第5話 ば

 放課後の教室で、茉莉まつりちゃんは立ち上がる。


「とにかく……私は彼方かなたさんを探してみる。まだ学校にいるかも知れないし」

「ああ……」龍太郎りゅうたろうくんが言う。「たしかに。彼方かなたさん……放課後に小心こごころさんと話してることがあるよ。もしかしたら今日も残ってるかも」


 小心こごころさんとやらが羨ましい。茉莉まつりちゃんも同じように彼方かなたさんと友達になりたいと願っている。


 茉莉まつりちゃんにとってクラスメイトは全員友達だ。しかし彼方かなた此方こなた結鶴ゆづるくんは少しばかり特別なのだ。


 彼方かなたさんに対しては憧れの感情。結鶴ゆづるくんに関しては恋の感情。そういった特別な感情を茉莉まつりちゃんは抱いている。


 クラスメイトを全員平等に扱うなど不可能だ。だって茉莉まつりちゃんは人間なのだから。特別な感情の1つや2つ、許されるだろう。


「今日もいろいろ話してくれてありがとう」茉莉まつりちゃんは頭を下げて、「また明日もよろしくね」


 それだけ言い残して、茉莉まつりちゃんは教室を出た。


 そうして学校の中を歩き回って彼方かなた此方こなたさんを探そうと思っていると、


「あ……」


 あっさりと見つけた。やはり自分が運が良いと思った。


 彼方かなたさんは階段を降りている途中だった。後ろ姿でも彼方かなたさんだとわかるほどの雰囲気を放っているように見えた。


 せっかく見つけたのだから声をかけてしまおう。そう思って、


彼方かなたさん」茉莉まつりちゃんは声をかけながら階段に向かって、「あ……!」


 彼方かなたさんにばかり目線を取られていたら、なんと階段を踏み外してしまった。初手からなにもない空中に足を踏み出して、当然体が宙に浮いた。


 ほとんど階段から飛び降りたような勢いだった。このまま転落すれば命が危ないかもしれない。それほどの勢い。


「――!」


 恐怖のあまり声も出なかった。地面を踏みしめられないのがこんなにも怖いことだと初めて知った。


 すべてがスローモーションに見えた。しかし自分の体の動きも遅くなっているので意味はなかった。


 彼方かなたさんが茉莉まつりちゃんの声に反応して振り返った。そして階段から転げ落ちている茉莉まつりちゃんを見て驚愕の表情を浮かべ、


「ちょ……!」クールな見た目からは想像もできないほど情けない声が聞こえた。「ば――!」


 彼方かなたさんが何かを言いかける前に、茉莉まつりちゃんの体が彼方かなたさんに直撃した。


 女子高生には到底受け止められる速度ではなかった。茉莉まつりちゃんは彼方かなたさんを巻き込んで、そのまま階段から転落した。


 頭を打ったら死んでしまう……そう思う茉莉まつりちゃんの頭になにかが添えられた。


 彼方かなたさんが茉莉まつりちゃんの頭を抱きしめて、どこにも打ち付けないようにかばってくれたのだと、階段を落ちながら理解した。


 全身に激しい衝撃が走った。骨まで届く衝撃が何度も伝わってきて、無限にも思えるような時間だった。


 少しして、茉莉まつりちゃんと彼方かなたさんは踊り場にまで転落した。


 彼方かなたさんが頭を守ってくれたこともあって、茉莉まつりちゃんは意識を失わずに済んでいた。全身が痛いが、今はそんなことは気にしていられない。


「ご、ごめんなさい……!」茉莉まつりちゃんは床に倒れる彼方かなたさんに向かって、「か、彼方かなたさん……大丈夫……?」

「……っ……」彼方かなたさんは苦しそうに目を開けて、「……大丈夫――」


 言葉の途中で、


「どうした!」結鶴ゆづるくんの慌てた声が聞こえてきた。「茉莉まつりちゃん……! 大丈夫か……!」


 大勢の足音が聞こえてきた。どうやら騒ぎを聞きつけて、クラスの仲間達が駆けつけてくれたらしい。


茉莉まつりちゃん……!」結鶴ゆづるくんが私の顔を覗き込んで、「ケガは……」

「だ、大丈夫……」命に関わるようなケガはない。「彼方かなたさんが……」


 彼方かなたさんが助けてくれたから、と言おうとしたのだが……途中で脇腹が傷んで言葉が途切れてしまった。


 結果として、


「突き落とされたのか……!」


 ……


 ……


 なんか変な方向に話が進んでしまった。

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その花はまだ枯れていないと思った 嬉野K @orange-peel

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