無能な皇女と日本政府

会議

　朝食を済ませたフィーコとピスケが最上階の広い執務室に入室すると、奈津と梓が待ち構えていた。今日は昨日と打って変わって天気は良く、ガラス張りの壁に東京の街が大パノラマで広がっている。

「あら、ボディーガードさんは今日は一緒じゃないの？」

　奈津が尋ねると、フィーコが困り顔で笑う。

「カリラはちょっと体調が良くなくて……」

「あいつ、フライドチキンを食べすぎたんだ。昨日もコンビニのカツカレー弁当食ったのに……」

　ピスケが呆れながら言うと、奈津がプッと吹き出す。

「あらまあ、こちらの食事を気に入ってもらえたようで何よりだわ」

「カロリー計算したら失神しそうです」

　梓は冗談とも本音とも取れない真顔で、PCをモニタに繋げている。

　ピスケとフィーコは、4人掛けの会議机に着席した。この広い執務室には昨日座った円卓以外にも何個も机があり、今日はその一つを利用している。

　フィーコがあたりを見回す。

「未唯はいないのですか？」

「今日は非番よ。あの子放っておくと無限に仕事しちゃうから、強制的に休ませてるの。じゃ、始めましょ。ファシリは梓に任せていい？」

「はい」

　梓は短く頷いた。モニタには、議事録が映し出されている。

「お集まり頂きありがとうございます。この会議の目的は、魔法の世界から発生し得るリスクの洗い出しです。私たちは現在、パスクローザーでパスを事後的に閉じることはできますが、パスの発生を迅速に探知することができません。よって常に対策は後手……パスを通過されてからになります」

　梓は淡々と説明する。

「すると我々の興味は俄然、パスを潜った人物や幻獣がどのような特徴を持っているか、となります。一般的な幻獣の種類、攻撃方法、編成など、できるだけ幅広く情報を収集しておき、想定されるケースそれぞれにシナリオを立てることが必須です」

　梓は、真剣に聞き入るフィーコとピスケに視線を送る。

「つきましては、質問リストをこちらの方で用意させていただきました。分かる範囲で構いませんので、こちらに回答していただきたいのです。ここまではよろしいですか？」

　フィーコとピスケは頷く。

「ではまず一つ目です。ヴァルハラント帝国の軍隊の編成について教えてください。陸軍、海軍といった種別はあるのでしょうか」

「フィーコ、説明できるか？」ピスケが横のフィーコに尋ねる。

「え、えっと……」

　フィーコは言葉に詰まる。それを見てピスケは「しまった」という表情をした。

　場に気まずい空気が流れる。フィーコは両手を膝について俯く。

「すまん、いつもの癖で……」

「ごめんなさい……私、こういった専門知識を何も覚えてなくて……」

「お前が謝ることじゃない。全部あの権力に目が眩んだ狂人のせいだ」

　ピスケは忌々しそうに言うと、梓に向き直る。

「あくまで従者の私でも知っている範囲で答えるぞ。帝国には目的に応じて複数の兵団がある。空挺兵団、陸路兵団、水上兵団、諜報兵団、近衛兵団……後はわからんな。それぞれ、目的に合致する色々な幻獣で構成されている」

　梓は、モニタに表示された議事録にピスケの発言を素早く打ち込んでいく。

「では、それぞれの兵団を構成する幻獣の種類と攻撃方法を教えてください。まずは空挺兵団から」

「私が知っている限りでは……ワイバーン、これは火を吹く翼竜だな。次にグリフォン。目立った能力はないが、タフで接近戦にめっぽう強い。後はホウオウか……こいつは式典によく出てくるが、羽が綺麗と言うことしかわからん……こんなザックリした情報でいいのか？」

「はい、貴重な情報です。他に空挺兵団の幻獣はいますか？」

「うーん……パッとは思い出せない」

「承知しました。もし思い出したら教えてください。では次に陸路兵団ですが……」

　梓はテキパキとヒアリングを進め、ピスケも答え得る限りの回答をしていく。

　フィーコはぼうっと2人の会話を聞きながら、モニターを眺めている。議事録が、次々に文字で埋まっていく。

「……」

　フィーコは2人の会話を聞き続けているが、もはやその内容は頭に入ってこない。まるで自分がそこにいないかのように、意識が遠のく。

「ちょっと皇女様、大丈夫？　顔色がよくないわよ」

　奈津に呼びかけられて、フィーコは気がついた。ピスケと梓も、フィーコの様子を伺っている。

　フィーコは、ゆっくりと立ち上がると、笑いそこねたような顔をする。

「ごめんなさい、少し気分が悪くて……部屋に戻ります。私も朝食で、ショートケーキを食べすぎたかもしれません」

　フィーコは一礼すると、力無く机を後にした。ピスケが、心配そうに見送る。

　ドアがパタンと閉まったのを確認して、ピスケは膝の上で両手の拳を握りしめる。

「あいつ、ケーキは一切れしか食べてないぞ。私のバカ、連れてくるんじゃなかった……」

「帝国でも一番の博識だったのよね……悪いことをしたわ」

　奈津も、同情するように声をかける。梓も僅かに眉を困らせているが、

「心苦しいですが……ピスケさん、続きをよろしいですか」

「分かってる！　あと今後は私だけを会議に呼んでくれ」

　ピスケは苛立たしげに言うと、梓の質問に再度答え始めた。

　最上階から急降下するエレベータに、フィーコは1人で搭乗していた。気圧差で、頭が痛くなる。フィーコはこめかみを抑える。

「あの時も、ひどい頭痛でした……」

『頂きますわよ、その知識の全て』

　ワレーシャの右手が迫り来る映像が脳裏に浮かんだ瞬間、

「いやあ！」

　フィーコは激しく頭を振って、壁に寄りかかる。体がガタガタと震える。涙が一条、頬を伝う。

「どうして、どうして……」

　手洗いから出てきたカリラは、げっそりした顔で顎を拭った。

「油食いすぎた……もっと米で薄めりゃよかった……」

　廊下を歩くうちに、エレベータの扉が開く。出てきたのはフィーコだった。フィーコは、頬の涙を袖口で拭っている。

「フィーコ！？」

　カリラはフィーコに駆け寄り、肩を掴む。

「どうしたの！？　あいつらに何か変なこと言われたの！？　Twixxerでアンチにデマを拡散されたの！？　活動休止なの！？　ねえ、何でだよ！？」

　カリラは真剣そのものだ。フィーコは、涙ぐんだまま笑う。

「Twixxerのことはよく分かりませんけど……私は、その、えっと……お父様のことを急に思い出しただけなんです。気にしないでください。心配かけてごめんなさい」

「てか、会議は終わったの？」

「ピスケに任せてます」

「フィーコの知識がないと始まらないじゃん！　あいつら馬鹿なの！？」

　フィーコの目尻に涙がジワっと浮かぶ。カリラは「あっ」と小さな声を出す。

「ご、ごめん」

　カリラはしおらしく謝罪するが、次の瞬間には怒りの表情に変わる。

「これも全部ワレーシャの強欲のせい！　アタシ、今から戻ってあいつの寝首をかいてやるから！」

「あなたは本当に頼もしいですね。ただ、私たちは今対策本部の保護下にいます。きちんと彼女らと対策を練って……」

「あんな酷いことされて、どうしてそんなのんびりしてられるの！？　私は一秒だってあいつに息してて欲しくない！」

「私もワレーシャの所業は、到底受け入れ難いです。ただ、思うのです。なぜあんなことをしたのかと……」

「『なぜ』！？　そんなの、あいつが大嘘付きの欲まみれだからに決まってるでしょ！？」

「そうなのかもしれません。でも、本人の口から聞くまでは分かりません」

「ハァ……フィーコは優しすぎるよ」

　カリラが嘆息すると、フィーコは涙を拭って微笑む。

「カリラのその気持ちだけでも、私は十分に救われています。今は英気を養って、対策本部の皆さんと足並みを揃えていきましょう。では、私は失礼しますね」

　フィーコは、カリラに背を向けるとそのまま居室に向かう。カリラは追いかけようとするが、急に吐き気を催して立ち止まる。

「うげ……今日もう何度目だよ」

「カリラ、大丈夫？」

「あ？」

　声をかけてきたのは未唯だった。いつもの白衣姿ではなく、カジュアルなキャラもののTシャツを着ている。

「未唯なんでここにいんの？」

「私もこの階に寝泊まりしてるんだよ。昨日言ったと思うけど……」

「ねえ、ちょっと付き合ってよ。カフェってとこ連れてって！　ステバの新作とかいうの飲んでみたい！」

「え、めっちゃ気分悪そうだけど大丈夫……？」

「冷たくて甘いもの飲んだら治るじゃん！」

　カリラは、未唯の腕を掴んでエレベータに向かう。未唯は突然のことに慌てる。

「ちょい待って、せめて外用の服に着替えさせて！」