オリエン
「この世界の食事は思ったより淡白だな……」
ピスケがブロッコリーを齧りながら呟く。
「ねーラーメンは!? ギュードンは!? カツカレーは!? アキバで見たのこんなんじゃなかった!」
とっくに弁当を食べ終わったカリラは、ブーブーと文句を言う。この調子であれば回復は早そうだ。
「私達の疲労を気遣って、もたれないものにしてくださったんですよね……。ご配慮ありがとうございます」
フィーコはカリフラワーライスを少量ずつスプーンで口に運ぶ。未唯との会話を通じて落ち着いたのか、今はまともに受け答えができる状態になっている。
3人は、最上階の広い執務室の中心にある、広い円卓に並んで座っていた。その向かいには、奈津、梓、未唯が座り、梓のオーダーした極めてストイックな弁当を同様に食べている。
「今度焼肉に連れてってあげるわ。今日はこれで我慢して」
奈津が言うと、梓がいささか不服そうな顔をする。
「我慢? ご褒美ですよ」
「私もそう思える体質なら、健康診断のたびに小言言われなくて済むんでしょうね」
奈津と梓のやりとりを横目で見ながら、未唯が苦笑する。
「あのさ奈津、そろそろ自己紹介くらいしない?」
「いっけない! 脂身を探しているうちに時間が経ってしまったわ。じゃあ私から」
奈津はスプーンを片手でピュンピュン振りながら言う。
「宮坂奈津よ。この幻獣対策本部の本部長代理をやってるわ。元は企画総務課の課長だったはずなんだけど、本部長が発足から3日で逃げちゃってね、今はここの責任者。出身は内閣法制局……って言ってもわからないわよね。ま、よろしくね」
「機動課課長の黒崎梓です。機動部隊の指揮と、本部長代理のサポートを担当しています。警視庁の捜査第一課、機動隊、SATを経てこちらに配属となりました。よろしくお願いします」
「私はさっきも自己紹介したけど、改めて! 技術課課長の瀬ノ川未唯だよ。普段は国防総省、ってあー、アメリカって言う日本とは別の国の軍事部門で兵器の研究してるんだけど、今は対策本部に出向してきてるんだ。まあ、この辺りの経緯も含めて後で説明するから!」
未唯がニコニコしながら言うと、フィーコも微笑んだ。異世界で最初の友人がここにいることは、異世界に放り出されて心細さしかないフィーコにとっては唯一と言っても良い心強い材料だった。
「ご丁寧にありがとうございます。では私たちも……」
フィーコ達3人の簡単な自己紹介を聞いた後、未唯はプロジェクターでスライドを投影し始めた。
「じゃあ、オリエン始めるね。まず、この写真は見覚えあるよね?」
未唯が映したのは、サンドワームと戦闘するカリラの写真だった。次々に、様々な画角から撮られた秋葉原の事件の様子が映し出される。
「見覚えも何も、私たち自身じゃないか」ピスケが言うまでもないとばかりに答える。
「だよね。じゃあ、これは?」
次に未唯が映した写真は、牛頭の怪人、ミノタウロスだった。だが、それは上半身だけが地面に横たわっている。場所もアスファルトの上で、明らかに日本の街中だ。
「あ、ビフテキおじさん! こっちにもいるんだ? なんか死んでるけど」
カリラが指さすと、未唯は真剣な表情で続ける。
「これは神田……秋葉原のすぐ近くで撮られた写真なんだけどね。君らが秋葉原に来る5日前に撮られたんだ」
「5日前……ちょうどフィーコがミノタウロスを呼び寄せてしまった時だな」
ピスケがフィーコを見る。
「あの時、パスは通じていたのですね……ただ、不完全だったから、ミノタウロスの顕現も完全ではなかったのでしょうか……」
「フィーコの予想は多分正しいよ。このニュースをアメリカで見て、私は急遽来日したんだ。で、空き時間にアキバを散策してたら君らと会ったってわけ」
フィーコは、スライドから未唯に視線を移した。
「兵器の研究をされていると仰っていましたが……未唯は魔法にも詳しいと言うことなのですか」
「魔法というなら……そうかもね。じゃあ、ここからもうちょっと昔の話」
未唯は、次の写真を投影する。その写真はモノクロで、解像度も低い。ただ、そこに映っているものは3人には見覚えがあるものであった。
「サンドワーム……?」
ピスケが指摘した通り、そこに写っているのは確かにあの巨大な芋虫であった。サンドワームは何らかの施設の中におり、その周りには横たわる人間が散乱している。そして、その人間達の多くは体が溶け、床や机と一体化している。
「フィラデルフィア計画。世界史上最悪の戦争を背景に行われた、禁忌の実験。その目的は、パスを開いて幻獣を米軍の兵器として使役すること」
「この世界にも、召喚術があったのですか……?」フィーコが意外さを隠せない様子で尋ねる。
「私たちの言葉では、これは量子力学っていう学問の応用なんだ。量子トンネル効果でエネルギーの膜を超えて、高次元空間で接する世界に干渉する技術。まあ、結局うまくいかなかったんだけどね」
未唯が次に投影した写真には、顔まで爛れた実験の被害者のアップが写っている。
「未唯、食事中に見せる写真じゃないわよ。皇女様さっきからご飯に手をつけてないじゃない」
奈津が注意すると、
「あ、ごめん! もう私これ見慣れすぎちゃってさ!」
と、未唯は一気にスライドを進める。フィーコは多少気まずそうに笑う。
「お気になさらないでください。元からあまり食欲がないだけですから」
「じゃあフィーコ、それもらっていい?」
カリラは横から手を伸ばすと、フィーコが答えるより早く、フィーコの弁当をガツガツとかき込み始めた。ピスケが非難がましく睨む。
スライドをめくっていた未唯は、口髭の男性の顔写真のところで止めた。
「甚大な被害を生んだこの実験は、最後の実験責任者だったアインシュタインの提言で打ち切られ、歴史の闇に葬られたんだ。アインシュタインは、3つの遺言を残した」
言いながら、未唯は指を立てる。
「1つ目。パスを2度と開かないこと。2つ目。この記録は米国の高等研究機関、当時のOSRDにのみ残すこと。この役割は今は私が所属する国防総省のDARPAに引き継がれてる。そして3つ目。もし世界のどこかでパスが開いたら、この情報をその国の政府に速やかに開示し、現地で協力体制を築くこと」
「私たちの開いたパスが、その遺言実行のトリガーになってしまったのか」
ピスケが息を呑むように言うと、未唯が深く頷く。
「そういうこと。そこから急ピッチで内閣府に対策本部が設立されて、秘密裏にパスの研究に携わってた私もそのまま出向することになったわけ」
「ああ……」
フィーコが、手で顔を抑えて俯く。
「私が興味本位で始めた実験が、帝国だけでなく、この世界にまで影響を与えていたなんて……私は何ということを……」
落ち込むフィーコの様子を見て、未唯が優しく微笑みかける。
「まあ、パスが開くのはこれが最初じゃないんだよ。バミューダトライアングルとか、神隠しとか、ネッシーとか、いわゆる都市伝説として語られるものの多くはパスの偶発的な発生が原因。さらに言うと、ローマ時代のプリニウス誌に出てくるユニコーンやバジリスク、古代中国の山海経に描かれた九尾の狐、こういったモンスター達も、元はパスから出てきた幻獣だと考えられてるんだ。別に、フィーコだけが責任を感じることはないよ」
未唯の言葉を聞いて、奈津が口を開く。
「ただ今回違うのは、SNSの発達によって、権力で真実を揉み消すのが難しくなってしまったということね。あなた達もだいぶ派手にヒーローショーを繰り広げてくれたし……。まあおかげで、こんな立派なビルを堂々と接収できたりもしてるわけだけど」
窓ガラスから東京の雨景色を眺める奈津に、ピスケは鋭い視線を送る。
「お前達の事情はよくわかった。で、私たちにどうして欲しいんだ? パスを閉じる技術があるなら、それで十分じゃないか」
答えたのは梓だった。
「偶発的な幻獣の出現についてであれば、何とかなるでしょう。しかし我々が最も警戒しているのは、異世界からの意図的な侵略です。しかもそちらの世界には、あなた方を追う勢力がいる。明日にも幻獣使いが差し向けられるかもしれません。この世界の防衛に、知識面でも戦闘面でもどうか協力をお願いしたいのです」
梓は真剣な面持ちで要望を伝える。真っ先に答えたのはカリラだった。
「要はワレーシャを皆で返り討ちにしてやろうってことでしょ? いいじゃん、やろう! ロボットいっぱい連れてきてよ!」
「おい、軽率なことを言うな」
カリラを嗜めたピスケは、奈津達に厳しい視線を送る。
「日本政府の立場はよく分かる。こうやって匿ってもらえた恩もある。だが伝えた通り、我々は国も拠り所も失ってボロボロだ。気持ちよく協力とはいかない」
言いながら、ピスケはチラチラとフィーコの方を見る。フィーコは机を見つめたまま押し黙っている。
奈津が言う。
「もちろんタダ働きしろとは言わないわよ。皇女様が帝国の正当な後継者であることは間違いなさそうだし、外務省ルートで無事に国に戻れるようにする方法も模索できるかもしれないわ。まあ、露骨な内政干渉にならない範囲でどれだけ協力できるかは約束できないけど……」
奈津が言い終わると、自然と皆の視線はフィーコに集まる。フィーコはじっと考えていたが、やがて面を上げる。
「これは後先考えずにパスを開いてしまった私の責任です。できる限り協力させてください」
フィーコが言うと、奈津はホッとしたような表情をした。未唯も笑顔を見せる。一方、ピスケは眉間に皺を寄せた。
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