第六話『白馬の王子様』

——夜、バーにて。


「二人なんですけど、いけますか?」

 なんで私が聞いてるんだよ。そっちから誘ったんだから、エスコートくらいしてくれ、馬鹿が。クソ男が。

「ええ。こちらのカウンター席で良ければ」

 バーのマスターが、グラスをクロスでキュッキュと拭きながら、答える。

「じゃあ、そこに。席はなんでもいいんです」

「どうぞ」 

 わたしたち二人は、狭めの通路を進む。バーカウンター前には、やけに背の高い椅子。飛ばなきゃ座れない。乗馬体験かと思うほどに、一苦労して、座った。

「えーっと、ウイスキー! あります?」

 わたしは、強めの口調で、マスターに尋ねる。ごめんマスター、わたしだいぶ酔ってるかも。

「ええ、ありますとも。白馬ホワイトホースなら」

「じゃあそれを、ロックで」

「あ、僕も同じのを」

 と、隣の席に座る舞央仁まいおじんが続く。

「かしこまりました」

 マスターは、慣れた手つきで、氷の入ったグラスに、黄金色の白馬ホワイトホースを注ぐ。


 ホワイトホースねぇ…… 


「あーあ、来ないかな! わたしのところにも。白馬の、王子様が!」

 おっと、つい心の声が漏れ出てしまった。ここで五軒目だからな、仕方ない。

「そういうことなら、東雲しののめさん……」

「あ? 何?」

 おっといけない、ついヤンキー口調になってしまった。

「僕じゃ、だめかな?」

 何を仰るか、このクソ男は。

「何が?」

「だから、白馬の王子様だよ! 親父に頼んで、立派な白馬を用意してもらうのも、ありだなぁ」

 やっぱり本気で言ってるのか。マジもんの馬鹿だな、こいつは。酔っているフリをしてやり過ごそう。

「なーに言ってるのよ! ブッ飛ばすわよ! ねぇマスター聞いてくれません? こいつ、わたしのストーカーなんですよ。通報してくれません?」

「そうですか……」

 そう言ってマスターは、静かに受話器に手をかける。番号ボタンを淡々と押していく。って、え? マスター、本当に通報しようとしてます!? さすがにこれは阻止!!

「冗談です。冗談! 通報は、しなくていいです」

「そうですよねぇ……」

 マスターはボソッとつぶやき、控えめな笑みを浮かべる。何が、言いたいんです?? ふと手元を見ると、ホワイトホースのロックのグラスが二つ置かれているのに気づく。い、いつの間に。

「東雲さん、通報しないってことは、僕を受け入れてくれるってこと、かな?」

 どうしてそうなるんだ! 都合良すぎないか!

「そうですよねぇ……」

 マスター、あなたの語彙はそれしかないんですか? というか、マスターはこいつの味方!? 二対一は不利だ、逃げるべきかも!


 わたしグラスを持って、背の高い椅子から降りる。


「そんなわけないじゃない! 本当、いい加減にして!! ばーか! ばーか!」

 かなりの大声をあげてしまった。それも、店中に響き渡るくらいの声で。


「アンタなんて、わたしの手にかかれば、ピッキピキでカッチコチのバッラバラよっ!」


 そして、感情がたかぶるあまり……


 舞央仁に向かって、グラスを投げてしまった。


「うわっ!! ちょっと東雲さん!?」

 当然の反応。

 彼は酒まみれ。

 そしてもちろん。


 パリーンカラカラカラ……


 グラスの破片と氷とが、飛び散った。


 うわぁ、やっちゃった。

 クソ女は、わたしじゃん。

 我に帰る。


「ごっ、ごめんなさい! 勢い余って、つい!!」


 どうしよう。

 この場にいていられない。

 時間は……二十三時か。

 いずれにせよ、ぼちぼち行かないと。


「すみません、用を思い出したので、帰ります! 店をこんなにしちゃって、ごめんなさい! これ、迷惑料です! では失礼します!!」

 わたしは、高額紙幣を何枚かカウンターに叩きつけ、体をひるがえして出口へ向かおう一歩踏み出す。とんでもないクソ客ムーブ。本当にごめんなさい。


 誰かに右手を掴まれた。


「ねえ、東雲さん。どうして君はいつも二十四時が近づくと、いなくなるんだい?」

 

 立ち止まって振り返る。

 

 手を掴んできたのはもちろん、舞央仁。もう、こっちには国防の仕事があるの! あんたに構ってはいられないの! というか常識的に考えても、次の日仕事があったらそれくらいの時間には帰るだろ、ばーか! と無茶苦茶な考えを巡らせてから、すぐに馬鹿は自分だったと気づく。


「そ、それは……」

 答えられない。あの仕事は秘密だから。あんたのお父さんは知ってるけどね。


「お嬢さん、グラスの始末は気にしなくていいから、一旦座りなさい」

 妙に説得力のある、マスターの声。


 わたしは、マスターの言う通りにする。お嬢さん、か。わたしはまだまだガキだという皮肉なのかも、と思わず拡大解釈してしまう。


 そして今度は、どういうわけか、舞央仁の方が、椅子から降りる。ってあれ? こいつ、まだわたしの手を掴んだままじゃないの。嫌だわ。

「ちょっと離し——」


 ちゅ。


 右手の甲にキス。


 は????


 きっっっっしょ!!


 わたしは、やはりクソな男の頬を左手でしばき、猛ダッシュで店を出た。


〈第七話『黄色いカボチャと赤いドレス』に続く〉

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