突き付けられた疑惑
絞り出すような、それでいて何か確信めいた響きの問い掛けは、ルチアを静かに激高させるには十分だ。しかし、激情を纏った炎に睨まれても、ルーカスは決して視線を逸らさなかった。
「貴女の怒りは最もだ。真に受ける必要は何処にもない。だが私には、貴女の母君の願いは別の場所にあるような気がしてならない」
「……あなたが、私の母の何を知っているんですか」
「何も知らない。ただ、職業柄貴女より少しだけ多くの人間を見てきた。極悪人も、理不尽の被害者も、平凡な人間も沢山捕縛したし、何度もこの手で命を奪ってきた。だから、貴女よりも少しだけ世界を知っているかもしれない」
「私と母の見てきた世界を否定するのですか」
「貴女方の人生を否定するつもりはない。だがただ一つの夢を追いかけている人間は、多かれ少なかれ希望を宿しているものだ。比べると、貴女の瞳はあまりにも虚ろに見える」
諭すような口調に、ルチアは正鵠を射抜かれたように押し黙った。すぐに我に返り、誤魔化すように睨み付けても、彼女の炎は何処か弱々しく霞んでいる。
「……それは、あなたの主観でしょう」
「ああ。だから気にする必要はない。貴女は貴女の道を征くべきだ。それがどんな結果になったとしても、私は貴女の選択を尊重する。クオーレの家の件は調べておこう。契約満了後、アギリアを出たら南地区の白兎亭という酒場の亭主に言付けてくれ。個人的に繋がっている協力者だ。連絡を受けたらすぐにでも伝えに行く」
「……感謝します」
頷くルチアに小さく微笑むと、ルーカスは凛と表情を引き締めた。そして打って変わって硬質な声色で、どっしりとルチアに向き直る。
「最後に、一つだけいいだろうか」
そうして居住まいを正すと、ルーカスは不意に腰を折り曲げて首を垂れる。驚いて真っ白に塗り替わったルチアの思考を、重たく真摯な声がカンと打った。
「貴女の母君を救えなかったこと。貴女の拉致を阻止できなかったこと。そして何より、ヴァレット家の闇を暴けなかったこと。保安局の者として、心の底から謝罪する。貴女方の苦しみの責は我らにある」
淡々とした口調から滲み出る異常なまでの重苦しさに、ルチアは思わず息を呑んだ。
ヴァレット家は男爵家、アレクシア家は大公家だ。爵位どころか、受け継ぐ血脈まで何もかもが全く異なる天上の存在。貴族社会の最上に君臨する一人に深々と頭を下げられ、ルチアの思考が停止する。ルーカスも首を垂れた姿勢のまま微動だにせず、辺りは沈黙に支配された。ただ外を吹く風だけが微かに音を立てている。
やがて、ルチアはゆっくりと顔を上げた。深呼吸を一つだけ落として、澄んだ声は震えもせずにまっすぐに響く。貝の火は灯火のように穏やかに揺れていた。
「新興とは言え、ヴァレット家は爵位を持つ貴族です。そう簡単に尻尾を掴ませるとは思えませんし、貴族の摘発なんて並大抵のことではないでしょう。あなたのせいじゃありません」
悪いのは父親、あるいはヴァレット家の人間。この優しい青年が心を痛める必要は何処にもない。それは紛うことなきルチアの本心だ。しかし、ルーカスは頭を上げようとしなかった。
「並大抵ではなくとも、本来なら為さなければならなかった」
沈痛な声が地面を打つ。握り込まれたルーカスの拳がギリギリと軋むような音を立てた。ルチアはそれでも根気強く言葉を連ねていく。
「……あなたの着任は四年前と聞いております。大公家とはいえ、要職を得る前の四男に権限が与えられるとは思えません。母のことも私のことも、あなたの咎ではないでしょう」
「アレクシア家の咎だ。保安局は代々我が一族が中枢を担っている」
「それでも、私はあなたの贖罪は求めていません」
貝の火がまっすぐに瞬く。どれだけ彼が自分を責めようが、ルチアは彼の謝罪を受け入れる気など毛頭ない。
またしばらく沈黙が続いた。ルチアが我慢比べに辟易してきたころ、ルーカスはようやく顔を上げる。
「……貴女は、何処までも強い人だな」
ゆっくりと向けられた顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。ルーカスはルチアの朱い瞳を眩しそうに見つめ、噛み締めるように口を開いた。
「これ以上付き合わせる訳にもいかない。どうか、貴女に幸福が訪れますように」
青空のような人柄を映し出した誠実な微笑みを一つ残すと、ルーカスは降り注ぐ陽光の下を一歩踏み出した。去りゆく背中を見送ると、ルチアも無言で踵を返す。背後に差し込む光に背を向けて、亜麻色の髪は暗い地下へ吸い込まれていった。
頭の中がごちゃごちゃと煩くて、小さな心臓は散り散りになりそうだった。母の願いのために、ただ必死に虚勢を張って生きているルチアの中で、ルーカスの言葉は水面に投げられた礫のように止まない波紋を広げていた。纏まらない思考を取りこぼさないように握り締めながら、ルチアは長い道を一人で歩き続ける。歩いて、歩いて、気付けば階段の途中で座り込んでいた。痛む両足を抱えて蹲る頭上で、シャンデリアがほの白い明かりを灯している。
時計の短針はまだ二回りもしていないのに、何日も歩き続けたように滲む疲労が辛かった。出た時と同じように無人の部屋で、ルチアはぼんやりと天を仰いだ。
レイモンドは当分戻らない。脱出ルートも手に入った。不都合なんて何一つないのに、風穴が空いたように虚ろな心が寒くて仕方がない。退屈しのぎにと渡された本を読む気にもなれず、ジッと時が過ぎるのを待つ。しばらくそうしていると、突然響いた大きな音がルチアの鼓膜を震わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます