受け継がれる炎

「私の祝福は貝の火。ですが、これは元々私のものではありません。そもそも私は孤児院育ちですから、ヴァレット家の人間だったことすら知りませんでした。この瞳の貝の火は、七年前母から継承したものです」

 ルーカスは目を見開いた。

 祝福の子が生きている限り、己の祝福を他人に移す方法はない。呪いのように繋がれながら、死ぬまで背負って生きていくだけだ。しかし、宿主が死んだ直後なら。

 事切れた祝福の子の首筋から鮮血を啜る。たったそれだけで祝福は奪えてしまうのだ。

「祝福の継承……⁉だがそれは、王族及び大公家に連なる者しか知り得ない禁術だ!」

「ええ、その通りです。ですが情報というのは漏れていくもの。私は父親に命じられて母の血を啜り、こうして貝の火を宿すことになりました」

 暗に大公家が管理し切れていないことを仄めかし、ルチアは淡々と事実だけを並べていく。そもそもヴァレット家が裏で秘密裏に行っていたことであり、ルーカスが責められる道理はない。しかし、彼の表情は次第に鬼気迫っていった。

「そもそも私があの家に連れて来られた理由は、祝福の子である母が限界まで弱っていたからなのです。私は祝福を持って生まれませんでしたが、目は赤かったものですから」

 ルーカスは静かに目を伏せた。

 祝福の継承には条件が二つある。奪う人間がその時点で祝福を宿していないこと、元の瞳の色が運命石と似通っていること。赤い目の人間はそれなりに貴重だ。そのうえ正当な血縁関係がある私生児で孤児院暮らしとくれば、ヴァレット家が回収しない理由はない。

「……それで、貴女は何を見た?」

「母の屍です」


「血を飲まされた時、激痛と一緒に流れ込んできた強烈な感情を、今でも鮮明に覚えています」

 怒りに顔を歪めるルーカスに、ルチアはほんの少しだけ救われたように微笑んだ。

「アレクシア少佐ならご存じでしょう。祝福の継承が、どんな意味を含んでいるのか。」

「……祝福の継承は運命の継承を意味する。故に、鮮血を取り込んで祝福を受け継いだ者には先代の記憶が全て流れ込むと、幼い頃に学んだ」

「ええ、その通りですわ。ですから、今の私は二人分の人生を生きているのです。」

 それは、たった十七歳の少女が背負うにはあまりにも途方のない運命だった。

 全てを奪われ、命を危険に晒され、七年間も閉じ込められて。一方的に背負わされたもう一つの運命を抱き締めて、それでもルチアは前を向き続けている。

「私は、それまで母に捨てられたと思っておりました。最初の記憶は、寒い日に置き去りにされたことでしたから。でも、母の記憶を引き継いで知りましたの。母は私を捨てたのではなく、逃がそうとしていたのだと。どれもこれも、全部私を自由にするためでした。ですから、私は自由にならなくてはいけないのです。」

 声が聞こえるのだ。悲痛で悲惨で、何処までも優しい声が。救いを求めるような声が、血を吐くような泣き声が、強く哀しく希う声が。こびりついたままずっと、離れてくれない。だからルチアはその声に寄り添う。その声を背負って生きると、とうの昔に決めてしまった。

「母は元々、南地区の貧民の生まれでした。幼くして身寄りを失くし、孤児院を出てからは労働者向けの酒場で働いていたようです。ですが、二十歳でヴァレット家に娶られました」

「……囲い込まれたか」

「ええ。表向きは父の妾として、実際には貝の火を生み出す人形として飼われていたのが私の母です。本当は私のように商品にしたかったのでしょうが、あいにく純潔ではありませんでしから」

 ルチアは汚物を踏み付けたように顔をしかめた。

 ルーカスの柔らかな表情が抜け落ち、凪いだ瞳の奥に静かな嫌悪と闘志が灯る。ルチアの脳に焼き付いて離れない、今際の母の瞳に宿った炎と同じ。理不尽を憎み、闘う者の眼光を漲らせながら、ルーカスはただ真摯にルチアの独白を聞いていた。

「貴族にとって祝福の子は家畜と同じですもの。ヴァレット家は地獄そのものです。監獄のような部屋で暴力を受け、涙を奪われて。母は美しかったものですから、挙句の果てに私まで産まされたのです。本当に、気の毒なひとでした。ずっとずっと、自由を希い続けた」

 自分を飼い殺した男の娘など憎いだけだ。とっとと縊り殺してもよかったのに。それなのに、母はそうしなかった。そうして幼い娘を守りながら涙を流し続けていたある日、父親が部屋の鍵を閉め忘れたまた出ていった。

 ルチアは、あの時の母ほど哀れで優しい人間を知らない。

「千載一遇のチャンスだったのに、あろうことか物心つく前の私を連れて行って。案の定逃げ足が鈍って追っ手に見つかってしまいました。でも、最後の意地で私を孤児院に……クオーレの家に託してくれたんです」

「……並大抵なことではなかっただろう。気高く、勇敢な女性だ」

「ええ。母は私の誇りです。それからも藻掻き続け、私は十歳になるまで見逃されてきました。ですがボロボロの体が悲鳴を上げて、もう長くないと診断されるとすぐにヴァレット家は母を処分したんです。そして、代わりに私を飼い始めたのです」

 ルチアの記憶に僅かに残る母はいつだって泣いていた。ルチア自身の記憶に母はほとんどいないけれど、母の記憶の中で、ルチアはかけがえのない存在だった。自由を、この子に自由を。暗闇の中、たったそれだけの願いを抱えて死んだ母の顔が、今も瞼の裏から消えてくれない。

「母はあの家を憎んでいました。そして、私を逃がしてからの六年間、私の自由だけを願っていました。ですから、私は母の望みを叶えるために生きているのです」

 全て聞き終えると、ルーカスは端正な顔を酷く歪めた。一片の憐れみも浮かばない悲痛なだけの表情に、ルチアは不意を衝かれたように目を見開く。

「よく分かった。だが……無礼を承知で言わせていただく。それは、本当に貴女の母君の望みだったのだろうか」

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