎んで、憎んで、どうしようもない現実に慟哭する弱者の顔。また一粒零れ落ちた夜の欠片を拾って弄ぶと、放り投げることはせずに掌に仕舞い込んだ。

「ヴァレット家は夜煌石に魅せられ、レイモンド・リア・ラムスを攫おうとした。当然失敗し、ヴァレットとリア・ラムスは対立するようになる。祝福だけでも手に入ればよかったんだろうな、刺客も何度となく送り込まれた」

 顔を蒼褪めさせるルチアに、彼は何か声を掛けようとして、結局口を噤んだ。初恋の人がずっと危険に晒されていたのだ。掛ける言葉なんて見つかるはずもない。しかも、きっかけはルチアが連れ去られた聖夜の惨劇だ。彼女にどれだけ咎がなくとも、気にするな、なんて言う方が酷だろう。

「無論、リア・ラムスの方も沈黙する訳にはいかない。そもそもアギリアはリア・ラムスの縄張りだ、それを侵され続けていたんだから。だから、ドン・リーガルは辛抱強く機会を待った。ヴァレット家の商品が育って売り頃になるまで、七年間待ち続けたんだ。そして、本邸に一族がほとんど全員集まったあの夜に襲撃を敢行した」

「じゃあつまり、あの襲撃の目的って」

「ヴァレット家の『商品』たる祝福の子の強奪及び、何十年も領域を侵された報復だ」

「……結局、何処までも私たちは道具なのね」

「そうだ。そしてそれは地上も地下も変わらない」

 青年の声が静かに木霊する。忸怩たる思いを噛み締め、ルチアは思わず拳を握り締めた。

 

「もう分かっただろう。聖夜祭の夜、この地底街で祝福の子がオークションにかけられる」


 ルチアは虚ろでほろ苦い笑みを零す。まっすぐに見据えた先で、レイとほとんど同じ顔の真ん中で紺紫が硝子玉のような光を灯していた。

 互いが同じような顔でぎこちなく笑っているのに、二人の距離が近付くことはない。手も届かない距離で見つめ合いながら、ただお互いの傷の輪郭をなぞっている。

「さぞ目障りだっただろうが、それでも俺は夜煌石の価値だけで生かされてきた。だがヴァレット家が壊滅した以上、今後祝福の子の売買はリア・ラムスの独占市場になる。そうなれば俺はもう用済みだ」

「だから殺されかけたのね」

「……最初のオークションまでは生きられると思っていたんだ。迂闊だった」

 低く響いたテノールには、嘘の気配なんてもう一滴も混じっていなかった。

「きみの馬車が壊れたのは偶然じゃない。あのまま本邸に着いていれば、間違いなくきみも商品として囚われていただろう。とは言え、ただ逃がしても結局貴族社会の鳥籠に戻される。きみを安全に俺と引き合せるために仕組んだ」

 一瞬だけ明後日の方を向いた横顔は信じられないくらい透明で、少しでも目を離せばあっという間に消えてしまいそうで。仮面を取り払ったあどけない顔で、彼は少しだけ笑ってみせた。

「あなたは……自分の立場を危うくしてまで、どうして他人を救おうとするの?」

「それだけが、俺の生きる意味だから」

 風の音が聞こえた。それが大きな溜め息だと悟ったのは、目を凝らして覗き込んだ彼の笑い方があまりにもボロボロだったから。

「ヴァレット家は夜煌石の祝福を手に入れるべく、何度目かに潜り込ませた刺客に毒を盛らせた。気付いた時には何もかも遅かった」

 何もかもを覆い隠す仮面を割られ、心を殺すための薄布にも手を掛けられながら、彼は諦めたように諸手を挙げた。


「きみのレイは、レイさまは、六年前人知れず息絶えた。そして俺は事切れたレイさまの首筋に噛み付いて祝福を奪い、レイモンド・リア・ラムスに成り代わったんだ」


 息を呑む痛々しい音が、二人きりの冷たい空間に吸い込まれていった。


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