大いなる正午

汐見舜一

 昨日までは確かに影があった。それははっきり言える。

 昨夜、理不尽な残業の帰り道、車が一台やっと通れるくらいの細道が交わる十字路で、私はスマホを地面に落としてしまった。で、拾い上げる際に自らの影が目についた。前後左右の四方にのびる道それぞれに街灯が生えており、それらは青白く冷たい光を放っていた。光は私を四方から照らし、十字の影をアスファルトに落としていた。十字の影というのはなかなか印象的だった。


 そこから自宅までの道のりは、やけに影という存在が意識に飛び込んできた。自動車のヘッドライトが私を背後から照らし、左手の石塀に人型の歩く影が浮かびあがった。自動車が私を通り過ぎてしまうと、その影は石塀にじんわりと吸い込まれて消えた。横断歩道を渡っている時、右手側にのびた影が私に歩幅を合わせ、渡り終えて左折すると影は左側にポジションを変えた。そのあと正面に回り込んで私を見上げたかと思うと、いつの間にか地面に潜り込んで消え、かと思えば周囲を取り囲むように三つにも四つにも分裂した。色が濃いのも薄いのもいた。歩くと濃いのは薄くなり、薄いのは濃くなった。


 自分の影だけでなく、通行人、リードで繋がれたトイプー、命のない無機物の影も私の視野で活き活きと息づいていた。電柱の影と街路樹の影が重なり合って黒みが増していた。家屋の庭先に溜まっている影は粘り気があり、クリニックのモルタル壁に食い込む金網の格子状の影は威圧的だった。影が語りかけてくるようだった。いま思えば、あれは影の走馬灯だったのかもしれない。


 オスの蝉がびぃぃぃんびぃぃぃぃんと喚き散らし、湿った空気が体じゅうをべとべとと無許可で撫で回してくる、鬱陶しくて平和な午後。私はレモン炭酸水をコンビニで購入し、外に出るとすぐに蓋を開け、一気に半分ほど喉に叩きつけた。快感で涙ぐんで、視界が蜃気楼に覆われた。涙が引いても駐車場には蜃気楼のカケラが溶け残っていた。


 コンビニの正面に沿って、細長い影が落ちていた。その影の中にスタンド灰皿が設置してあり、ジャケットを片腕にひっかけた営業マン風の中年男性が苦悶に満ちた表情で煙草を吸っていた。ワイシャツが汗で体に引っ付き、無地のインナーの存在を意味もなく強調していた。彼は影をのばしていた。コンビニの影から垂直に飛び出す形で、ぴょこんと。


 私は視線を自分の足元にやった。そこに私の影はなかった。コンビニの影が左右にまっすぐひかれているだけだ。おやおやと思ったけど、まあそんなこともあるだろう、光源と立ち位置の問題とかで、と、最初は深く考えなかった。


 駐車場を横断してすぐのところにパスタの店があって、そこで昼食をとることにした。空のペットボトルをゴミ箱に放り込んでから、私はコンビニの影から足を踏み出した。駐車場のど真ん中、日差しを遮る障害物なんてひとつもない場所まで歩いても、私の体からは影が生まれ出なかった。


 私は空を見上げて太陽の位置を確かめた。ちょうど太陽が真上に、もうほんとにドンピシャの真上で輝いているなら影ができないのもあり得ると思った。で、太陽は、まあ人によっては真上と称さないわけでもないが、かといって影ができないほどの真上というのはちょっと無理がある位置で輝いていた。


 さすがに奇々怪々な事態に陥っているようだと私は気づき始めていた。


 私は周囲を見回した。ちょうどコンビニから小太りの男が出てきて、私と一瞬目が合ったがすぐに視線を逸らして駐輪場まで歩いてクロスバイクに跨った。彼はウーバーイーツの巨大な四角いリュック――通称「ウバッグ」――を背負っていた。影をしっかり従え、彼はクロスバイクですいーっと車道に出ると、横から車が迫っているにもかかわらず、そのまま一気に加速して渡りきってしまった。安全な距離感を彼は熟知しているのだろうが、車としては肝を潰さざるを得ず、鋭いクラクションが散った。ウバッグの彼に続けとばかりに杖をついた老人が車道をよちよちと横断していく。車が呆れたように柔らかく止まり、小さな渋滞をつくった。よくその無鉄砲で今日まで生きてこられたなと私は感心するしかなかった。


 私は駐輪場まで歩き、ウバッグの彼がさっきまで立っていた場所で手を広げてみた。やはり影は落ちなかった。


 影が消えている。


 とりあえず今一度、私は晴天を仰いだ。飛蚊症を患っている視界にふわっと糸くずのような影が入ってくる。視線を地面に落とすと、糸くずは勢いで下へ流れ、視界の外に消えた。


 そんで肝心の私の体の影はというと、やはり消えていた。ブロメラインという酵素が飛蚊症を改善する、という眉唾もののブログ記事にすがり、私は三ヶ月前からそのサプリメントを飲み続けていた。国内では買えないので、海外から取り寄せた。ブロメラインは目の中の影を消す代わりに私の体の影を消した。そういうことなのか?


 影が消えた場合、何科にかかるべきだろうか? いやそもそも私はまだきちんと生きているのだろうか? 影がないことを死の暗喩として利用する創作物が少なくないのを私は知っている。だからってわけでもないけど、いやだからかもしれないけど、私はスマホで友人に電話をかけて「声聞こえる?」と尋ねてみた。突然の電話にいつも一発で出てくれる暇な友人は「聞こえるけど、なんか声ヘンじゃね?」と答えた。そうかやっぱり影が無くなると喉に支障をきたすのだなと納得しかけ、自分がコロナの病み上がりで喉をやっちまってることを思い出す。ひょっとしたら影の消失はコロナの後遺症なのかもしれないと真剣に考えてみた。でも既に未知でも何でもなくなって人々に軽んじられて舐め切られているウィルスにそこまでのファンタジーを押し付けるのは無理がある。


「なんかあったん?」


「影が」私は言いかけ、咄嗟に続きを噛み切って飲み込んだ。


「カゲガー? 新しいポケモン?」


「いやなんでもない。むせただけ」


「むせ方ヘンじゃね?」


「いま声がヘンだからさ」


「声がヘンだとむせ方もヘンになんの?」


「そりゃそうでしょ」


「そりゃそうなの?」


 会話が円形迷路にはまり込んでしまいそうだったので「じゃあまた」と言って私は一方的に電話を切った。そして一度フェイントをかけるように空を仰いでから(飛蚊症の影がフェードイン)、素早く頷くように視線を地面に突き刺した。やはり影は無かった。影は私の視界から逃げているわけではなく、根本的に消えてしまっているようだった。


 とりあえずパスタを食べながら考えることにした。ちょうど正午なので店は混んでいたが、十分ほど待つと席に通された。タコのペペロンチーノを注文して待っている間、私はスマホで「影 消えた」「影 消える病気」「影 無い 不都合」とかなんとかググってみた。レントゲンで肺の影が消えていたとか、逆に影が見つかったとか、とにかく胸部レントゲンに関する話ばかり出てきた。唯一、一考に値するなと思ったのは、ハワイでは年に二度「影の無い日」が訪れるというネット記事だった。その理由はやはり太陽が真上に来るからで、この現象は「ラハイナ・ヌーン」と呼ばれているらしかった。でも影が消えるのは地面に垂直に立つまっすぐな物体だけであり、そしてそれも影は完全に消えているわけではない。そもそも私の場合は同じ場所同じ時間でウバッグの彼が影を生み出せていたのだから事情は全く異なる。


 届いたタコのペペロンチーノをもそもそ食べた。好物なのに好物じゃないみたいな味がした。ハットを裏返したみたいな形の白亜色の皿には、手の影はおろか、フォークの影すら浮かんでいなかった。なるほど確かに、着ている服の影ができないのだから、握ったフォークの影もできないのは理に適っていると妙に納得した。


 食欲はいつの間にか姿を消して、去り際に吐き気のようなものを残していた。それでも私はタコのペペロンチーノを礼儀として完食し、代金をEdyで支払って店を出た。


 店内の心地よい冷房から、屋外のじめついた灼熱に私の体はパスされる。出入口の庇が作り出す長方形の影から出ると、入射角の縛りから自由になった陽光が束になって襲い掛かってくる。私の服は陽光で明るく映えているし、服越しの肌には温もりを感じる。むき出しの肌は温もりどころではない熱気でじりじり焦がされている。なのに私は影を生み出せていない。私の体が引き取ったはずの光と熱はどこへ消えている?


 通行人の目が気になり始めた。影がないことを気取られたのかもしれないし、殺人的な日差しの元で微動だにしない私を怪訝に思ったのかもしれない。いずれにせよ長居は不要だった。


 ソロ映画鑑賞の予定はキャンセルし、来た道を引き返して電車を乗り継いで自宅に戻った。チケットはすでにオンラインで購入済みなので金は無駄になるけど、影が消えた状態で素直に泣いたり笑ったりできるとは思えず、きっと二時間ずっと影のことを考えて過ごすことになっていたので英断と言って差し支えないだろう。サンクコストの切り捨ては人生を豊かにする基本戦略だと経済学者のナントカ氏も言っていた。

 

 自宅アパートで冷たいビールを飲んで夜まで過ごした。トイレで用を足し、洗面所で手を洗うために前かがみになっても、白い洗面台に影は落ちなかった。蛇口から流れ出る水は、細長い灰色の蠢く影を描き出している。影が無いと遠近感が失われるのか、単に酔っているだけなのか、私は主室までの数歩のあいだに二度も壁に腕をぶつけてしまった。


 無性に、Kに連絡を取りたい気分になった。でももう四年は没交渉なので、今さらLINEしても気まずくなるだけだと自分を納得させる。私とKは廃墟好きというニッチな共通点があった。でも距離を置くきっかけになった出来事も廃墟だった。ロープウェイの廃墟探索に二人で赴いたとき、私は駅の階段を降りる際に右膝を痛めていることに気づいた。Kは、私の右脚をかばう歩き方を危険だと言った。無事な左足も悪くしてしまうと。私は構うことなく進んだ。グーグルマップのアイコンから察するに、あとは目の前の細道を道なりに進めば目的地にたどり着けそうに思えた。細道は左にカーブしていて、角には人が住んでいそうな平屋が一軒建っていた。カーブの向こうに道が続いているのかどうか、二人ともイマイチ確信が持てなくなってきた。カーブ一帯が平屋の住人の私有地である可能性も捨てきれなかった。そこでKは私に「ちょっと見てきて」と言い放った。K自身はむしろ二歩ほど後退した。Kの臆病な性格を思い出し、私は呆れと驚きを胸に押し込んで、だけどささやかな反抗で右脚を必要以上に庇いながら歩いて平屋の裏を確認した。道は続いていなかった。あの日以降三回か四回会って、それでぱたりと私はKと会うのをやめてしまった。


 浅くて鈍い眠りを何度かくぐり抜けると夜が明けていた。血がビールと置き換わったように体が重くてままならなかった。ベッドにうつ伏せに寝て、丈が僅かに床に届かないカーテンの下から朝日が忍びこんできているのを、焦点の定まらない目でぼんやり眺めた。バイクのエンジン音が響いてきて、見てもいないのにそれが新聞配達だと理解できるのが不思議だった。明らかに酔っぱらった複数の男の笑い声が近づいてきて、遠ざかっていく。

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