一週間経っても影は戻ってこなかった。買い物も自炊も掃除もして過ごしてみて分かったけど、べつに影がなくても生活に支障はない。人は日常生活で影を使って物を掴んだりはしないし、影が食物の消化に一役買うわけでもない。


 私はきちんと会社に出て働いたけど、ついぞ誰かに「お前影なくね?」と指摘されることはなかった。他人の影になんて誰も興味がないのだ。


 しかし、というか当然ながら、一週間無事だったからといって今後も無事であり続ける保証はなかった。人生は、一週間が終わるとまた新しい一週間が始まる。


 私がそれを知ったのは、夜ベッドに寝転がってスマホでTwitterのタイムラインをぼんやり眺めていた時だ。とあるツイートが、私の視線をまっすぐ手繰り寄せた。指が止まり、たぶん息も止まった。ツイートのテキストはどうでもよかった。問題は添付の動画だ。その動画のサムネの人物に、私は既視感を覚えたのだ。

 

 とりま再生……。街を歩くとある人物を背中から映し続ける、すこぶる退屈な映像だ。そんなんがバズっている。リツイートは五万超え、いいねは七万に迫っている。動画内の人物は、信号待ちのタイミングで振り返った。それはサムネの人物だった。私だった。服装からして、先週の映画館へ向かう途中の私に間違いない。コンビニで影がないことを自覚するより前に撮影されたものと思われる。

 

 私は盗撮犯の姿を記憶から掴み出そうとするも、全く手応えがない。


 リプライと引用リツイートは「マジで影がない!」「ガチホラーで草」「カゲナシ」「稚拙な合成。騙されてる奴恥ずかしくないの?」「呪いのビデオに投稿しよう!」「一般人の顔にはちゃんとモザイクかけろよカス」「ディープフェイクでしょ」「光の当たり具合のせい?」「こいつ俺の職場の奴に似てる」とか盛り上がっている。そして、やけに「#心霊番組」というハッシュタグが目についた。もしやと思いトレンドのタブを開くと「心霊番組」とあった。どうやら今夜、心霊番組が放送されるらしかった。例年なら「夏の風物詩だねぇ」とほっこりしているところだけど当然今はそんな余裕はない。そのトレンドが、私を映した動画をここまでバズらせた一因であることは間違いなかった。心霊繋がりということで(私は心霊の類ではないけど)、ツイッタランドの住民は、持ち前の軽薄なノリで盛り上がっているのだ。なんてタイミングが悪いのだろう。


 こうして、私に影がないことが広まってしまった。もちろん人々は、影のない人間が本当にいるなんて信じてはいない。数日で賞味期限は切れて、影のない人間の話題が口の端に上ることはなくなるはずだった。はずだったのだが……。


 土日明けの出勤時、私がアパートを出ると、スタビライザー付きカメラを持った中年男が待ち構えていた。私は頭が真っ白になり、でも出社しなきゃという義務感に引きずられて駅まで歩いた。その間、中年男はひっきりなしに語りかけてきた。私は混乱で何も答えることができなかった。迷惑だと抗議することもできなかったし、なんならその時は「迷惑だ」とは感じなかった。ただ混乱していた。怒りが湧いたのは、電車を乗り継いで職場に着いた後だった。


 中年男は案の定ユーチューバーで、界隈では名の知れた、いわゆる「迷惑系」だった。早足で歩く私を映しただけの動画は公開されるやいなや炎上した。一般人に付きまとって無断で撮影し、顔にモザイク処理もせずにアップしたのだから当然だ。「迷惑系」の思うつぼだった。一応私は被害者として扱われていたけど、やはり映像に影が映っていないという衝撃は大きく、私はいよいよ全国区になってしまった。人々は私に「カゲナシ」というあだ名をつけて好き勝手盛り上がった。


 命名とは、本当に便利でお手軽なプロパガンダだとつくづく思う。たとえば、海面の気流を利用し効率良く飛べる賢い鳥を「アホウドリ」と名付けること。たとえば、生き物をむごたらしく殺して食べることを「食物連鎖」と名付けること。命名によって、対象に含まれた美点も汚点も歪められ、時には逆さにされ、時には覆い隠される。私が「カゲナシ」と命名された途端、世間の私の扱いが一気にカジュアル化したのも言葉の魔法のせいに違いない。


 「迷惑系」が訪ねてきた時点で察してはいたが、私の個人情報はネットに流出していた。日本国民の好奇心という名の悪意が、私の居場所を猛スピードで占領していた。


 以前、私は三日間引きこもって家から一歩も出なかったことがある。その間、私は駐輪場に停めた自転車のカゴに財布を入れっぱなしにしていた。慌てて財布の中身をあらためると現金もクレカも無事だった。私はその時、同じアパートの住人、ひいては日本国民に心から感謝した。その感謝をいま全部返してもらいたい気分だった。


 個人のみならず、マスコミも家を訪ねてきた。テレビがもはやネットの二次情報を垂れ流すだけの板切れになりつつあることを私は分かっていたが、それでもショックだった。一本目の動画がTwitterで晒されてから一週間余りで、私は家に帰ることができなくなってしまった。


 そんなわけで、私は現在友人の家に身を潜めている。職場には一身上の都合での欠勤を願い出た。何の抵抗もなく受理されたところから察するに、おそらくネットの騒ぎは伝え渡っているようだった。


 ソファベッドに仰向けに寝て、天井をなんとなしに眺める。道路を行き来する自動車に反射した光がカーテンの上の隙間から鋭い角度で入り込み、川面に反射する陽光の粒みたいな輝きを暗い天井に走らせる。右から左に走れば手前の車線を、逆なら奥の車線を車が通ったことを示す。ツォーンッ……と走行音が重なり、まるで光そのものが走って音を立てているようで、見ていて飽きない。トラックのような大きな車が投げる光は大きく、逆に小さいのは軽自動車だろう。ときたま走行音を伴わない特に小さな光の粒が天井をゆっくりと横切っていくのは、たぶん自転車だ。エアコンが一定の間隔でスイングしながら、時折ギギギ……と呻いて冷風を「弱」で吐き出し続ける。


 扉の向こうから足音が染みてきて、続けて洗面所で水が流れる音がした。少しするとドアの軋む音がして、気配がリビングに入ってくる。私は寝返りをうち、薄目で友人の挙動を眺めた。友人は照明のスイッチに触れず、薄闇の中を抜き足差し足で歩き、冷蔵庫をこれまたサイレントに開こうとするもドアポケットに密集しているポン酢やらドレッシングやらの瓶類がこすれ合って今日いちばんの騒音をもたらした。友人は律儀に「ごめん、起こした?」と言った。


「とっくに起きてる。そんな気ぃ使わないでよ」と私は答えた。


「でも眠いっしょ? 二度寝の成否は、いかにまどろみを逃がさないかにかかっている」


異論はなかったので私は「うん」と答えた。


友人は結局照明を点けずに、ヨーグルトとアイスコーヒーの朝食をとった。私はその様子をソファベッドの上からジッと眺めていた。友人のぼやけた輪郭をなんとなしに目でなぞってみたりした。友人は遮光カーテンへの信頼からか、みっともなく欠伸をしたり目ヤニをこすったりしている。闇が隠してくれない音に対しては神経質で、できうる限り静かにスプーンでヨーグルトをすくって口に運んだ。静かに洟をかみ、投げ入れるのを禁止するためとしか思えない薄っぺらい設計のゴミ箱にティッシュを丁寧に落とし入れた。


「ねえ」と私は言った。


「あ喋った」と友人は言った。


「エアコン、『弱』よりも『自動』に設定したほうが電気代コスパいいよ」


「なぜ今それを?」


 友人は自分のやり方にケチをつけられるのを嫌う。茹で卵ひとつ作るために鍋になみなみ水を入れて火にかける友人の姿を見て、私は「四つくらいいっぺんに茹でたら?」と提案したことがある。そのときに返された嫌そうな表情を、私は昨日のように覚えている。


「なんとなく。今がその時って気がした」


「好きに設定しといて」


 そう言われて、ここに来てから私はエアコンの設定を一度もいじっていないことに気づいた。暑いと感じた記憶も寒いと感じた記憶もなかった。


 友人は立ち上がり、空の食器をキッチンのシンクに置いて廊下へ出て行こうとするが、一回振り返って「洗わなくていいかんね」と言った。「帰ったら自分で洗う」

私は「うん」と答えたが、友人が家を出て行ったら洗うつもりでいる。


 友人が歯を磨く音やトイレを流す音が棚引いてくる。一向に訪れない二度寝の端緒を掴むのは諦め、私は友人の音を見つめて時をやり過ごす。キーホルダーに束ねられた鍵を、靴箱の上の小物入れから取り上げる音がした。


「行ってくる。分かってるだろうけど、誰がきてもドア開けないようにね」との注意書きを宙に残し、ドアが開いて閉まり、シリンダーが回転する音で友人の気配は切り離された。


 友人が出て行ってしまった後は、沈黙以上の静けさに私はいつも取り残される。ここは大通りに面しているので絶えず自動車やバイクの走行音が飛んでくるが、それらは部屋の静かな空気には溶け込まず、むしろ静けさの隣に立って、その深さを示す意地悪な定規として居座り続ける。


 私は照明を点け、電気ケトルに水を注いでスタンドにセットしてスイッチをオンにし、お湯ができるまでの時間で食器を洗った。食器を水切りカゴに並べ終え、空っぽで動きのないシンクを見ると、なぜかため息が漏れた。


 ダクト排気式の換気扇から、人や犬のくぐもった声が切れ端のように舞い落ちてくる。それは部屋に静かに積もっていく。すぐにケトルのゴゴゴゴゴゴとの唸り声が上書きするように腰を下ろし、それもボコボコボコボコと湯が沸きあがる音にとって代わられ、最後はカチッとスイッチがオフになる音で部屋は再び虚無へと回帰した。

洗いたてのマグカップを水切りカゴから取ってテーブルに置き、インスタントコーヒーを目分量で投入し、ケトルでお湯を注ぐ。湯気の立つマグカップを手に取ると、テーブルには水滴の円が出来ていた。よく見ると他にもいくつも円の跡があった。友人は、完全に乾くまで洗った食器は使わない。するとこの円の跡は全て私がつけたものということになる。この家に来てから過ごした数々の朝を示す、不名誉なスタンプだ。


 私はいつもより濃いめのコーヒーを飲んで、虚空を眺めてぼんやり時間をやり過ごした。コーヒーがマグカップから消えるとすぐさま次を作った。コーヒーだけで時間が埋まり、すでに正午になろうとしていた。十二時に含まれた一般論に促され、私は義務的に昼食を作ろうとした。いつもなら冷蔵庫の中身で何か作るのだけど、今日はフライパンと鍋に触りたくない気分だった。体調のせいかもしれない。普段は避けているカップ麺に頼ることにする。たぶん一番左の吊戸棚にインスタント食品はまとめてあるのだろうけど、そこを避けて最も可能性が低いところから探してしまう。それは私の子供からの癖だった。果たして一番左の吊戸棚にあったカップヌードルを取り出して、お湯を注いだ。三分間を埋めるためにテレビをつけるとワイドショーが映った。ここ最近、与党の重鎮が政治資金パーティーの収入を少なく記載していたことがバレたり、カルト宗教の被害者が集団訴訟を起こしたりしていたが、メジャーリーグで活躍する日本人選手を賞賛したり外国人に人気のラーメン屋を紹介するのに忙しくてそれらを報じる余裕はないようだった。私はテレビを消した。


 テーブルに置いてあるストックバスケットから、コンビニで貰える使い捨てフォークを取り、私はカップヌードルを食べた。ストックバスケットには見事にフォークしかない。割り箸とスプーンは見当たらない。他意はなく、友人がビニール傘をため込んでしまう性格であることをふと思った。


 カップヌードルのスープをキッチンの流しに捨てると、私はトイレに行った。人間、長期間外に出ずに家でじっとしていると膝の関節がおかしくなることを、私は以前に貯金ありの気楽な無職期間で学習したのだが、その教訓は結局活かされなかった。便座に座る時と立つ時に、右膝が裂けるような痛みを訴えてきた。しかし最も痛むのは階段の上り下りであることを私は知っている。いま自分が四階の高さにいる事実に気が遠くなり、遠のいた意識をエレベーターという存在がそっと押し戻してくれる。


 にわかに、私はこの安全で居心地のいい2DKを飛び出したい衝動に駆られた。飛び出して、影を持つ人々にぶつかっていきたい。叫びたい、「私がカゲナシです!」。あいつらは一斉に振り向き「カゲナシだ!」と歓声をあげる。「ほんとに影がない!」「本物だ!」「とりあえず撮れ!」。撮りたいだけ撮らせてやるし、なんならインタビューにも応じてやる。あいつらは私に殺到する。まるでご利益でも得るように体に触れる者もいる。YouTubeチャンネルに出演してくれと頼む者、日本から出て行けバケモノと怒鳴る者もいる。様々だけど、私にとって結局あいつらはひとつの塊、ただの「あいつら」でしかない。あいつらはどんどん膨張していく。周りを囲まれた。あいつらの壁。壁の中では影がぐちゃぐちゃに絡み合って個性は全体に溶け、足元に溜まりを作り出す。においすらしてくる。溜まりに沈めば私もあいつらになれるだろうか? 膝が痛んだわけでもないのに、私は立っていられずしゃがみこむ。膝をかかえ、顔を両腕の隙間にうずめる。


「大丈夫そ?」


 友人の声で私は顔を上げる。目の前に友人が立っていた。窓から斜めに差し込む濁った光の帯が、友人の顔から下を照らし出していた。


「早くね?」私はソファベッドで膝をかかえた格好のまま、壁掛け時計を見上げて言った。


「早退した」


「体調不良?」


「体調不良っちゃ体調不良」


 友人はくしゃみをした。三回した。決まって三回一セットなのだ。


「風邪?」


「いや違う今のはただのハウスダスト」


 友人は、切り裂くように光の帯を横切った。そして私を振り向き、自嘲じみた一瞥をくれる。


「分からない?」


「何が?」


 友人はもう一度、さっきとは逆方向に光の帯を横切った。


「あ」と私の喉から素直な声が漏れた。「影が」


「うん。消えた」


 長く平板な沈黙を経て、「どうしよう?」と言ったのは、友人ではなく私だった。友人は投げやりに「どうしようね」と苦笑した。苦笑が私に移り、大きくなり、それが友人に移り、螺旋階段のように笑いが高まっていった。


「YouTubeでもやって稼ぐ?」


 友人が夕食のカレーライスをかき混ぜながら言った。私はカレーライスをかき混ぜる人間が好きではないが、友人だけは大目にみている。


「でもネタないよ」と私は答えた。


「ネタなんかいらんでしょ。いいんだよ、影ないの見せておけば。散歩でも日向ぼっこでも、光がある場所ならどこでも撮れ高に困らんよ」


「なんか動物系ユーチューバーっぽいね」


「似たようなもんよ。猫や犬利用して荒稼ぎしてる連中がゴマンといるんだし、カゲナシが自分の個性を利用して金稼ぐの何が悪いのって話」


 そうだ。ヘイトも差別もセクハラもパワハラも犯罪も何でもありのYouTubeという魔境で、影のない人間がその個性を利用して稼いで悪いわけがないのだ。

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