ヴィクトリア・リーリャ

「やあ、ヴィクトリア。やっぱりこの時間はトネリコ街にいるんだね」

「リア・ラムスの若君じゃないか。これだから若い男は嫌なんだ。せっかく女の子を連れているんだから、他の女に構うなんて野暮ったいことしなさんな」

「彼女のことは一等愛しているさ、当たり前だろう?」

「そうだろうねぇ。これまで浮いた話一つなかったアンタが、一目惚れした女を後生大事に囲い込んでいるんだから。幸せそうで安心したさ」

 美しい花の刺繍で彩られたショールを翻し、ヴィクトリアと呼ばれた女は快活に笑った。黄金色の髪が長身に映え、仄暗い地中でも太陽のような明るさを纏っている。しかし、中でも目を引くのはヴィアラントでは極めて珍しい色の肌だった。ミルクを沢山溶かしたチョコレートのように艶のある褐色の美女を前にして、ルチアはにっこりと笑ってみせた。

「ごきげんよう。私、以前あなたを見かけたことがあるの」

「ごきげんようお嬢さん。アタシを知っているのかい?」

「通りで綺麗な刺繍のハンカチを売っていたでしょう?刺繍も貴女も素敵だったものだから、忘れられなかったのよ」

「可愛らしいお嬢さんに褒められるなんて、アタシも捨てたもんじゃないね。それで若君、何の用だい?アンタと違って暇じゃないんだ、さっさとしておくれ」

 ルチアに大輪の笑顔を送ったと思えば、レイモンドに向き直るとヴィクトリアはしたり顔で腕を組んだ。レイモンド相手にも物怖じせず勝気に振る舞うヴィクトリアだったが、レイモンドも慣れたように肩を竦めると、いつもより少しだけ自然な微笑を浮かべた。

「僕はこれから仕事があるんだけれど、先方の元へ彼女を連れて行く訳にもいかないだろう?君なら彼女を任せられる。報酬は弾むから、僕がいない間に彼女を見ていてくれ。それと、君は目が肥えているからね。彼女が持って来たものを買い取ってやって欲しい」

「またおかしなことを押し付ける気じゃないか。まあいいけどね。いくらくれるんだい?」

「銀貨七枚でどう?」

「安いね。十枚は貰わないと」

「分かった、十三枚出そう」

「ありがたいよ。他の外道どもとは大違いだ」

 流れるように飛び出た言葉に、レイモンドの微笑が一気に強張った。素早く辺りを見渡すと、険しい顔でヴィクトリアに向き直る。ヴィクトリアも顔色を変えてキョロキョロと周囲を確認し、何もないと分かるとホッと溜め息を吐いた。

「ヴィクトリア、滅多なことは言わない方がいい」

「……つい、気が抜けちまった。すまないね」

「いくら僕でも、全て庇えるわけじゃない」

「気を付けるさ」

「……ああ、そうしてくれ。それじゃあ、この子を頼んだよ。君もヴィクトリアから離れないで。愛しているよ」

 ひらひらと手を振ると、レイモンドはクルリと踵を返す。ルチアは、カンテラと人の海に呑まれていくレイモンドをジッと見詰めていた。遠ざかる背中が見えなくなると、ヴィクトリアはルチアを道の端まで連れて行った。周囲に不穏な人間がいないことを確認すると、ルチアは声を潜めて傍らのヴィクトリアにそっと囁き掛ける。

「あの人、今までどれだけの死を見てきたのかしら」

「数え切れないさ。このアギリアじゃリア・ラムスに逆らった人間は殺される。地底街なら上納金を払えなくなった人間もね。だけど、あの若君はどうやらアタシらが好きらしい。若君が守ってくれなきゃ、アタシらは今頃使い潰されていただろうね」

 思いがけない男の肖像に、ルチアは思わず瞠目した。ルチアの素直な反応をどう解釈したのか、ヴィクトリアは愉快げに笑いだす。

「お嬢さん、若君のことをあまり知らないみたいだね。少し話してあげようか?」

「ええ、お願いしてもいいかしら。あの人のことをもっと知りたいの」

「随分とお熱いじゃないか。いいよ、用を済ませたらね。持って来たものをお出し」

 ルチアが持参した品を見せると、ヴィクトリアは真剣な眼差しで次々と検分していく。それから鋭い目つきでルチアを睨んだ。

「アンタ、これは若君からの贈り物かい?」

 大粒の紅水晶が散りばめられた髪飾りを摘まみ上げるヴィクトリアの声は平坦だったが、空気が震えるほどの怒気が滲んでいる。しかしルチアはふわりと微笑み、ゆるゆると首を振った。

「いいえ。全て私が実家から持ち出したものよ。紅水晶なんてそこまで珍しくはないでしょう」

「それはどうかな、これ相当な上物だろ。紅水晶はどれも色がしっかりしてるし不純物も少ない。土台と櫛の部分は純銀じゃないか。少なくとも東地区か、下手したら北地区に住んでるような御大尽の娘じゃないと持てないよ」

「あなた、とっても詳しいのね」

 ルチアは半ば本気で感心して頷くと、両手でふわりとスカートを摘まんでみせた。

「その通り、私は新興貴族の出身よ。あんな家死ぬほど嫌いだけどね。だから実家の手垢が付いたものは早く売り払ってしまいたいの」

「へえ、お上品な娘だと思ったら。そういうことなら構いやしないさ。本当に若君の真心を売り付けようってんなら容赦はしないけど」

 そう言いながらヴィクトリアは麻袋の中身を検め、やがてフッと表情を緩ませる。

「ありえなさそうだ。悪かったね、疑っちまって」

「あら、もう信じてくださるの?」

「当たり前だろ。若君がアンタにこんなの見繕うわけないよ」

 ヴィクトリアは自分のハンカチを広げると、一つ一つそっと並べていく。紅水晶の髪飾り、華奢な真珠の首飾り、百合の花を象った白瑪瑙のカメオ、透明な水晶細工の小箱。どれも小ぶりな造りで、清楚で可憐な乙女を象徴するような代物だった。

「物はいいし可愛らしいけど、アンタには似合わないよ。百合の意匠に真珠だの紅水晶だの、いかにも頭の固い爺が何も考えずに選んだって感じだ」

「あなたはこういう宝石は嫌いなの?」

「好きだよ。花みたいに儚くて、悪魔みたいに狡くて強かな男女なら最高に映えるだろうさ。でもアンタは炎みたいに情熱的で、何処までも愚直な人間だろう。アンタみたいなのは柘榴石や黄金が似合うんだ。もちろん、一番は貝の火だろうが」

ルチアが持って来たものはどれも品質はいいが、飛び抜けて高価な訳ではない。とっておきはもしものために残してあるからだ。しかし、ヴィクトリアの扱い方はとても丁寧だった。

「これなら全部で金貨二枚だね。ほら、確かめな」

「ありがとう、助かるわ」

 手渡された金貨を確かめながら、ルチアはヴィクトリアに渡った品々をジッと見つめる。金貨が二枚も手元にあれば、当面の仮暮らしには事欠かない。ルチアは確かな手応えをそっと握り締めた。

「それじゃ、話してあげようか。お嬢さんは何が聞きたいんだ?」

「あの人がどんな人間で、何をしていて、あなた方にどう思われているのか」

「随分と漠然と聞くね」

「何でもいいの。あの人のことが知れるなら、どんなことでも構わないもの」

 素朴で率直なルチアの問い掛けに、ヴィクトリアはパチリと瞬きを落とした。そして、懐かしむように目を細める。

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