雷の行方

 ワレーシャとガルドが闘技場に入ると、フィーコは相変わらず魔法陣と向き合っていた。集中していて、2人の入室にも気づかない。


「フィーコ、陛下がお見えですわよ」

「あーはい、そこに置いておいてください」

「わしは郵便物か何かか」

「え、お父様!?」


 ガルドの声に、フィーコは素っ頓狂な声をあげる。


「い、いけない! 早く閉じないと!」


 フィーコは慌てて詠唱を始める。魔法陣が発光し始める。


「おいフィーコ、わしは別に雷を落とすつもりで来たわけでは……」


 だがフィーコは話を聞いていない。しばらくすると発光が収まり、フィーコが額の汗を拭う。


「ふぅ……あ、お父様、いらしてたんですか。別にこれは科学の世界へのパスを開く魔法陣ではなく、新しいアートで……」

「無理があるじゃろ……。マッサージチェアとやらが飛び出てくるくらいなら、もう構わんわ」

「はい、マッサージチェア? 何の話ですか?」


 フィーコが首を傾げる。次の瞬間。


「ウッ!」


 ガルドがうめき、ドサっと倒れた。その背後から、スタンガンを握ったワレーシャが現れる。スタンガンからはチリチリと不穏な音が漏れ出ている。


「え……?」


 突然のことにフィーコは固まる。ワレーシャは横たわるガルドを冷然と見下ろしている。


「大陸一の雷使いも、フィトンとの契約が切れればこんなおもちゃで気絶するんですのね」

「え、ワレーシャ……?」


 フィーコは状況を飲み込めない。


「ワレーシャ、貴様……」ガルドが這いつくばったまま呻く。

「さすがに一発とは参りませんか」


 ワレーシャはガルドの傍らに跪くと、スタンガンを再度その腰に押し当てる。


「グゥ!!」


 ガルドが痙攣し、気絶する。ワレーシャはスタンガンを放り捨てた。


「あちらの世界では、腰に電気を流す療法もあるそうですわ。これで腰が良くなるとよろしいですわね」


 ワレーシャはガルドの右手を掴むと、そこからフィトンの指輪をスッと抜き取る。そして、それを自分の右手の中指にはめる。


「あの、ワレーシャ、いったい何をして……」


 ワレーシャは答えないで詠唱を始める。ジャックフロストとフィトンの指輪が、それぞれ青白く光る。


「英雄惜しむらくは子煩悩に過ぎた……と言ったところですわね。戦場でどれほど冴え渡っていたのか存じませんが、娘のことになると途端に頑迷で愚かで間抜けになる」


 ワレーシャは静かに立ち上がると、右手をフィーコに向ける。ワレーシャの手から電流がほとばしり、フィーコの近くの床に反射して跳ねる。


「ひ!」

「どうしましたの、そんなに怯えて。これくらいの電流、慣れっこでしょう」


 ワレーシャは右手を向けたままフィーコに一歩、また一歩と近づく。フィーコは足が震えて動けない。


「え、え、え、え、え、え、え、え、え、え、」


 フィーコはパニックだ。ワレーシャは、フィーコの目の前に来ると、ニッコリと微笑む。


「フィーコ、本当に世紀の大発見の数々でしたわ。厄介なフィトンの契約を無効化し、あまつさえ奪う方法を見つけてくださったのはあなた。あの訳の分からぬ古書をあなたに託して、本当に良かった……。科学の世界での経験も、あなたに教えてもらった詠唱も、わたくしにとってかけがえのない宝物ですわ」


 ワレーシャはガタガタ震えるフィーコの右手を取ると、ハクタクの指輪を抜き取ろうとする。


「や、やめてください!」


 フィーコが瞬時に手を引っ込める。その瞬間、電流が全身を巡る。


「あう!」


 フィーコは崩れ落ちる。体がしびれて思うように動かない。ワレーシャは、その隣に片膝をつく。


「本当に手のかかる子ですわね。これだけ恵まれた立場にいながらウジウジと不平ばかり言って、知識以外は何の役にも立たなくて、そのくせ幼児みたいに衝動的で。ほら、手をお出しなさい。わたくしに子守してもらえるのもこれが最後ですわよ」


 ワレーシャは、再びフィーコの手を取ると、そこからゆっくりとハクタクの指輪を抜き去る。フィーコの表情が絶望と混乱に染まる。


「か……返して! 返してください! お願いです! どうして! どうしてこんなこと! それは私です! どうして私を返してください!」

「あら、実験の時は気前よく渡して下さったじゃないですの。まったく気まぐれですわね」


 フィーコの叫びも空しく、ワレーシャは指輪を小指にはめる。短時間の詠唱の後、指輪が光る。ワレーシャの右手には、計3つの指輪が装着されたことになる。


「知識は正しき者に正しく使われねばなりませんわ。あなたならそう思いますわよね?」


 ワレーシャは、うつ伏せのフィーコの額を鷲づかみにする。指輪が光る。


「頂きますわよ、その知識の全て」

「いや、いや……」


 しかし無慈悲にも、フィーコの頭に経験したことのない強烈な痛みが走る。


「ああ、ああああああ!!!!!」

「安心なさい、生い立ちの記憶だけは残して差し上げますわ。完全に記憶喪失になったら惨めな気分を味わえませんもの」


 言いながら、ワレーシャも脳に流れ込む膨大な情報量に顔を歪めている。

 フィーコの絶叫がしばらく続いた後、徐々に指輪の光が弱まる。光が完全におさまると、ワレーシャは息切れしながら額から手を離す。フィーコはもはや息も絶え絶えだ。

 ワレーシャは、激しく喘ぐフィーコの耳元に口を近づけて囁いた。


「フィーコ、クイズですわ。第一問。ヴァレリア1世が即位したのは何年前でしたか?」

「あ……」


 フィーコは何も答えない。答えられない。


「残念、時間切れですわ。では第二問。サンドワームの弱点は、炎と水、どちら?」

「あ、あ……」


 フィーコは口元をパクパクするだけだ。


「残念これも時間切れ。では3問目。これがラストですわよ。召喚された幻獣はどこから現れますの?」

「ああ……あ……あああ……」


 フィーコは悟った。何も、思い出せない。


「ワレーシャあああああああああ!!」


 フィーコは大粒の涙をボロボロこぼしながら、怒りの形相をワレーシャに向ける。ワレーシャはそれを見て満足げに嘲笑する。


「あなたにはそんな表情が一番似合うと思ってましたわ。さて、良いものも見れたことですし、本家の血筋を絶つとしましょう」


 ワレーシャは右手をフィーコに向かってかざす。フィトンの指輪が光り始める。


「いや……助けて……」


 フィーコの顔が絶望に染まる。ワレーシャが口も裂けんばかりに笑みを浮かべる。






 しかし次の瞬間。ワレーシャの顔がフィーコの視界から消える。フィーコの目に映っていたのは、父の拳だった。


「死罪で済むと思うなよ!! 小娘!!」


 ガルドは殴られて倒れ伏したワレーシャに向かって駆け寄る。ワレーシャもすぐに、尻餅をついたままガルドに向き直る。


「フィーコで遊びすぎましたわ!」


 ワレーシャは手のひらをガルドに向けるが、ガルドは足を前方に蹴り上げ靴を勢いよく飛ばす。靴はワレーシャの顔面に激突する。


「っだ!」


 ワレーシャの狙いが逸れ、電撃があらぬ方向に飛ばされる。ガルドがワレーシャの懐に飛び込み、その右手をガシッと掴む。


「この指輪は貴様ごときの垢をつけて良いものではない!!」


 ガルドは中指からフィトンの指輪を抜き取ろうとする。だが、ワレーシャは瞬時に手を固く握ってさせまいとすると、


「触れるな蛮族が!!」


 ガルドの体に電撃を流し込む。ガルドの全身が青白い光に包まれる。


「ギアアアアああああ!!」


 ガルドはほとんど断末魔のような響きをあげる。しかしガルドは感電したまま、ワレーシャに頭突きを放つ。


「グッ!」


 ワレーシャがよろめき、放電が止まる。ガルドは白目を剥いたまま、床に倒れ込んだ。


「お父様ぁ!!」

「親子揃って鬱陶しいことこの上ない……」


 ワレーシャは傷ついた鼻を片手で押さえながら立ち上がる。ワレーシャは力尽きたガルドを一瞥した後、苦虫を潰したようにフィーコを睨みつける。右手からはバチバチと電流がほとばしっている。

 その時、バタンという大きな音が側方から響いた。


「ワレーシャ、アタシのスタンガン盗んだでしょ! アンタの髪の毛が部屋に落ちてた!」

「いや、ちょっと待て。何か様子がおかしいぞ」


 思いがけず闖入したピスケとカリラの目には、倒れ伏したガルド、怯えるフィーコ、電流を腕に纏うワレーシャの姿が映る。


「何だ……何だこれは……? おいワレーシャ、お前ついに血迷ったのか……?」

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