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自分が住む家は自分で作ることになるだろうと予想していたけど、父は一軒の家にスムーズに案内された。
アティオイ族の住む家は、切り出した木で作った柱を地面に突き刺して並べて、横木を渡して蔓で結び合わせて骨組みを作り、屋根はヤシの葉で葺いただけの、極めて粗末で小さな、雨と日差しを防ぐだけのものだった。一方父にあてがわれた家は、広くて、壁もある木製の小屋だった。「文明人」が、ブラジル人を雇って作らせた建物だ。アティオイ族の人々の家に比べれば豪邸だ。父はなんの苦労も対価も無しに、そんな豪邸に住めることになった。アティオイ族の人々は、しかし、豪邸に住むよそ者に対して嫉妬心の欠片も抱いていないようだった。彼らは「所有」という概念が希薄で、優位性を他者に誇示する必要が無いからである。彼らにとって家はただ、雨と日差しを防ぐためのもので、それ以上では決してないのだ。
その究極にサバサバした人間性は、彼らが独自の儀式も装飾も持たないことにも表れている。文化を外部に向けて誇示する必要性も、内部に向けて再確認させる必要性も感じていないわけである。これほどまでに質実剛健な(そう言って差支えないだろう)民族が他にいるだろうか?
父が滞在する「豪邸」の壁は隙間だらけだった。扉もないので、よくないものがしょっちゅう入ってくる。巨大なゴキブリは数日で見飽きた。ゴキブリなら全然いい。気持ち悪いだけで害はないからだ。サソリやタランチュラ、そして一番危険なのは毒蛇だった。ジャングルで最も危険なのはジャガーでもピューマでもワニでもなく、蛇だ。アティオイ族の中にも蛇に噛まれて死んだ者が少なからずいると、後に父は知る。ジャングルの住人も蛇にやられるという事実に意外な思いがしたが、考えてみれば当然だった。アティオイ族だって、命がひとつしかない普通の人間なのだ。
アティオイ族にプライバシーの概念があるのかは疑問だった。ジャングルを歩いているとき、彼らの排泄や性行為の現場に遭遇してぎょっとするのは日常茶飯事だった。特に性行為は、毎回人の組み合わせが異なるので、見てはいけないものを見てしまった後ろめたさが後をひく。夫婦というシステムのない彼らは、「今この瞬間」だけの妻・夫を得て、行為が終わると何事もなかったかのように別れて日常に戻る。時には男同士、女同士のこともあった。父の視線に気づいても恥じらいなど微塵も見せず、そのまま続けた。とはいえ、家でなくジャングルで隠れてするのだから、やはり恥ずかしいものだという認識はあるようである。
彼らの性生活はボノボのそれを彷彿とさせる。ボノボはフリーセックスでストレスを緩和し、ゆえに争いごとが滅多に起きないのだ。それは原始的どころかむしろ先進的に感じられる。
アティオイ族の身体的な特徴としては、男女ともに小柄だということが挙げられる。日本人として平均的な身長である父より背の高い者は見当たらなかった(背比べをしたわけではないので、実際は父よりギリギリ背の高い者がいたのかもしれないが)。そして彼らは痩せていた。でも力持ちだった。大きな二重の目とシャープな顎をもった、りりしい顔つきの人々だった。子供は男女ともに全裸だった。大人は化学繊維の短パンやスカートを身につけていた。「文明人」との交易で手に入れたものだ。短パンをはいた女もスカートをはいた男もいた。上半身は男女ともにみんな裸だった。
アティオイ族は早起きだ。たいてい夜明け前に起きて行動を開始する。男も女も同様に食料の調達に向かう。その際は、男は男だけで、女は女だけでグループを作って行動した。男は川ではタンバキやピラルクやナマズ等の魚を、ジャングルでは猿やアリクイやバクや野豚を獲ってきた。彼らは非常に大振りな弓矢を使っていた。矢は、戦記物の映画に出てくるやつなんかの倍は長かった。それを使って、動物も魚も見事に射抜いた。女はジャングルでは木の実やキノコを集めた。川では男と同じように魚を獲るのだが、弓矢は使わず、薬草をすり潰してブレンドした薬品を撒き、痺れてぷかぷか浮かんできた魚をまとめて回収するスマートなやり方を採用していた。木を切ったり家を作るのは男の仕事で、畑を耕すのは女の仕事だった。そういった性差による役割分担は、申し合わせるわけでもなく自然と成立しているように見えた。
食料はみんなに公平に分配される。なんの労働もしていない父にすら配られた。肉や魚は火で焼かれるが、アティオイ族の人々は塩すらかけずに頬張る。血中塩分濃度が低い彼らは、そもそも塩をさほど必要としない。とはいえ父はしょっぱいもの大好きな日本人であり、自分が食べるぶんには持参した食塩を振りかけた。バナナやパパイヤやグアバといった果物はそのまま食べても十分にウマかったけど、日本で食べていたものに比べると甘さも風味も乏しく、品種改良というものの威力を痛感した。キノコは見たことも聞いたこともない品種ばかりで、おそらく対応する日本語が存在しないものばかりだった。
食べ物にまつわる話は、こんなのもある。文明社会と距離を置くジャングルの人々も、塩漬けや燻製で保存食をこしらえるのが普通なのだが、アティオイ族はそうしないのである。彼らは食料を保存せず、得たものはその日のうちに平らげる。もし新しく欲しくなったら、その時はまたジャングルや川へとりに出掛ける。彼らは常に「今」を生きており、未来を重要視しない。だからこそ不安がなく、食料を備えようともしない。ラディカルな未来志向の西洋文化とは対照的だ。とはいえ、畑を作って耕すことはしているので、「備える」という概念が全くないわけではない。あくまで傾向の話である。
父の村での生活を語るにあたって、宣教師の存在は抜かせない。助手を探しているという例のアメリカ人だ。四十がらみの大柄な白人だった。すでに半年以上をここで過ごしていて、ジャングルでの暮らしは慣れたもんだと先輩風を吹かした。
「僕は何をすればいい?」と父は尋ねた。一応、宣教師の助手という形で父はここにいるのだ。「ちなみに聖書は大学時代に読破したよ。旧約も新約もね」
「俺の話し相手になってくれればそれだけでいい」と宣教師は答えた。「長いこと文明人と話をしないと、脳の芯がぐらぐらしてきちまうんだよ」
「助手というよりセラピストだな」と父は笑った。
決して広いとはいえない小屋に父と宣教師は同居する形だが、とくに仕切りを作ることもなく、それなりに快適に過ごした。アティオイ族の鼻歌じみた不可解な言語の中にあると、英語が明瞭な輪郭をもって脳にしっくり馴染んだ。まるで異国の地で日本人と出くわしたような安心感だった。宣教師が文明人の話し相手を求める気持ちも分かる気がした。
「ここの連中に教えを説くには、まずは言葉を理解しないといけない」と宣教師は言った。「でないと聖書の内容を伝えることができない」
「で進捗はどうなんだ?」と父は尋ねた。
「からっきしさ!」何がおかしいのか、吹き出すように叫んで、宣教師はハンモックの上で瓶のウィスキーをあおった。
ある時、父は「君は本当に宣教師なのか? 聖書を読んでいるところも祈っているところも見たことないが。本当にアティオイ族に布教するのが目的なのか?」と尋ねた。日を重ねるごとに宣教師への漠然とした嫌悪感が募り、なんでもいいからこいつを否定してやりたいという幼稚な嗜虐心が芽生えていた。
「実を言うともう諦めているんだ」と、宣教師は何でもなさそうに打ち明けた。そしてハンモックから下り、バックパックから桃の缶詰を取り出すと地面に腰を下ろし、素手で食べ始めた。
「布教を、ということか?」
「それ以前の問題さ。アティオイ語の理解を諦めているのさ。連中の話し言葉は、もはや言語じゃない。音楽だ。大雑把な感情のアウトラインをやり取りするのに精いっぱいで、福音書や黙示録を教え込むなんて土台無理な話さ。俺の前任者が残した単語ノートもほとんど役に立たねぇ」
それについては同意するところだった。
「ポルトガル語を覚えさせて、ポルトガル語で聖書を教え込むほうがまだ多少は現実的だ」と宣教師は笑った。
「論外だな」
「言うまでもなく論外だ。だが、そんな方法に縋りつきたくなるほど、アティオイ語の難度は絶望的だ。事実、俺の前任者はその方法を試して、そして失敗した。そういや、前任者のことはまだ詳しくは話してなかったな」
「そうだな」
「奴は七年粘ったよ。で、失意だけたんまり土産に帰国してさ、ある日俺の自宅に押しかけて『神はいなかった!』と言い放って走り去った。以後、奴の姿を見た者はいない」
「失踪?」
「ああ、影も形もなく、消えた」
「あんたも長居は危険なんじゃないか? 先輩の二の舞にならないとも限らない」
「俺は神を見限ってるから問題ないさ」
この男が本当に宣教師だとは最初から信じられなかったが、いやしくも最初は本当に宣教師だったとして、「神を見限ってる」なんて言い放った時点で終わりではないのか。
そして「神を見限ってる」と言った同じ口で、さらに宣教師は「ここの連中は神に愛されてるよ」なんてうそぶき、缶詰のシロップでぬらぬらとテカる唇を微笑の形にした。
「日本人、お前もそう思わないか? ここの連中はいつだって幸福そうに笑っている。お前はまだ知らないだろうけど、連中は仲間が死んでも笑顔を崩さないんだぜ」
出所のはっきりしない怒りが父の胸に広がったが、最初はうまく言葉にできなかった。しばし黙り、話題の核が透明になりかけた時ようやく、彼は言葉を口へと引っ張り出した。
「アティオイ族のみんなは、神なんか必要としていない」
「Huh?」
宣教師には釈迦に説法だと分かったうえで、父は予備知識をフル活用して反撃した。
「アティオイ族には過去と未来の概念が無い。『今』が連綿と続くだけだ。『死』は生まれた途端に過去になり、即座に『無』となる。だから悲しみも後悔も発生しない。それだけだ。彼らの笑顔の源は神の愛ではなく、その独自の人生観だ。未来への不安もないから、神に縋る必要なんてやっぱりない。神に愛される必要なんてこれっぽっちもないんじゃないか?」
「ずいぶんとしっかり予習してきたみたいだな。さすが日本人、まじめだ。だがそれはあまりに教科書的すぎる。表面をなぞっただけの、片面の知識だ。アティオイ族の連中は確かに、過去と未来の概念が希薄だ。だが皆無じゃない。連中は根に持つし、復讐だってする。しっかり損得勘定もする。『日本人は礼儀正しい』だって同じだろ? 実際は礼儀正しくない奴なんてゴマンといる。礼儀正しいってのは、あくまで傾向にすぎない」
「なんであれ、アティオイ族の人々が神に縋る必要がない現状に変わりはないだろう?」
「縋る必要はないが、愛される必要はあるさ」
宣教師はそんないい加減な言葉でさらりと議論をスポイルした。
タランチュラが一匹、出入口から礼儀正しく小屋に入ってくるのが見えた。父は密かに、タランチュラが宣教師に噛みつくことを願った。実はタランチュラには大した毒はないし、自ら襲い掛かってくることも滅多にない。だから宣教師の危害を願っても成就なんてしないし、願ったこと自体に対してもバチは当たるまいと思った。
宣教師は間合いに入ったタランチュラにすぐ気づいた。そして壁に立てかけてあったアティオイ族お手製の棍棒を手に取ると、タランチュラを叩き潰した。体液が飛び散り、缶詰の中に入った。
「ここにあるのは、幸運と不運だけさ」と宣教師は笑った。
宣教師は、ブラジルの商人とアティオイ族の橋渡し的な役割を果たしていた。商人は服やマッチや工具、時には酒や煙草なんかを、アティオイ族は果物や肉や魚などを、それぞれ物々交換した。商人と細やかな交渉ができるほど流暢にポルトガル語を話せるアティオイ族の人間はいない。ゆえに簡単にぼったくられてしまう。そんなわけで、必然的に宣教師は重宝された。
FUNAIの職員が視察に来ることもあったけど、その際も主に宣教師が対応していた。
ある時、宣教師は「『地獄の黙示録』って映画知ってるか?」と父に尋ねた。
「知っている。ワーグナーのうるさい曲をヘリが流すやつだろ?」
宣教師は頷き、口の端をつり上げた。「あの映画みたいに、俺はアティオイ族の連中の王になりたいんだ」
「アティオイ族は序列という概念を持たない。王になんてなれるはずないだろ」
「日本人は本当に冗談が通じないな」と宣教師は肩をすくめた。
ホエザルのゾンビのような遠吠えが聞こえた。
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