それぞれの葛藤
フィーコとピスケは地図に従ってスイカブックスに入店した。ワレーシャとカリラは、パスを誰も潜らないように駅前広場を監視している。
「この冊数は圧巻だな。フィーコの書斎より多いんじゃないか」
「この世界の本は随分薄いんですね! そういう意味ではどなたでも読みやすそうです」
フィーコは同人誌の一冊を手に取ると、パラパラと眺める。ピスケもそれを隣から覗き込む。
「この世界の本は、絵がついているんだな」
「むしろ絵がメインに見えますね」
「これで言語学習になるのか?」
「かえって都合が良いです。絵と文字列の出現パターンを同時に学習すれば、その言葉がどういう意味なのか視覚から理解できます。書き言葉が分かれば、店内の会話から類推して発音も分かります。では早速……」
フィーコは本棚の端から同人誌を片っ端から捲り始める。1冊10秒もかからない。ピスケは、本棚から本を10冊ほどまとめて取り出し、フィーコの膝下に平積みする。フィーコが読み終えると、次の10冊と取り替える。
フィーコは一心不乱に同人誌を速読する。右手の指輪が青く発光し続けている。ピスケはその横顔を覗き込みながら言った。
「なあフィーコ、一つ聞いてもいいか」
「ええ、大丈夫です。続けてください」
「お前、ワレーシャの言うことをどこまで本気で受けとめてるんだ? 本当にあいつが皇帝になれると思うか?」
フィーコは、ページをめくる手をピタリと止める。返答はない。 ピスケが続ける。
「お前はただの職人見習いだった私を、従者として拾ってくれた。お前の研究者としての夢を、私としては最大限応援したい。だが、ワレーシャの野心に加担するのが良いことかは話が別だ。陛下の期待だけでなく帝国のしきたりにも反することだ。そこに希望を持つのはどう考えても利口じゃない」
フィーコは同人誌を開いたまま固まっている。しかしピスケが返事を待っていると、観念したように口を開く。
「良いことでは……ないでしょうね。古来より、皇位継承順の変更は内乱の元です。特に、お父様のように敵もたくさん作られた方の後継者は、権威でガチガチに固め、正当性に異議を挟む余地を一寸も与えてはいけません」
「そこまで分かっているなら、この状態をズルズル続けても良いことなんてないだろう。皇位継承と研究を両立する方法を、陛下と腹を割って模索した方が現実的なんじゃないか。ワレーシャもこのままじゃ滑稽だ」
フィーコは、困ったような表情をピスケに向けた。
「ピスケは、お父様が皇帝以外にいくつの役職を兼務しているかご存知ですか。16です。正気の仕事量ではありません。週に1度の私との晩餐以外は、楽しみの時間なんてありません。入浴中でも報告書を読まれていると聞きます。片手間に研究なんて、無理ですよ」
「別にお前がその16の役職を兼務する必要はないだろう? 大臣をもっと登用すればいいじゃないか」
「それができたらお父様だってとっくにやっているでしょう。任せたくても任せられないんです。大きくなりすぎたこの帝国を、お父様の決断力とカリスマ性以外で運営する方法が今はないんです」
「それを変えるのも含めて、陛下からお前への期待なんじゃないかと思うがな……」
フィーコは開いていた同人誌をパタンと閉じる。
「この話は立ち話には不向きです。2人を待たせています。今度にしませんか」
フィーコがピスケに苦笑を向ける。ピスケは軽くため息をつく。
「悪かったな、楽しみの最中に。続けてくれ」
フィーコは頷くと、再度同人誌を開き、読み続ける。ピスケは、無言で本の用意に勤しんだ。
ワレーシャは、駅前広場の階段に腰掛けていた。傍には魔法陣の施された兜が置いてある。パスはそこから数メートル離れた地点の上空2メートルほどに存在する。日が強く白いパスが目立ちづらいため、不審に思う人々はいても、幸い大きな騒ぎにはなっていない。
どちらかというと、そのすぐ下でカリラの写真を撮る人だかりができていることの方が気がかりだった。カリラは、様々なポーズをとって撮影者たちを楽しませている。
「まあ結果的にパスを守れてるから良いですけど……」
ワレーシャは、周囲の雑踏を眺める。
「帝都の中央広場ですらこれほどの群衆はおりませんわ。しかも皆同じような顔……いささか不気味ですわね」
その時、カリラが唐突にワレーシャの肩にスタンガンを押し当ててきた。
「ビリビリーっ!」
「のわぁ!?」
ワレーシャが驚いて飛び退く。カリラはニヤニヤしながらスタンガンの先端を指で突いた。スイッチは入っていない。
「あ、あなた、あまり皇族をおちょくると今に痛い目に遭いますわよ!」
「ワレーシャはさ、いつも気張りすぎなんだよ。もっと力抜けば、これくらいすぐ避けられるよ」
「あなた、わたくしの師範にでもなったつもりですの? わたくしはわたくしのやり方で強くなってみせますわ」
「えー、せっかくアドバイスしてんのに。ガルドのおっちゃんに寝坊助だとか文鎮女だとか言われてるの聞いちゃったら、アタシだって何とかしてあげたくなるじゃん?」
それを聞いたワレーシャの顔が、みるみる紅潮する。
「ハア!? あなた、あの会話を盗み聞きしてたんですの!?」
「廊下で待ってろって言われたけどさ、ピスケがあんだけデカい穴開けてたから、全部筒抜けだったよ」
「はあ……フィーコのハクタクにあなたの記憶を抹消してもらいたいですわ」
ワレーシャは額を手で押さえながら、階段に再度座り込む。彼女は膝を抱えると、拗ねたような表情を作る。
「わたくしが未熟だということくらい、分かってますわ……。腕っぷしではあなたに到底敵わない。知識ではフィーコに、判断力ではピスケに……。それでもわたくしは、皇帝として相応しい実力を身につけなければならないのです」
カリラも隣に座り、微笑みながらワレーシャの横顔を見やる。
「ワレーシャは何で皇帝になりたいの? フィーコはあんなに嫌がってんじゃん」
カリラの素直な問いに、ワレーシャはしばらく押し黙ったが、静かに話し始める。
「両親が亡くなる前、分家の役目は本家の血筋が絶えた時のスペアだと何度も教わりましたわ。逆に言えば、その時にしか存在価値がないのです。変な野心を持たぬよう、帝国の要職にもつけません。一生飼い殺しです」
「でもご飯は食べさせてもらえるんでしょ? 楽そうでいいじゃん」
「楽なものですか。無価値であることは、飢えよりも辛いのです。フィーコには皇帝の地位が約束されています。あなたは将来兵団長になれるかもしれないし、ピスケは国務大臣になるかもしれません。でも、わたくしにはそれがないのです。フィーコが皇位を望まないなら、代わりにわたくしが望む程度の自由はあってもよいのではありませんか」
カリラは神妙な顔でワレーシャに耳を傾けている。
「ふーん……ワレーシャも意外に大変なんだね」
「意外にって……まあ、あなたに理解してもらえるとは思ってませんわ」
「大変さは分からないけど、大変なのは分かったよ。あ、フィーコ達だ!」
カリラが手を振ると、2人が足早に歩いてきた。カリラは立ち上がって出迎える。
「遅かったじゃーん!」
カリラに軽く咎められて、ピスケとフィーコは申し訳無さそうにする。
「すまない、少しトラブった」
「成人向けコーナーも読もうとしたのですが、店員さんから未成年はダメだと押し問答になりまして……」
「あ、あんなもん、読まなくていいだろ! あんな、あんな……酷かったぞ!!」
ピスケの顔が耳まで真っ赤になったのを見て、カリラがニヤニヤと笑う。
「えー、なになにー? 何の話か気になるー!」
「お前は知らなくていい!!」
「やれやれ、一気に騒々しくなりましたわね」
ワレーシャはスカートの埃を払いながら立ち上がる。
「店員と問答できたということは、習得できたのですね、この世界の言語を」
「ええ、正確には日本語という少しマイナーな言語です。ピスケにはもう知識を伝えたので、お二人にも記憶を流し込みますね。少し、頭を私の方へ」
フィーコが2人の頭に手を置く。指輪が発光し出す。次の瞬間、膨大な情報量が2人の脳をみるみる満たしていく。
「痛い痛い、頭痛い!」カリラが涙目になる。
「ふ、普段勉強しないからですわよ」ワレーシャが得意げにいうが、顔はかなり苦しそうだ。
「ごめんなさい、もう終わりますから」
数秒ののち、フィーコの指輪の輝きが収まる。フィーコは2人から手を離す。
「今、日本語で話しかけています。私の言っていることが分かりますか?」
フィーコが問うと、カリラとワレーシャは目を見開く。
「ええ、周囲の会話も聞き取れるようになりましたわ」
「おー、分かる分かる! ニーハオ!」
2人が無事に日本語を習得できたのを確認し、フィーコはニッコリと微笑む。
「さあ、ここからがお楽しみの時間ですよ。この秋葉原を思いっきり満喫しましょう!」
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