第4話 前夜

 太一の背中から穂先が突き出され、その背中がびくんと震える。

 眼の細い高麗兵にのしかかられ、臭い息が鼻を刺す。

 掌に、刃物を突き通された。


「はあああっ」


 いねは、薄布団から跳ね起きた。全身は、汗でぐっしょりと濡れている。

 自分がどこにいるのか判らず、あたりを見回す。手に縄を通されて、元の船に吊るされていたのではなかったか。


 周囲は暗い。床に手を置くと布団の感触がある。周囲からは、何人ものいびきの音が聞こえている。だんだんと眼が慣れてくると、どうやら屋内にいることが判った。星明かりがほのかに差し込んでいる。穴を開けられた掌を見てみると、布が巻かれて治療されているようだった。


「ここは……どこね」


 注意深く、声を落とす。複数の男たちのいびきが、聞こえている。

 ゆっくりと立ち上がる。屏風の向こうに、闇の中で男たちが大いびきで雑魚寝をしていた。


 気づかれると、何をされるか判らない。足音を忍ばせて、屏風の蔭から身体を出す。ひとりの男が、屏風の前で刀を抱えて座っていた。どきりとしたが、男はうつらうつらと船を漕いでいる。


 いっそう気をつけて、いねはそろりそろりと縁側へ歩を進めていった。

 濡れ縁へ出ると、屋内よりは星明かりが濃く、陰さえできそうだった。


「起きたとや」


 いきなり声をかけられて、心臓が跳ね上がった。気づかなかったが、丸々とした達磨のような男が、あぐらをかいて満天の星を眺めていた。


「あ……う」


 喉が粘ついて声が出ない。


おいは菊池三郎能虎たい。今津ん浜でぬしば拾うたとよ。さしより座らんね」


 能虎は、男たちを起こさないように声を低める。同じ日本人と判って、いねは安堵した。身体を離して、能虎の横に座る。


「ぬしは、何ち呼べばよかつか」

「……いね。鷹島の、いね」


 いねは、消え入りそうな声で名乗った。


「よか名前たい。鷹島ち、松浦まつらの島ど? 異賊の来たとや」


 能虎が、布を巻かれたいねの両手に眼を落とす。その視線を感じ、いねはぎゅっと身体をこわばらせた。

 殺戮の光景と、掌に縄を通された激痛が、鮮明に思い出される。治療を受けた両手が、どくんどくんとうずき始めた。


「う……」


 喉がつまる。身体を震わせるいねを見て、能虎はそれ以上聞くことはなかった。


「明日にも、こん博多に異賊ば来てもおかしくなか。ばってんおいが異賊ばうっ殺して首ばとってやるけん。見つからんごと隠れときなっせ」

「う、うん」


 松浦の侍たちでさえ、元軍に押し包まれて全滅したが、爺は博多に九州だけでなく東国からも軍勢が集結していると言っていた。だが、あの海を埋め尽くす船に満載された、残虐極まる元軍にこの達磨のような男が勝てるのか。

そんないねの不安が顔に出ていたのか、能虎はにやりと笑った。


「鎮西八郎為朝の現身うつしみと言われよるおいぞ。異賊ん船ごた、おいの矢ひと筋で沈めてやるばい」


 能虎は大口を叩いたが、松浦党でさえそんなことができる者はひとりもいなかった。いねを勇気づけるためだとは思ったが、笑えなかった。


「早う寝なっせ。おいはもう少し星ば見てから寝るけん」

「うん……」


 いねは、能虎に威圧は感じたが怖いとは思わなかった。帷子かたびらあわせからのぞく異様に太い首を見れば、船を弓矢で沈めるかはともかく剛力の侍なのだろう。そんな男でも、いくさを前に眠れずに星を眺めているのだ。


 音もたてずに背を向け、しずしずと屏風の裏へと戻った。己の汗で湿った薄布団に身体を横たえ、眼を閉じる。休息を求めていたいねの身体は、たちまちいねを眠りへと誘った。

 今度は、夢も見ない深い眠りだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る