horn of rabbit

奥谷ゆずこ

自律人形は夢を見られない 1

 アーネンロ。蒸気の力と革命とも言えるめざましい技術の進歩によって世界に名をはせるようになった国。街を歩けば列車が走り、紳士淑女がからくり時計の動く音とともに生活する。首都は国の技術力を物語るかのように栄えており、いたるところで機械が稼働している。人は皆機械やからくりとともにある。世界全体から見れば決して大きな国とは言えないが、産業において存在感を放つ国である。

そんなアーネンロの首都の、路地に入った所にあるぼろ臭いアパート。強風が吹けば少々不安になる音がする。そんなアパート。私立探偵エドワード・ホームズの事務所はそこにある。名前はhorn of rabbit。ウサギの角。そんな角があったら高値で売れそうである。

爽やかな朝。それを台無しにするようにドアを乱暴に叩く音がしたので、エドワードは乱れた髪のまま玄関に向かった。家賃の催促なら少し待ってほしい。

「失礼。どちら様でしょうか」

「あらあら」

 ドアを開けた先にいた女はエドワードと同じブロンドの髪を指でくるくると弄んでいる。帽子についたゴーグルは技術者の証。スカートの裾には白を台無しにするかのように煤がついている。何かの製作に没頭しているのだろうな。エドワードはそう推理した。しかし、エドワードは私立探偵を名乗るくせに推理というものができない無能な探偵であるから間違っているかもしれない。

 あからさまに歓迎されていない顔をされた女は上品に笑った。だがエドワードは知っている。この女には品性が欠けている。ドアには靴跡がついていた。

「姉の顔を忘れたっていうの」

「俺の知り合いにシャーロットはおりません。では、お互い素敵な一日を過ごしましょう」

 力いっぱいドアを閉めようとしたエドワードに対抗して品性のない女、シャーロットは足を使ってドアをこじ開けた。スカートに靴についていた泥がついてもお構いなしだ。

「あんたはひねくれているから女にもてないのよ。はあ、いつ見ても汚い部屋。もっといいソファーを買えるようにしなさい」

「ちょっと待ってくれ」

 制止されてシャーロットは怒った。姉を部屋に入れない弟なんていらないわ。理不尽な怒りはエドワードの耳をすり抜けた。そんなことを気にしている場合ではなかった。シャーロットに隠れてわからないほど小柄な少女がいたのだ。紳士としていい立ち振る舞いでなかたことを少女に詫びる。陶器のような肌。比喩ではない。人間ではない。誰かとシャーロットに尋ねると、シャーロットは棚を勝手に物色しながら適当に言った。

「それ、自律人形なの」

 自分を律する人形。すなわち、人間を模した作り物。少女は人形であった。エドワードは気が付かなかった。技術が進歩した今、自由に動く人形というのはからくりとして非常に広く親しまれている。ただ、少女は気味が悪いほどに精巧なつくりをしていた。まばたきのできないその目は、作り物とは思えない。

「この子、きっと素晴らしい職人が作り上げたのだわ。私、気に入っちゃった」

 また変なものを拾ってきたのか。エドワードはうんざりした。彼女の拾い癖というべきなのか、収集癖というべきなのかわからないような行き過ぎた好奇心には飽きていた。

 人形は古ぼけた服を着ていた。自律人形に求められるような瀟洒な姿はなく、俗っぽい感じがした。すり減った靴を履いている。エドワードの靴もすり減っている。もうすぐ新しいぴかぴかの靴を買おうと思っていたところだ。なんだか親近感が湧いた。人形の微笑む姿はなんだか下手だ。そこも好感が持てた。玄関から動かない人形をソファーに座らせるとお辞儀をされた。感謝されているようで嬉しかったが、同時になんだか寂しさを感じた。久しぶりに感じた温かい喜びは、人形によるもの。そう思うとむなしい気持ちになった。

「で、何のご用件でしょうかお姉様」

 棚の奥まで探さないと見つけられないはずの秘蔵のクッキー缶に手をかけていたシャーロットがエドワードを見る。そしておもむろに手を広げた。スカートが揺れる。

「この素晴らしい技術を、この街で活かしましょう」

 エドワードは姉の提案に微笑んだ。

「お帰りなら、ドアはあちらです」

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