蕃先生 その1

第8話 良い筋肉ですなぁ

 ばん先生 その1



 ―――――――――



 職員室にはタバコの匂いが充満していた。一応職員室は禁煙なのだが、誰もそのルールを守っていない。嘆かわしいことである。


ばん先生、ばん先生」


 教員であるばん先生が職員室で仕事を片付けていると、同僚の教員が話しかけてきた。


 はて……この教師の名前は何だったか。同じ職場で働く教員のはずだが、どうにも名前が覚えられない。


「相変わらず、良い筋肉ですなぁ……」同僚教員はばん先生の肩を触って、「ジムで鍛えてるのか?」

「……家で自重トレーニングしてるだけですよ……」ジムに行く時間的余裕はない。「……知ってますか? 最近は同性同士でもセクハラになるんですよ」

「おっと、それは困った」同僚教員は肩をすくめて見せる。全く反省していなようだった。「いやいや……ばん先生も大変だなぁと思いましてね」


 ばん先生はイスごと同僚教員のほうを向いて、


「……どういうことですか?」

ばん先生のクラスには問題児が多いでしょう? 結鶴ゆづる龍太郎りゅうたろう。それに彼方かなた此方こなた。それを押し付けられたあなたを心配しているんですよ」

「……」ため息をつきそうになる。「うちのクラスのみんなは、全員が素晴らしい生徒ですよ。悪く言うことは許しません」

「おっと……怖い怖い」怖がっているようには見えない。「まったくばん先生は真面目だねぇ……そんなんで生徒から嫌われない?」


 嫌われていたら悲しいな。


「……生徒とは友達のように接するように心がけていますよ」

「おや……私とも友達みたいに付き合ってくれない?」

「……あくまでも仕事仲間でしょう?」

「冷たいなぁ……」


 冷たくはない。あくまでも教員は同僚でしかないのだ。ばん先生が友達のように接するのは生徒たちだけだ。


「まぁ、あんまり気負いすぎるなよ」同僚教員はばん先生の肩を叩いて、「まだこの学校に来て日も浅いんだから。頑張りすぎると倒れちゃうよ」

「……ご忠告……ありがとうございます」


 そんな会話を終えて、同僚教員は自分の机に戻っていった。


 ふと気がつくと、ばん先生の机の上に缶コーヒーが置かれていた。こんなものを買った覚えはなかったが「差し入れ」という同僚教員の声が聞こえてきたので、お礼を言ってからありがたくいただくことにした。


 缶コーヒーを飲むと、自分が水分不足であったことを自覚した。時計を見てみると、いつの間にか17時過ぎになっている。どうやら仕事に熱中しすぎて時間を忘れていたようだ。


 同僚教員の言う通り、努力してばかりでは倒れてしまう。ここは少し休憩するとしよう。


 缶コーヒーをゆっくり飲みながら、ばん先生は職員室の天井を見上げて考えた。


 ……


 ばん先生のクラスには問題児と呼ばれる生徒が多いのは事実だ。結鶴ゆづるくんも龍太郎りゅうたろうくんも、彼方かなたさんだって問題児と呼ばれる生徒だろう。


 ……他の教員からすれば、自分も問題児に含まれるのかもしれないな……そんなことをばん先生は思った。


 しかし彼ら彼女らも、直接接してみれば普通の高校生だ。こちらが友達として接したら、ちゃんと彼らは好意を持って接してくれることが多い。


 ……


 そんな中でも孤立している生徒はいる。それが彼方かなた此方こなたという人物だ。


 教師として孤立を見逃すわけにはいかない。彼女にはちょっとした恩もあるし、なんとかクラスに溶け込めるようにしなければ。

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