第3章: 文化祭

1. 絆深まる準備


夏休みが終わり、2年生の2学期が始まって間もなく、桜ヶ丘高校は文化祭の準備で賑わっていた。1-1組の教室では、クラスメイトたちが熱心に話し合いを重ねていた。


「よし、じゃあ決まりだな。俺たちのクラスは喫茶店をやることにしよう!」クラス委員長の声が響く。


千紗は嬉しそうに拍手をした。「いいね!私、お菓子作り得意だから、ケーキとか作れるよ」


「おお、それは助かる」浩介が千紗の隣から声をかける。「俺はコーヒーの淹れ方でも練習しておくよ」


佳奈も目を輝かせて加わった。「私、接客やりたい! メイド服着てみたいな~」


教室の隅で静かに聞いていた将人が、突然アイデアを出した。「ところで、単なる喫茶店では面白くないかもしれない。量子力学をテーマにした喫茶店はどうだろう?」


クラスメイトたちは一瞬静まり返ったが、すぐに興奮の声が上がった。


「それ、すごいね!」


「難しそうだけど、面白そう!」


千紗の目が輝いた。「素晴らしいアイデアだね、将人くん!私、量子コーヒーのレシピ考えてみる!」


浩介は少し困惑した表情を浮かべながらも、笑顔で言った。「ちーのことだから、きっと斬新なアイデアが浮かぶはずだ」


クラス全体が一丸となって準備に取り掛かる中、四人の絆はより深まっていった。千紗と浩介は装飾を担当し、一緒に作業をしながら、時折目が合っては照れ笑いを浮かべる。佳奈は接客の練習に熱中し、将人は量子力学に関する展示物の制作に没頭していた。


放課後、四人で下校する際、千紗が呟いた。「ねえ、なんだか楽しいね。みんなで一つのことに向かって頑張るの」


佳奈が千紗の腕に腕を絡ませながら答えた。「うん!高校生活の思い出になりそう」


将人は静かに頷き、浩介は空を見上げながら言った。「ああ、きっと忘れられない思い出になるさ」


四人は、これから始まる文化祭への期待と、互いへの温かい気持ちを胸に、夕暮れの街を歩いていった。


2. 勝利の歓喜


文化祭の準備が進む中、浩介の所属するバスケットボール部の重要な試合が近づいていた。県大会予選の決勝戦。この試合に勝てば、県大会への出場権を得られる。


試合当日、千紗と佳奈は応援のために体育館に向かった。


「ねえ、千紗ちゃん。浩介くん、緊張してるかな?」佳奈が少し心配そうに尋ねた。


千紗は微笑んで答えた。「大丈夫だよ。こーちゃん、プレッシャーに強いから。それに…」


彼女は少し照れくさそうに続けた。「私たちが応援に来てるって知ったら、きっと頑張れるはず」


体育館に入ると、すでに熱気に包まれていた。観客席はほぼ満員で、両校の応援団が熱心に声を上げている。


試合が始まり、浩介はスターティングメンバーとしてコートに立った。彼の姿を見つけた千紗は、思わず大きな声で叫んだ。


「こーちゃん、頑張れー!」


その声に気づいたのか、浩介は千紗たちのいる方向を見て、小さく頷いた。


試合は接戦だった。前半は相手チームにリードを許す展開。しかし、後半に入ると浩介のプレーが冴え始めた。鮮やかなシュート、的確なパス、そして諦めないディフェンス。


「すごい…こーちゃん、こんなに上手だったんだ」千紗は目を輝かせて呟いた。


佳奈も興奮気味に応援を続けている。「浩介くん、かっこいい!」


試合終了間際、同点の緊迫した場面。ボールは浩介の手に渡った。残り時間わずか5秒。


千紗は思わず立ち上がり、両手を胸の前で強く握りしめた。「お願い…」


浩介はフェイクで相手を抜き、ジャンプシュート。ボールは美しい放物線を描いて…


「入ったーー!!」


体育館中が歓声に包まれた。浩介のシュートで、桜ヶ丘高校が勝利を収めたのだ。


興奮冷めやらぬ中、千紗と佳奈は体育館の出口で浩介を待っていた。汗だくの浩介が現れると、二人は同時に駆け寄った。


「こーちゃん、すごかったよ!」


「浩介くん、おめでとう!」


浩介は照れくさそうに頭を掻きながら、二人に笑顔を向けた。


「ありがとう。二人が来てくれたから、頑張れたよ」


その瞬間、千紗は胸の奥で何かが強く震えるのを感じた。浩介の輝く笑顔、彼の頑張る姿…それらが彼女の心に深く刻まれていく。


帰り道、三人は楽しそうに試合の話で盛り上がった。



3. 知的探求の時間


6月中旬の放課後、千紗と将人は図書館の静かな一角に座っていた。文化祭の準備に追われる毎日だったが、この日は勉強会を兼ねて少しゆっくり過ごすことにした。


「最近、将人くんっていつも忙しそうだよね。文化祭の展示とか、いろいろ頑張ってるみたいで」と千紗が話しかけた。


将人は少し照れくさそうに笑った。「そうだね。でも、みんなで何かを作り上げるのは楽しいからね。千紗さんもケーキの試作、うまくいってる?」


千紗は頷きながら、「うん、何とかね。でも、いつも思うんだけど、将人くんって何でも器用にこなしててすごいなって」と言った。


将人は少し考え込んだ後、ふと本棚の一冊を手に取った。「実はね、僕も苦手なことがたくさんあるんだよ。特に人前で話すのは緊張しちゃうし、うまく言葉にできないことも多いんだ」


千紗は意外そうな顔をした。「将人くんが?そんなふうに見えないけどね」


「うん、でもね、だからこそ知識に頼っちゃうところがあるんだ。勉強していると、自分が少しでも強くなった気がして安心できるから」将人は少し照れたように言った。


「将人くんでもそうなんだね。でも、それってすごく共感できるかも。私も、お菓子作りがうまくいくとなんだか自分に自信が持てるんだ。将人くんも、何か失敗したりすることってある?」


将人は静かに頷いた。「もちろん。例えば、去年の文化祭では、僕が用意した展示の説明が難しすぎて、誰も理解してくれなくてさ。すごく落ち込んで、もっとわかりやすくしなきゃって思ったんだ」


千紗は親しげに笑いかけた。「でも、その経験があったから、今年はもっと工夫してるんだよね。失敗から学べるのって、すごいことだと思う」


将人も笑い返し、「そうだね、失敗って悪いことじゃないんだなって最近やっと思えるようになったよ」と言った。


図書館の窓の外では、夕陽が静かに沈んでいく。千紗と将人はそんな時間の中で、お互いの気持ちを少しずつ共有していった。話題は勉強や文化祭だけでなく、日常の小さなことへと広がり、2人の距離はさらに近づいていく。


「ねえ、将人くん。次の休み、みんなでどこか遊びに行かない?ちょっとリフレッシュしたいな」千紗が提案すると、将人は嬉しそうに頷いた。


「それいいね。せっかくだから、浩介や佳奈ちゃんも誘ってみようか」



4. 初夏の探検と秘密の場所


6月下旬、文化祭の準備で慌ただしい日々が続く中、千紗、浩介、佳奈、そして将人は、少し息抜きをしようと放課後に集まることにした。梅雨明け間近で蒸し暑い日が続いていたが、この日は心地よい風が吹き抜けていた。


「もうすぐ夏本番だね。そういえば、ここの川沿いを歩いていくと、面白い場所があるんだって」浩介が少しワクワクした様子で話し出した。「子供の頃、一度だけ来たことがあるんだけど、まるで秘密の隠れ家みたいな場所なんだ」


千紗は目を輝かせた。「隠れ家なんてワクワクするね!行ってみようよ!」


佳奈も賛成し、「いいね!探検するのって楽しいよね!」と笑顔で頷いた。


将人も静かに賛同し、4人は川沿いの遊歩道を歩き始めた。途中、草木が生い茂った小道に入り、細い獣道を抜けると、都会の喧騒から離れた静かな空間が広がっていた。夏の訪れを感じさせる蝉の声が、彼らを優しく包み込む。


「なんだか本当に冒険してるみたいだね!」千紗は楽しそうに足を進めた。久しぶりの息抜きに、4人の顔には自然と笑顔が浮かんでいた。


しばらく歩いていくと、視界が開け、静かな池のほとりにたどり着いた。そこには木々に囲まれた小さな空き地が広がり、誰もいないその場所はまるで秘密の庭のようだった。


「すごい…こんな場所がまだ残ってるなんて」佳奈は驚いたように池の水面を眺めていた。「まるで映画のワンシーンみたい」


「昔はよく来たんだよ。でも大きくなるにつれて、すっかり忘れてたなあ」と浩介は懐かしそうに辺りを見渡した。


千紗は靴を脱ぎ、池の縁に座り込んで足を水に浸した。「気持ちいい!冷たくて最高だよ。みんなもやってみて!」


4人は次々に靴を脱ぎ、池の水に足を入れて涼を楽しんだ。暑さが少し和らぎ、無邪気に笑い合うその時間は、まるで子供に戻ったようだった。


ふと将人が池の向こうを眺めながら呟いた。「こうしてみんなで来られてよかった。この場所、俺にとって特別なんだ」


千紗は将人の言葉に興味を持ち、「どうして特別なの?」と尋ねた。


将人は少し恥ずかしそうに微笑み、「小さい頃、親が仕事で忙しくてね。一人でこの場所に来ることが多かったんだ。静かで、ここにいると少しだけ心が落ち着く気がして…」


佳奈は将人の言葉に頷きながら、「将人くんにもそんな場所があったんだね。私たちが一緒に来られてよかった」と優しく答えた。


浩介がその場の雰囲気を和ませるように、「これからもみんなで集まれる場所にしよう。次はお弁当とか持ってきてピクニックしようぜ!」と提案した。


「それいいね!次は私、特製のサンドイッチ作ってくるね!」千紗は嬉しそうに応じた。


夕方になると、4人は池を後にすることにした。帰り道、夕陽が差し込み、彼らの影が長く伸びる。将人がふと口を開いた。「今日みたいな日がもっと続けばいいのに」


「そうだね、これからもずっと」と千紗が確信するように答えた。



5. 迷いと決意の間


文化祭まであと1週間という日の放課後、浩介が珍しく真剣な表情で千紗に声をかけた。


「ちー、ちょっと話があるんだ。時間ある?」


千紗は少し驚きながらも、すぐに頷いた。「うん、いいよ」


二人は人気のない校舎の屋上に向かった。秋の夕暮れ時、空は茜色に染まり始めていた。千紗は夕焼けに照らされた浩介の横顔を見ながら、何か特別な話があることを感じ取っていた。


「どうしたの、こーちゃん?」千紗が尋ねると、浩介は少し戸惑いながら深呼吸をした。


「実は…佳奈のことで悩んでるんだ」


千紗の胸が少し締め付けられる。「佳奈…のこと?」


「ああ。最近、佳奈の様子が少し変なんだ。俺に何か言いたそうにしてるんだけど、いつも途中で黙っちゃうんだ」


千紗は佳奈の気持ちを知っていたが、どう伝えるべきか迷っていた。浩介を気遣う表情のまま、言葉を選ぶ。


「佳奈ちゃんも、言いづらいことがあるのかもしれないね。でも、こーちゃんが優しく話を聞けば、きっと話してくれると思うよ」


浩介は安心したように小さく笑った。「そうか…ありがとう、ちー」


千紗も微笑んだが、目を伏せる。その笑顔の裏にある感情は見せない。浩介の隣で、佳奈の気持ちと自分の気持ちの間に挟まれていることを感じる。


「ねえ、こーちゃん」千紗がふと静かな声で問いかける。「もし、佳奈ちゃんが…こーちゃんのことを好きだって言ったら、どうする?」


浩介は一瞬驚き、真剣な顔つきで考え込んだ。


「正直、わからない。佳奈は大切な友達だ。でも…」


千紗は浩介の言葉をじっと待つ。


「でも」浩介が視線を千紗に戻し、少し迷いながらも続けた。「俺には…大切な人がいるんだ」


千紗は思わず息を呑み、視線を逸らした。「大切な…人?」


浩介はまっすぐ千紗を見つめ、「ああ。でも、その人にまだ気持ちを伝える勇気がなくて…」と静かに言った。


千紗は何かを言いたそうにしながらも、言葉にならずにうつむいた。そして、彼女は笑顔を作り、軽く肩をすくめた。「そっか…その人は、幸せ者だね」


夕陽が二人の間に長い影を落とす。千紗は浩介の隣でじっと立ち、自分の感情を押し込めた。浩介の言葉に心が揺れたが、友人としてそばにいることを選んだ。


「こーちゃん、頑張って。私は…いつでもこーちゃんの味方だよ」


浩介は少し安堵したように微笑んだ。「ありがとう、ちー。やっぱり、お前に相談して正解だった」


二人は言葉少なに屋上を後にした。千紗は浩介の背中を見つめ、切ない感情が胸の奥に静かに広がるのを感じながら歩いた。



6. 母の優しさの裏で


千紗は浩介との会話で心が揺れたまま家に帰った。「ただいま」と小さく呟きながら玄関を開けると、キッチンから美佐江の声が聞こえた。


「おかえり、千紗。今日はどうだった?学校は楽しかった?」


千紗は靴を脱ぎながら少し曖昧な声で答えた。「ただいま…。なんだか、今日は疲れちゃった」


リビングに入ると、美佐江が夕食の準備をしているところだった。エプロン姿の母親の背中が、いつもより頼もしく見えた。


「どうしたの?元気ないね。何かあったの?」美佐江は手を止め、心配そうに千紗の顔を見た。


千紗はしばらく黙っていたが、思い切って言葉を切り出した。「お母さん、ちょっと恋愛の相談してもいいかな?」


美佐江は意外そうな顔をしたが、すぐに優しく微笑んで、「もちろんよ。千紗の話、なんでも聞くよ」と言い、テーブルの椅子を引いて座った。


千紗も隣に座り、テーブルに両手を置きながら話し始めた。「あのね…私、好きな人がいるんだけど、その人は親友の好きな人でもあって…。どうすればいいのか分からなくなっちゃった」


美佐江は少し驚いた顔を見せたが、落ち着いた声で言った。「そっか…それは複雑ね。でも、大事なのは千紗がどう感じてるかじゃないかな?」


千紗は母親の言葉に一瞬戸惑いながらも、少しずつ自分の気持ちを打ち明けていく。「佳奈ちゃんはすごくいい子だし、応援してくれてるのも分かるんだけど…私も、こーちゃんのことが気になってて。なんだか、自分だけズルいことしてるみたいで…」


美佐江は千紗の手を優しく握りながら、自分の経験を語るように話し始めた。「お母さんも昔、似たようなことがあったの。友達と同じ人を好きになって、どうするべきかすごく悩んだわ。気持ちを言えないまま我慢してたら、友達との関係も自分の気持ちも壊れそうでね」


「そうだったんだ…お母さんもそんなことがあったんだね」千紗は少し驚きながらも、安心したような顔を見せた。


「うん。正直、今思い返してもあの時どうすればよかったのか分からないの。でもね、大事なのは、相手のことも大切にしながら、自分の気持ちにも正直でいることだと思うの。どちらも守ろうとするとすごく苦しいけど、千紗の気持ちをちゃんと考えてみることが一番よ」


千紗は母の言葉を聞きながら、ゆっくりと涙ぐんでいた。「ありがとう、お母さん。少しだけ楽になった気がする」


「いいのよ。千紗が元気でいてくれるのが一番大事なんだから。何があってもお母さんは千紗の味方だからね」美佐江は千紗の頭を優しく撫でた。


千紗は母の胸に顔を埋め、しばらくそのままでいた。母親の温かさが、心の奥深くまで染み込んでいくような気がした。


その夜、千紗は自室で母との会話を思い返しながら、これからどうするべきかを考えていた。答えはすぐには出ないかもしれないけれど、自分の気持ちとしっかり向き合おうと決意する。


窓の外では、夜の街が静かに動いていた。千紗は心を落ち着けるように深呼吸し、少しずつ眠りに落ちていった。

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