第3話 菊池三郎能虎

 十月十九日。元軍が鷹島を襲って三日が過ぎた。

 ふたりの郎党を引き連れた鎧武者が一騎、糸東半島東部の今津の海岸を歩いていた。


「三郎どん、いくら物見だちて遠くば行き過ぎようもん」


 長刀を担いだ若い郎党が、馬上の武者にうんざりした声で話しかける。


「平八郎はつまらんこつば言いよる。それでんこの菊池三郎の供が務まるち思いよっとか」

 武者は菊池三郎能虎よしとらといった。黒糸威くろいとおどしの鎧に大鍬形おおくわがたの兜は立派だったが、鎧が包む身体はまん丸としていて、ぎらついた眼と濃いひげは達磨を思わせる。


「三郎どんごた重か侍ば乗せとったら、馬もぐらしか可哀想ばい。なあ、竹三どん」


 平八郎と呼ばれた郎党は、馬の口をとる若者に声をかける。


「別ん、馬はなんともなか」


 竹三は、能虎や平八郎よりは年上に見える。必要最低限の言葉を、ぼそりとつぶやいた。


「当たり前たい。おいがまっぽし鍛えとるけん、平八郎と違うてこんぐらいで愚痴ば言わん」

「馬の喋るわけなかろうもん」


 能虎と平八郎は軽口をたたき合っているが、竹三は会話に加わらず黙々と歩いていた。


「それにしてん、海ちいうもんは広かな。菊池川の万倍はあるったい」


 能虎は、海風を気持ち良く浴びて海の果てを眺める。右手には能古島、左手奥には志賀島が見え、絶景であった。


「若、対馬と壱岐は落ちたったい。そがん暢気のんきでよかか」


 竹三が陰気に諫める。


「そうたい.異賊ば女子おなごでん子供こどんでん平気で殺しよるげな。おいどまも乱取りばするばってん、そがんこつばせん。何が楽しいとか」


 平八郎が眉をひそめる。能虎も、眉を引き締めた。


「異賊ば、おいどまを兎か狐とでん思っとらすとたい。弓と刀ば使う侍だちてそん身に教えてやらんといかん。狩人はどっちゃか、思い知らせてやるばい」


 能虎が獰猛な笑みを浮かべる。


「若、異賊こそ兎や狐じゃなか」

「だけん、ここに物見ば来よるったい。人と人とのいくさばい。小弐どんは、異賊ば博多から上がって太宰府ば狙うとるち言っとらす。そうかもしれんけんが、この浜ば見なっせ。太宰府にはちいと遠かばってん、十分大軍ば上がれようもん」


 実際、鎮西軍総司令官の小弐資能しょうにすけよしは、九州だけでなく東国からも集結した軍団の大部分を博多に集結させていた。能虎たちは、菊池一族を挙げて肥後から出征しているのだった。


「ばってん、殿からは赤坂で陣ば作れち言われよっど? このへんは松浦や原田の受け持ちばい」

「気晴らしたい。柵や逆茂木さかもぎばかり作っとってもつまらん。赤坂の地形ば、見尽くしたけん大丈夫たい」


 平八郎の指摘に、能虎は照れたような笑みを浮かべる。赤坂は、現代の大濠公園のあたりで、今津からは四里ほど離れていた。


「だけん若ば暢気だちて言うとたい」


 竹三がため息をつく。


「壱岐ば落ちたち知らせばあったとは、三日前ど? 今日にも来っとじゃなかか。船で二日もあれば行けるとだろ?」


 平八郎が、心配そうな顔になる。


「海でん、菊池川んごた流れのあるげな。だけん、流れの悪かときは一気に博多には来れんで肥前の方に行かなんと。異賊ば、こん辺の海ば知らんけん」


 能虎が、博多に来て初めて知った知識を自慢げに披露する。

 ふと、馬の足が止まった。口を取る竹三が、じっと海を見ている。


「ん、若……人の倒れとる」


 竹三が、波打ち際を指さす。見ると、人の形をしたものが流木にしがみついて打ち上げられていた。長い髪と着物から見るに、女だった。


「土左衛門たい。葬ってやらなん」


 能虎が、丸々した身体からは想像もつかない身軽さで、ひらりと馬から降りる。


「戰の前に、縁起の悪か」


 ため息をつく平八郎を、竹三がにらむ。慌てて平八郎は、能虎を追った。

 能虎たちが、倒れた女を囲む。十五歳ほどの少女だった。異様なことに、両手に穴が開けられ、血の抜けた白い肉が見えている。


「何か、こん女子おなごは」


 平八郎が、眉をしかめる。


「対馬や壱岐でん、異賊ば女子供ば捕まえて、こんなごつ穴ば開けて縄できびったげな。こん女子、異賊に捕まっとったかもしれん」


 厳しい顔で、能虎が手を合わせた。


「若、蟹ば寄ってきよる」


 少女の周りに、肉を貪ろうと数十匹の蟹が集まってきていた。竹三が、砂を蹴って蟹を追い払う。


「早う、埋めてやらんば」


 能虎が、藁束のように軽々と少女を抱き上げた。その身体は冷たく濡れていたが、わずかに温もりを感じる。


「ん……?」


 能虎は少女の鼻に顔を寄せる。かすかに、呼吸をしていた。


「生きとるばい」

「三郎どん、どがんすっと」


 平八郎が驚いて能虎を見る。


「陣屋に連れてくに決まっとろうが」

「む……」 


 竹三が大きくうなずいた。

 能虎は少女を肩に担ぐとふわりと馬に乗り、鞍壺に意識のない少女を座らせて、落ちないように片腕で抱きしめた。

 菊池三郎能虎が、鷹島のいねと出会ったのは、元軍がまさにこの今津浜に上陸する一日前だった。


 能虎たちが、赤坂の陣屋に帰ったのは、もう秋の早い日が暮れるころだった。肥後侍の陣屋には、差し迫った戰の匂いにひりついた男たちが、武具の手入れをしたり溢れすぎる闘気を相撲でを発散させたりしていて、物々しい雰囲気に満ちている。

 そんな獣臭が漂う陣屋へ、能虎はいねを抱えて戻ってきた。


「女子ばい」

「女子ばい」


 荒ぶった半裸の侍たちが、ぎらついた眼を向けてくる。


「こん女子ば、異賊にやられようもん。むごかこつばしよったら、たるっぞ」


 能虎が睨みつけると、女に異様な興味を示していた男たちは黙った。


「……おいが、見張りばしよる」

 竹三がぼそりとつぶやいた。


「竹三ならよかたい。平八郎ならおいが言うても平気で夜這いしよるけん」

「三郎どんにしなすなち言われたら、せんど」


 臨時に建てた陣屋は、女ひとりを寝かせる部屋もない全面板張りである。能虎は屏風を部屋の角に立て、下女に命じていねの濡れた衣服を替えさせた。薄い藁布団に寝かせ、屏風の前では竹三が刀を抱えて座りこむ。

 その間も、下女はいねの掌に開けられた穴に薬草を貼って治療していた。

 能虎は、ほっと息をつく。


さしよりとりあえず助けたけんが、後のこつば考えよっと?」

「せからしか。ぬしゃあのまま、こん女子を蟹に喰わせよっとか」

「そがんわけじゃなかが、明日にも戰になろうちときに、余計なこつば考えたくなかたい」


 平八郎は、屏風の向こうをちらりと見る。眼には、少し怯えが浮かんでいた。


「そがんこつ、戰になれば昂ぶって忘るるばい」

「……おいは、こん戰が初陣だけん」


 能虎は、わずかに震える平八郎の肩を叩いた。


おいについてきたらよか」

「三郎どんは、鎮西八郎為朝の現身うつしみだけん、心強か」

「そうたい。こん戰で異賊の首ば百も取れば、まうごつ恩賞ももらえようもん」


 能虎はだるまのような顔で豪快に笑った。


「若、平八郎、おいがこん女子ば見とるけん、飯でも食いなっせ。明日は、戰かも知れんど」


 そう言っている間に、くりやからは魚を焼く匂いが漂ってくる。


「よか匂いのする。何ば焼いとるとや」


 平八郎が、花をひくつかせると、下女たちが大きなひつと鉄鍋、そして大皿に焼いた鰺を山盛りに乗せて現れた。戰を前にして殺気立っていた男たちも、おおっと歓声をあげる。


 女たちは椀に粟飯を盛って焼き魚を乗せ、貝汁を注いでやった。男たちが我も我もと集まってくる。割り込もうとする男たちを、ときおり女たちが叱責する。

 能虎と平八郎は、両手に自分の飯と汁を持って竹三の前に座った。平八郎は、竹三の分を取りに戻っていく。


「平八にしてん、気のきくやなかか」

「礼ぐらい言わんね」


 ぶつぶつ言いながら、三人で飯を囲む。手を合わせて、三人は一気に食べ始めた。


「ふっくらして美味かばい。海魚ば塩漬けか干物しか、菊池じゃ食えんけん」


 能虎が舌鼓を打つ。菊池川は海からの交易路でもあるが、生魚の鮮度を保って運ぶのは無理だった。


「こいがこの世で喰う最後の飯かも知れん」


 平八郎は、また弱気の虫が出てきたようだった。


「往生際の悪か。ぬしゃそれでん菊池の郎党とや」


 竹三がぼそりとつぶやく。すでに覚悟は決まっているようだった。

 戰を前にして、普段と変わらない能虎、不安な平八郎、静かに気合いの入った竹三と、三者三様の晩餐をすませる。運命の日は、刻一刻と近づいていた。

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