実験続行

 玉座の間での一件から数日が経ったが、フィーコやワレーシャに対しては何の処分もなかった。カリラとピスケには護衛の不行き届きということで、自室での謹慎処分が降ったものの、見張りがつくわけでもなく、ほぼ形式上のものであることは誰の目にも明らかだった。

 フィーコはワレーシャと共に、今日も今日とて実験に勤しんでいた。書斎も古宿の地下室も失った彼女らは、ワレーシャの提案で今は使われていない小さな闘技場を拠点にすることにした。

 無機質な鉄のドームの真ん中で、ワレーシャが目を閉じて静かに詠唱を行なっている。ワレーシャの右手には、薬指だけでなく小指にも指輪が嵌められている。

 詠唱が進むにつれ、小指の指輪が青白く発光し始める。そして、その傍らに毛むくじゃらの獣、ハクタクが出現する。ワレーシャは目を開ける。


「まさか、本当にわたくしがハクタクを……」

「同時にジャックフロストも使えますか?」

「やってみますわ」


 ワレーシャが左手の平を上に向けると、そこに氷の粒が生成する。フィーコがパチパチと拍手する。


「歴史的瞬間ですよ、ワレーシャ! やはり召喚のパスを1度閉じた後に再契約すると、複数召喚が可能になるのですね!」

「あなたの才能が末恐ろしいですわ……」


 ワレーシャがフッと息を吐くと、氷もハクタクも消滅する。


「詠唱というのは、えらく疲れますわね」


 フィーコにハクタクの指輪を返しながら、大きく息を吐く。


「詠唱は極めて高い精神集中を要しますからね。でもワレーシャが詠唱を習得してくれたおかげで、私はだいぶ楽に実験を続けられるようになりました」

「ミノタウロス戦とサンドワーム戦で思ったのですわ。詠唱がいつもあなた頼りだと、いざという時に手詰まりになると。まあ呪文の知識はあなたのハクタクに流し込んでもらったものですし、自慢できるものでもありませんけど」

「ワレーシャの集中力あってこそですよ。最後は執念と、いつも言っているだけありますね。さて……」


 フィーコは、闘技場の中央に描かれた、大きな魔法陣に目をやる。


「複数召喚の実験は順調ですし、やはり目下はパスの安全性向上ですね。毎度幻獣と戦っていては身が持ちませんし、パスを閉じると召喚も無効化するというのもリスクです」

「あら、まだ続けますの?」


 ワレーシャが問うと、フィーコはギクッとしたように身構える。そして、雨に濡れた子犬のように項垂れる。


「やはりいけませんよね……お父様に逆らって、こんなこと続けて……お父様もカンカンに怒ってらっしゃるはず……」

「あ、いえ、わたくしはそういう意味で言ったんではありませんわよ。疲れたので、休憩を取らないかと言っただけです」

「あ、そ、そうでしたか」


 フィーコはきまり悪そうに笑う。


「私はまだ大丈夫です。ワレーシャは自由に休んでください」

「そう? じゃあお言葉に甘えて、しばらく気分転換してきますわ」

「はい、お気をつけて」


 フィーコは、魔法陣に左手をついて詠唱を始める。魔法陣の光り具合に目を凝らしながら、右手で床に置いたノートに何やら書き連ねていく。ワレーシャは黙々と作業するフィーコを眺めた後、部屋を後にした。






 ワレーシャが向かった先は、中庭のテラスだった。フィーコ達といつもお茶をする場所だ。だが、そこにはいつもと異なる先客がいた。


「何用じゃ、このわしを呼び出しおってからに」


 ガルドは茶を飲みながら、不機嫌そうに言う。しかし今のところ雷は出ていない。ワレーシャは向かいの席に座ると、自分もポットから茶を淹れる。


「ご多忙の中、ご足労賜り恐縮ですわ」

「さっさと要件を言えい。皇帝になりたいという話なら帰るぞ」

「その話はいずれまた今度……。話はフィーコのことです」

「であろうな。科学の世界とやらへの通行手形でもねだりにきたか」

「真剣な話です」


 ワレーシャは、コトンとカップをソーサーに置く。


「陛下は、最近腰を悪くされてらっしゃいますわね」


 ワレーシャが言うと、ガルドは不審げな表情をする。


「そのことは典医しか知らぬはずだがな……なぜお前が知っている」

「フィーコから聞きました」

「フィーコにも言っておらん」

「あの子は陛下の一挙手一投足まで全て克明に記憶していますわ。陛下の所作を見ただけで、着座のたびに痛みを我慢されていることも、それを悟らせまいと気丈に振舞われていることも、分かってしまうのです」


 ワレーシャが静かに語るのを聞いて、ガルドは眉間に皺を寄せる。


「そうか……わしもついにヤキが回ったようだ。戦場を駆けずり回ってた頃は、足に矢を受けてもびっこは引かなかったというのに。左様だ、今も痛うてしゃあないわ」


 ガルドが、大袈裟に腰を撫でさする。


「それで、それがどうしたというのだ。老いぼれが老いぼれて何が悪い」

「フィーコが次に科学の世界に行ったとき、最初に持って帰りたいと思っている品は何かご存知ですか」

「お前らはなぞなぞが好きじゃの。そんなこと、向こうの世界を見たこともないわしに分かるか」

「答えはマッサージチェアですわ。座るだけで、自動で腰や肩を叩いたり揺らしたりして、体を楽にしてくれる椅子です。若いわたくし達ですら気持ちよかったのです、陛下にはもっと効果的でしょう」

「ほう、そんなものがあるのか……」


 ガルドが少しだけ興味を示す。だがガルドはすぐに顔を引き締めた。

 

「だが動力がなくては動くまい。この世界に科学はないぞ」

「科学の世界の動力は雷なのです。ちょっと改造すれば、陛下のフィトンの能力で動かせるようになるはずだ、これで少しは陛下の腰痛が軽減できればと、フィーコは言っていました」

「ふむ……」


 ガルドは、再度考え込む。腰のあたりをさすっているのは、無意識だろうか。

 ワレーシャは続ける。


「先日はフィーコもあのように言っていましたが、内心では陛下を父として大切に思っていますわ。この前の件も、言い過ぎたと反省しております。一度、フィーコの話をきちんと聞いてはくださいませんか。あの子は今、歴史に残るような大発見をしようとしている、いえ、既にしています。皇女としてではなく、娘としての成長を、きちんと見届けてはいただけませんか」

「成長か……」


 ガルドは中庭を自由に飛ぶ二羽の小鳥を見ながら呟く。


「あやつが命を賭して芋虫の化け物を封じたと聞いたとき、わしはにわかには信じられなんだ。だが科学の世界から戻ってから、少しあやつの顔つきが変わったのも事実だ……。お主もな」


 ガルドは、ワレーシャに視線を送る。


「お主、本当にまだ皇帝になりたいなどと思うておるのか」

「陛下がわたくしと同じ年齢、同じ立場だったら、簡単に諦めますの?」


 ワレーシャは、お茶を一気に飲み干すと、席を立つ。


「お時間をいただき感謝いたしますわ。フィーコは今、使われていない小闘技場で実験をしております。では、失礼いたします」


 ワレーシャの背中を、ガルドは無言で見送る。だが、ワレーシャがテラスを出る直前、ガルドがよく通る声で呼ばわる。


「腰の悪い老人を1人で歩かせる気か。案内せい」






「あーーー暇ーーーー」

「人を付き合わせておいて、そりゃないだろ」


 謹慎中のカリラとピスケが、当て所もなく廊下を練り歩いている。当初ピスケは、こういう時でもなければ読まないからと、大人しく自室でフィーコに薦められた本を読んでいた。だが暇を持て余したカリラにしつこく誘われ、今は散歩に付き合っている。


「フィーコのとこ行っちゃダメかな?」

「謹慎の意味がないだろ。そもそもどこで実験してるのかも分からん」

「だよねー。書斎にいるかと思ったけど空っぽだったし」

「既に尋ねてたのか……。せっかく寛大な処置で済ませてもらったんだから、少しは大人しくしててくれ」

「あ、あれ、ワレーシャじゃない? おっちゃんもいる」


 2人が歩く2階の廊下の窓から、中庭を連れ立って歩くワレーシャとガルドの姿が見える。


「フィーコいないね」

「珍しい組み合わせだな。皇位継承の直訴でもしているのか? その割には揉めてるようにも見えん」

「ねー、面白そうだしついてってみない?」

「ダーメだ! 陛下に見つかったら謹慎延長だぞ。さあ、自室に戻ろう」

「ちぇー……。こんなことなら科学の世界から何か面白いもの持ち帰るんだったな……」

「スタンガン……じゃ暇つぶしにはならないな」

「そういえばあれ無くしちゃったんだよね」

「おいそりゃ危険だろ! まだ電池入ってるぞ」

「よーし、スタンガン探しの旅、スタートだ!」

「おいバカ、ウロチョロするな! 掃除係のメイドに探してもらえ!」


 既に駆け出したカリラを追って、ピスケも走り出した。

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