第12章: 運命の収束と犠牲の意味

1. 政府の極秘プロジェクト


冬休みが明けた1月中旬、千紗たちの研究は新たな段階に入っていた。放課後、3人は学校から少し離れた研究施設に足を踏み入れた。


「ここが…」千紗が息を呑んだ。


将人が頷いた。「ああ、ここが実際にシミュレーションを行う場所だ」


広い部屋の中央には、巨大な装置が鎮座していた。その周りを複数のモニターが取り囲み、複雑な数式や図表が表示されている。


「すごい…」佳奈が目を丸くして見回した。「でも、どうしてこんな場所を使えるの?」


将人は少し躊躇したが、真剣な表情で説明を始めた。「実は…このプロジェクト、政府の極秘研究なんだ」


「え?」千紗と佳奈が驚いて声を上げた。


「俺の父が、このプロジェクトの責任者の一人なんだ」将人は静かに続けた。「だから、特別に参加を許可してもらった」


千紗は複雑な表情を浮かべた。「そんな重要なプロジェクトに、私たちが…」


「大丈夫」将人が安心させるように言った。「君たちの能力は認められているんだ。特に千紗さんの量子力学の理解度は、専門家レベルだって」


千紗は少し照れくさそうに俯いた。


「さて」将人が中央の装置に近づいた。「これが量子シミュレーターだ。これを使って、過去の出来事を再現し、そして…変更を加えることができる」


「浩介くんを…救えるの?」佳奈が小さな声で尋ねた。


将人は真剣な表情で3人を見た。「理論上は可能だ。でも…」


「でも?」千紗が身を乗り出した。


「犠牲が必要になる」将人の声が重く響いた。「誰かが…浩介くんの代わりに消えなければならない」


部屋に重い沈黙が流れた。


千紗は震える声で言った。「それって…誰かの命と引き換えってこと?」


将人は深く息を吐き、ゆっくりと説明を始めた。「そうだね。ちょっと、こんなたとえ話を考えてみて。川の流れを想像してほしい」


佳奈と千紗は静かに頷いた。


「その川には、たくさんの小さな船が浮かんでいる。それぞれの船は、一人の人生を表しているんだ。ある日、一つの船が沈みそうになる。これが浩介くんの事故だ」


将人は一瞬言葉を切り、二人の反応を確認してから続けた。


「私たちがやろうとしているのは、その沈みそうな船を救うこと。でも、川の水量は変えられない。つまり、一つの船を救うためには…」


「別の船を沈めなければならない」千紗が小さな声で言葉を継いだ。


将人は静かに頷いた。「そう。それが、このプロジェクトが抱える最大の問題なんだ。誰かの人生を救うために、別の誰かの人生を犠牲にしなければならない」


佳奈が不安そうに尋ねた。「でも、それって…正しいことなの?」


「正しいとは言えないな」将人は真剣な表情で答えた。「だけど、乗り越えられるかもしれない。だからこそ、研究するんだ」


「時間をかけて考えよう」将人が静かに言った。「誰も犠牲にならず、浩介を救う道を探すんだ」



2. 繰り返す失敗


1月下旬、厳しい寒さが続く中、千紗たちは放課後ごとに研究施設に通い詰めていた。量子シミュレーターを使って、浩介の事故を再現し、それを回避する方法を探る日々が続いていた。


「今日こそ…」千紗が静かに呟いた。


将人がコンソールの前に座り、複雑な操作を始める。巨大なスクリーンには、文化祭当日の体育館の様子が映し出された。


「シミュレーション開始」将人の声が響く。


画面上で、浩介が千紗を守るように押しのける。そして、照明器具が落下する瞬間――。


「ストップ!」千紗が叫んだ。


将人が素早くキーボードを操作し、シミュレーションを一時停止した。


「今度は…私が浩介くんに告白するのを止めてみよう」千紗が提案した。


シミュレーションが再開する。千紗が浩介に声をかけず、浩介は体育館に向かわない。しかし…。


「だめだ」将人が呟いた。「この場合、浩介くんは別の場所で事故に遭ってしまう」


千紗は唇を噛んだ。「じゃあ、別のパターンで…」


そうして、彼らは何度も何度もシミュレーションを繰り返した。千紗が浩介を引き止める、佳奈が浩介に話しかける、将人が助けに入る…。しかし、結果は常に同じだった。どのようなシナリオでも、浩介は何らかの形で事故に遭うのだ。


「なぜ…」千紗が悔しさを隠せない様子で呟いた。「どうして上手くいかないの…」


将人は深いため息をついた。「これが現実を変えることの難しさだ。一つの要素を変えると、他の要素も連鎖的に変化してしまう」


佳奈は疲れた様子で椅子に座り込んだ。「もう何回シミュレーションしたんだろう…1000回?2000回?」


「正確には101286回目だ」将人が静かに答えた。


千紗は決意の表情で言った。「まだよ。まだ諦めるわけにはいかない。こーちゃんを救う方法は、きっとある」


しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の目には疲労の色が濃く現れていた。


「千紗」将人が静かに呼びかけた。「少し休憩しよう。無理は良くない」


千紗は抵抗しようとしたが、最終的には頷いた。


3人は施設の休憩室に移動した。窓の外では、雪が静かに降り始めていた。


「ねえ」佳奈が小さな声で言った。「私たち、本当にこれを続けていいのかな…」


千紗と将人は黙ったまま、佳奈の言葉に耳を傾けた。


「浩介くんを救いたい。でも…誰かを犠牲にしてまで…それって、浩介くんが望むことなのかな」


千紗は窓の外を見つめながら、静かに答えた。「わからない…でも、私は…こーちゃんに会いたい」


将人は二人を見つめ、複雑な表情を浮かべた。「まだ結論を急ぐ必要はない。もう少し時間をかけて考えよう」


3人は静かに頷いた。雪は降り続け、研究施設の窓を白く染めていった。彼らの前には、まだ長い道のりが待っていた。唯一、浩介が助かるシミュレーション結果――誰かが身代わりになる場合――の重みが、彼らの心に重くのしかかっていた。



3. 衝撃のシミュレーション


2月上旬、厳しい寒さが続く中、千紗たちの研究は新たな局面を迎えていた。何百回ものシミュレーションを繰り返す中で、千紗はある可能性に気づき始めていた。


研究施設の中央にある量子シミュレーターの前で、千紗は深い思考に沈んでいた。


「千紗さん、どうしたの?」将人が心配そうに声をかけた。


千紗は静かに顔を上げ、将人と佳奈を見つめた。「ねえ、気づいたんだけど…」


「何に?」佳奈が身を乗り出して尋ねた。


「私たちがやってきたシミュレーション、全部失敗に終わっているわけじゃない」千紗の声には、決意と恐れが混ざっていた。


将人が眉をひそめた。「どういうこと?」


千紗は深呼吸をして、言葉を続けた。「唯一成功したパターンがある。誰かが…こーちゃんの代わりになる時」


部屋に重い沈黙が流れた。


「まさか…」佳奈が小さな声で呟いた。


将人は真剣な表情で千紗を見つめた。「つまり、誰かが犠牲になれば、浩介くんは助かるということか」


千紗はゆっくりと頷いた。「そう…でも、それは…」


「誰かの命と引き換えってことだよね」佳奈が震える声で言った。


千紗は窓の外を見つめながら、静かに語り始めた。「私たちがやってきたシミュレーション、全て失敗したわけじゃない。ただ、私たちが無意識のうちに、その可能性を避けていただけ」


将人は深くため息をついた。確かに…その通りだ。でも、それはだめだ。僕たちの誰かが欠けたら意味はない」


「でも、それしか方法がないなら…」千紗の声が途切れた。


佳奈が千紗の手を握った。「千紗ちゃん、まさか…」


千紗は佳奈をまっすぐ見つめた。「私が…こーちゃんの代わりになればいい」


「ダメだ!」佳奈が叫んだ。「そんなの…絶対にダメだよ!」


将人も厳しい表情で言った。「千紗さん、そんな選択は許されない」


千紗は涙をこらえながら言った。「でも、それしかこーちゃんを救う方法がないなら…」


「他の方法を探そう」将人が決意を込めて言った。「まだ諦めるには早い」


佳奈も頷いた。「そうだよ。私たち、一緒に頑張ってきたんだから」


千紗は二人の言葉に、少し安心したような表情を浮かべた。しかし、その目には決意の色が宿っていた。


「わかった…でも、もし本当にそれしか方法がなかったら…」


「その時は、また一緒に考えよう」将人が優しく言った。


3人は互いを見つめ、静かに頷き合った。窓の外では、雪が静かに降り続いていた。彼らの前には、想像を超える難しい選択が待ち受けていた。しかし、今はまだ、希望を捨てるには早すぎた。


千紗の心の中では、浩介を救うための決意が、静かに、しかし確実に芽生え始めていた。



4. 生命の重み


2月中旬、寒さが少しずつ和らぎ始めた頃、千紗は佳奈を誘って、二人きりで話をする機会を作った。研究施設から少し離れた公園のベンチに座り、二人は静かに並んでいた。


「佳奈ちゃん、ごめんね。突然呼び出して」千紗が小さな声で言った。


佳奈は優しく微笑んだ。「ううん、気にしないで。何か話したいことがあるの?」


千紗はしばらく黙っていたが、やがて決意を固めたように口を開いた。「佳奈ちゃん、正直に教えて。こーちゃんのことをどう思ってる?」


佳奈は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しい目で千紗を見つめ返した。「私…浩介くんのこと、好きだったよ。今でも大切な人だけど…」


「そっか…」千紗は静かに頷いた。「私も…こーちゃんのこと、好きだった。今でも…」


二人の間に、短い沈黙が流れた。


「ねえ、佳奈ちゃん」千紗が再び話し始めた。「もし…もしこーちゃんを助ける方法があったとして、でも誰かが犠牲になる必要があったら…どう思う?」


佳奈は息を呑んだ。「千紗ちゃん…まさか…」


千紗は真剣な眼差しで佳奈を見つめた。「私、考えたの。もし私がこーちゃんの代わりになれば…」


「ダメだよ!」佳奈が叫んだ。「そんなの…絶対にダメだからね!」


佳奈は千紗の手を強く握りしめた。涙があふれそうになるのを必死にこらえている。


「でも、それしか方法がなかったら…」千紗の声が震えた。


佳奈は深く息を吐き、静かに言った。「千紗ちゃん、生命って…かけがえのないものだよ。浩介くんも、きっとそんな犠牲は望まないと思う」


「でも…」


「ねえ、覚えてる?」佳奈が優しく言った。「浩介くんが千紗ちゃんを守ろうとしたこと。あれは、浩介くんの選択だったんだよ」


千紗の目に涙が浮かんだ。


佳奈は続けた。「浩介くんは、千紗ちゃんに生きてほしかったんだと思う。だから…千紗ちゃんが自分を犠牲にするなんて、絶対に許さないはずだよ」


千紗は黙ったまま、佳奈の言葉を受け止めていた。


「生きるってことは、時に辛いこともあるけど」佳奈が静かに言った。「でも、それを乗り越えて前に進むことが、私たちにできる最大の恩返しなんじゃないかな」


千紗はゆっくりと頷いた。「佳奈ちゃん…ありがとう」


二人は長い間、黙ったまま座っていた。やがて、千紗が小さな声で言った。


「佳奈ちゃん、私…もう少し考える時間が欲しい」


佳奈は優しく微笑んだ。「うん、わかった。でも、一人で抱え込まないでね。私たち、友達だから」


夕暮れ時の公園で、二人は静かに寄り添っていた。生命の重み、友情の大切さ、そして失われた恋。全てが交錯する中で、千紗の心には新たな思いが芽生え始めていた。



5. 決断の葛藤


2月下旬、春の気配が少しずつ感じられ始めた頃、千紗は一人で研究施設に向かっていた。佳奈との対話から数日が経ち、彼女の心の中では激しい葛藤が続いていた。


施設に入ると、将人が既に来ていた。


「千紗さん、おはよう」将人が静かに挨拶した。


「おはよう、将人くん」千紗は少し疲れた様子で返事をした。


将人は千紗の表情を見て、心配そうに尋ねた。「何か悩んでいるの?」


千紗は深く息を吐き、ゆっくりと口を開いた。「将人くん、私…決心がついたの」


将人は真剣な表情で千紗を見つめた。「どんな決心?」


「私が…こーちゃんの代わりになる」千紗の声は小さかったが、決意に満ちていた。


将人の表情が一瞬凍りついた。「千紗さん、それは…」


「わかってる」千紗が将人の言葉を遮った。「でも、これしか方法がないなら…私はやるわ」


将人は深いため息をついた。「でも、それは本当に正しい選択なのか?佳奈さんは何て言ってた?」


千紗は窓の外を見つめながら答えた。「佳奈ちゃんは…反対してた。でも、私にはこれしかできないの」


「千紗さん」将人が静かに、しかし強い口調で言った。「前も言ったはずだ。浩介くんだって、君にこんな選択をしてほしいとは思わないはずだ」


千紗の目に涙が浮かんだ。「でも…こーちゃんを助けられるなら…」


「そうやって誰かを犠牲にすることが、本当に正しいことなのか」将人は真剣な眼差しで千紗を見つめた。「それに、君がいなくなったら、今度は佳奈さんや僕が悲しむことになる」


千紗は黙ったまま、将人の言葉を聞いていた。


「千紗さん」将人が優しく続けた。「君の気持ちはわかる。でも、もう少し時間をかけて考えよう。他の方法がないか、もっと探してみよう」


千紗はゆっくりと頷いた。「わかった…でも、私の気持ちは変わらない」


将人は静かに千紗の肩に手を置いた。「君の気持ちは尊重する。でも、最後の最後まで、他の方法を探そう。約束してくれる?」


千紗は小さく頷いた。「うん…約束する」


二人は黙ったまま、窓の外を見つめた。施設の外では、雪解けの水が小さな流れとなって、春の訪れを告げていた。


千紗の心の中では、こーちゃんへの想い、佳奈への友情、そして自分の命の価値について、激しい葛藤が続いていた。しかし、その瞳には強い決意の色が宿っていた。


この日以降、千紗たちの研究はさらに熱を帯びていった。浩介を救う方法を見つけるため、そして千紗の犠牲を避けるため、彼らは必死に新たな可能性を探り続けた。



6. 明かされる秘密


3月上旬、桜のつぼみがほころび始めた頃、千紗は自宅で両親と向き合っていた。研究の進展と自身の決意を胸に、彼女は重大な話し合いを持つことにしたのだ。


「お父さん、お母さん、話があるの」千紗は緊張した面持ちで切り出した。


美佐江と健太郎は、いつもと変わらぬ優しい表情で千紗を見つめていた。


「どんな話?」美佐江が穏やかに尋ねた。


千紗は深呼吸をして、ゆっくりと話し始めた。「私…こーちゃんを助ける方法を見つけたの」


両親の表情が一瞬凍りついた。


「どういうこと?」健太郎が真剣な眼差しで尋ねた。


千紗は量子シミュレーターのこと、そして自分が浩介の代わりになる可能性について説明した。話し終えると、部屋に重い沈黙が流れた。


「千紗…」美佐江が静かに口を開いた。「そんな危険なことは絶対にダメよ」


「でも、お母さん…」


健太郎が深いため息をついた。「千紗、私たちには話さなければならないことがある。この世界のこと、そしてあなたのことについて」


千紗は不思議そうな顔をした。「何のこと?」


「実は…私たちは、あなたの本当の両親ではないんだ」健太郎がゆっくりと言った。


千紗の目が大きく見開かれた。「え…?」


美佐江が優しく説明を続けた。「私たちは…AIなの。あなたを育てるために作られた、高度な人工知能よ」


「かつて、人類は深刻な問題に直面していたの」美佐江が続けた。「少子高齢化、経済格差、環境問題…それらを解決するため、大きな変革が選択されたわ」


健太郎が付け加えた。「人類は、試験管ベビーとAIによる養育を選択したんだ。これにより、子どもたちは最適な環境で育つことができるようになった」


「つまり…私は…」千紗の声が震えた。


「そう、あなたも試験管ベビーとして生まれたの」美佐江が優しく言った。「そして、私たちAIが養育を担当することになったの」


「でも、千紗」健太郎が真剣な表情で言った。「浩介くんも同じ状況なんだ。彼も試験管ベビーとして生まれ、AIに育てられている」


千紗は驚いた表情を浮かべた。「こーちゃんも…?」


美佐江が静かに頷いた。「そうよ。そして、大切なのは、あなたたち二人の遺伝子情報は保管されているの。つまり…」


「別の方法がある、ということ?」千紗が小さな声で尋ねた。


健太郎が答えた。「そうだ。理論上は、浩介くんと同じ遺伝子を持つ別の個体を作り出すことも可能なんだ。でも…」


「でも、それはこーちゃんじゃない」千紗が言葉を続けた。


美佐江が優しく微笑んだ。「そうね。あなたが大切に思っているのは、一緒に時間を過ごしてきた浩介くん。遺伝子が同じでも、思い出を共有していない人は別人よ」


「千紗」健太郎が真剣な表情で言った。「この世界は、あなたたち一人一人が幸せになるためにあるんだ。自分を犠牲にする必要はない」


千紗は窓の外を見つめた。桜のつぼみが、まさに開こうとしていた。彼女の心の中でも、何かが大きく変わろうとしていた。


「私…考える時間が欲しい」千紗はようやくそう言った。「幸せって…何なんだろう」


美佐江と健太郎は静かに頷いた。


「何を選んでも、私たちはあなたを愛しているわ」美佐江が優しく言った。「あなたの幸せを見つける旅を、私たちは全力で支えるわ」


この日、千紗の世界は大きく揺れ動いた。自分の出生の真実、AIの両親、そして浩介を救うための決意。全てが交錯する中で、彼女は「本当の幸せとは何か」という新たな問いに向き合うことになった。そして、遺伝子よりも、共に過ごした時間こそが大切だという思いが、彼女の心に芽生え始めていた。

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