皇帝代行
ピスケがパスをくぐった先は、思い出したくもない闘技場だった。ワレーシャが初めて反意と憎悪を露わにした場所だ。ピスケが作った丸い囲いがまだ残っている。
「奴はそのうちトラブルを起こすんじゃないかとはずっと思ってたが……フィーコの親友だと思って甘く考えすぎた」
見回すと、周囲には数名の兵士たちが倒れている。出血などはしておらず、気絶しているだけに見える。
「カリラがやったのか……?」
状況を見極めようとしていると、背後で急に物音がした。兵士の1人が立ち上がり、こちらを向いている。ピスケはすぐさま距離をとると、ドワーフで床を叩きバリケードを作った。バリケードの中央には小さな穴が空いており、ピスケはそこから兵士の方を覗き見る。
そこにいたのは……棒立ちの兵士の背中から顔をのぞかせるカリラだった。
「クセモノダー。デアエデアエー」
腹話術のつもりなのか、カリラはなぜかカタコトで喋っている。ピスケは安堵とも呆れともつかぬため息をつきながら、バリケードをもう一度叩いて元通りに修復する。
「ついさっきまでゲロまみれだったくせに元気そうじゃないか」
「うん、おかげで今はスッキリ!」
「それなら今日の晩飯もたらふく食べられそうだな。さっさと帰って食べるぞ、ラーメン」
「あーやっぱ、連れ戻しに来たんだ」
カリラは兵士から手を離す。兵士の体がズサッと床に落ちる。カリラは槍を手元に顕現させる。
「アンタだって分かってるんでしょ? あいつをブッ殺さないと一生終わんないよこれ。一番手っ取り早い解決法じゃん」
「その選択肢はもちろん常にある。だが準備もなしに突っ込めるほど奴は迂闊じゃないぞ」
「力づくでやるまでだよ。アンタもアタシを止めたいなら力付くでやれば?」
「ハー……」
ピスケは片手で頭を抱える。憂鬱そうな顔で面を上げる。
「こうなるだろうとは思っていた……。いいか、1時間だけだ。それ以上は危険すぎる。あと私の指示は必ず守ってくれ」
「やっさしー!」
カリラがピスケに駆け寄ってハグする。ピスケは鬱陶しそうにカリラを引き離す。
「この広い城内を手当たり次第に探しても奴は見つかりはしない。フィーコの書斎に行こう。たぶんあいつはそこにいる」
「書斎? あそこ今はもぬけの殻じゃん」
「これは推量ですらなく、ただの勘だが……ワレーシャは、フィーコのものを全て自分のものにしないと気がすまないタチじゃないかと思う。異常な支配欲と嫉妬心を持つ奴はそういうことをする」
「わかった! じゃーはやく行こ!」
「ああ、交代の見張りが来るかもしれん。長居は無用だ」
2人は扉に向かって勢いよく走り出した。
城内の長い長い廊下を、1人のメイドが歩いていた。メイドは壁に等間隔に備えつけられた灯籠の前に来ては、右手をかざす。指輪が光り、パチパチ光る火の玉の幻獣ーーウィスプーーが出現する。手のひらほどの大きさのその火の玉は、パチパチと瞬きながら灯籠の中に入る。灯籠は明かりとなって廊下を照らす。
「ハー、来る日も来る日も点灯、消灯、点灯、消灯……もう配属変えてもらおうかな……」
愚痴をこぼしながら、メイドは長い廊下の灯籠を一つ一つ点灯していく。毎日なんの代わり映えもしない日常に、彼女はうんざりしていた。
だが彼女が廊下の角を曲がった瞬間、非日常は訪れた。
廊下に、兵士が倒れている。メイドは驚きながら駆け寄る。
「どうされたのですか!?」
「旧闘技場に行こうとしたら、向こうから侵入者が……一刻も早く伝えてくれ……ワレーシャ殿下は玉座の間に……」
「は、はい!」
メイドは兵士をあとにすると、スカートの裾を掴んでトテトテと走っていった。
玉座の間は、ワレーシャの決裁を待つ家臣たちでごった返していた。
「陛下と殿下が実験の失敗で行方不明という情報はどこまで開示すればよろしいでしょうか……」
「身分は公爵以上、役職は副大臣級以上の者だけに絞りなさい。軍や衛兵たちにはわたくしから伝えます」
「ウエラルタ自治区から朝貢の挨拶が来ておりますが、いかがいたしますか」
「三年も朝貢を怠っていた辺境の使者など待たせておきなさい。どうせ帝都観光にしか興味はないのですから」
「本当に捜索隊を編成しなくてよいのですか? 諜報兵団に依頼すれば半日もせずに捜査を開始できると思いますが……」
「諜報兵団はつい先日副団長が職権乱用の不祥事を起こしたばかりでしょう。わたくし自身が選別しますわ」
玉座で頬杖をつくワレーシャは、家臣団からの上申を矢継ぎ早に片付けていた。
行列の後方で順番待ちをしている家臣2人が互いに耳打ちをする。
「ご親友のフィーコ殿下が行方不明というのに、何とも気丈なお方だ。受け答えもハキハキされている」
「帝国の政治機構についてもよくご存知だから報告もしやすい。皇帝になりたいなどと冗談を吹聴していたと聞くが、存外本気だったのかもしれんな、ハハ」
「おい笑うな。それにしても事故で指を失われたのがおいたわしい限りだ……。今も痛むだろうに」
頬杖をつくワレーシャの右手には、包帯が厚く巻かれていた。
家臣たちのヒソヒソ話の後ろから、扉がバンと開く音がした。一同が振り向くと、メイドの姿がある。
「ご注進! 旧闘技場の方面から謎の侵入者です! 見張りの兵士が攻撃されました!」
ワレーシャは眉をピクリと動かす。
「そのような不届き者が……この多忙極まるときに、許せませんわね」
ワレーシャは重々しく立ち上がる。
「城内に厳戒態勢を敷きなさい。衛兵にはわたくしが直接指示を出し、わたくしも見回りに行きます」
「ご自身が? 危険ではございまぬか」
「ガルド陛下であれば家臣だけに任せはしないでしょう。わたくしも多少は陛下にあやかりたいのです。ちょうど座りすぎてお尻も痛くなってきていたところですわ」
「かしこまりました。非番の衛兵も駆り出して侵入者の捜索を行います!」
慌ただしく動き回り始めた家臣たちの間を縫って、ワレーシャは扉の前で佇んでいるメイドの下に来る。
「ご報告ご苦労でしたわ。ところで、あなたはウィスプ使いでしたわね。名はケルネーでしたか」
「は、はい! 私程度の者をよくご存知で!」
ケルネーは恐縮しながら直立する。ワレーシャは、彼女の右手をとる。極度に緊張するケルネーの顔も見ずに、ワレーシャはウィスプの指輪を抜き取る。
「お借りしますわよ、こちら」
「は、はい! ……はい? こ、これがないと私は仕事が……」
「配置換え願いでも出しておきなさい。メイド長にはわたくしから言っておきますわ」
ワレーシャは微笑を浮かべると、玉座の間から走り出る家臣たちに混じって、悠々と廊下を出た。
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