第4話 天使様

 人間と友達になるのは比較的に簡単だ。『友達になりましょう』と言えば、大抵の相手は照れながら『はい』と答えてくれる。


 その後さらに仲良くなれるかは相性次第になるが、とにかく友達だと名乗ることは難しくない。


 でも中には……その取っ掛かりすらつかめない人物がいるのだ。会話はしてくれるのだけれど、一定の距離感を置かれることがある。


 そんな相手が彼方かなた此方こなた、という人物だ。


 茉莉まつりちゃんは軽く愚痴をいう。


「何度も友達になろうって話しかけてるんだけど……何度も断られちゃうんだよね。なんでだろう」

「そういう人もいるんだよ茉莉まつりちゃん」龍太郎りゅうたろうくんが答える。「別に友達を作ることだけが幸せじゃない。1人で過ごしたい。そう思う人もいるってこと。無理強いは良くないと思うよ」

「それはそうかもしれないけれど……」


 茉莉まつりちゃんだって1人でぬいぐるみを作っているときは幸せだったりする。とはいえ茉莉まつりちゃんは人が恋しいタイプなので、すぐに人に会いたくなるけれど。


 茉莉まつりちゃんは続ける。


「でも私は彼方かなたさんと友達になりたいの」


 茉莉まつりちゃんが言うと、結鶴ゆづるくんが怪訝そうに、


「なんで茉莉まつりちゃんは彼方かなたにばっかりこだわるんだよ。他にも友達じゃない生徒もいるだろ?」

「それは……」


 ハッキリ言って、茉莉まつりちゃんは彼方かなた此方こなたという人物に憧れている。


 彼女に憧れるきっかけは数か月前にある。


 茉莉まつりちゃんがこの学校に来る、少し前のお話。



 ☆



 春にしては暑い日だった。まさか夏でもないのにこんなにも暑い日が来るとは想像もしていなかった。


 日差しも強かった。雲一つない晴天だった。風もなくて、ただただ茉莉まつりちゃんの体温は上がっていった。


 新しい学校の周辺の地理を確認するために散歩に出たのはいいが、茉莉まつりちゃんは道中で気分が悪くなってきたのだ。


 今にして思えば明らかに熱中症だった。まだ春で暑さに警戒していなかった茉莉まつりちゃんは、熱というものに慣れていなかったのである。


 なんとか家に帰ろうと歩を進めるが、体が異様に重い。降り注ぐ太陽の光が恨めしい。春からこの調子では夏場が思いやられる。


 これはダメだ。まずは近くのコンビニにでも入って体力を回復させなければならない。


 そう思ったときには遅かった。


「……あれ……?」


 気がつけば茉莉まつりちゃんは地面に倒れていた。意識が急速に遠ざかっていって、視界が白くなっていく。


 助けて。死にたくない。新しい学校での青春が私を待っているのだ。こんなところで死んでいられない。


 想いとは裏腹に、茉莉まつりちゃんの体は全く動かない。助けを求めようにも声が出ない。そもそも周囲の人々は倒れている茉莉まつりちゃんを見ても、怪訝そうに素通りしていくだけだ。


 自分だってそうする、と茉莉まつりちゃんは思った。倒れている人を助け起こして救急車を呼ぶ、なんて自分ならやりたくない。面倒事になんて巻き込まれたくないから逃げる。


 このまま助けがなければ自分は死ぬのかもしれない。ああ……思えばずいぶんと長く生きたものだ。もっと早く死ぬと自分では思っていた。


 これで人生も終わりか……茉莉まつりちゃんがそう思って諦めかけたときだった。


「――」


 遠くから声が聞こえた気がした。いや、それは意識が遠ざかっている茉莉まつりちゃんがそう思っただけで、実際はすぐ近くから声がしていた。


 目を開けると、眼の前に天使がいた……と茉莉まつりちゃんは思った。黒髪ロングの美少女が、倒れている茉莉まつりちゃんに声をかけていたのだ。


 返事をしようとするが、声が出ない。


 茉莉まつりちゃんが虚ろな表情を向け続けると、その人物は茉莉まつりちゃんの体を抱き上げた。


 そのあたりで茉莉まつりちゃんの意識は途切れていた。


 

 ☆



「それで……その人が近くのコンビニに連れて行ってくれて、救急車を呼んでくれたみたい」それが数ヶ月前の思い出。「もう少し救急車を呼ぶのが遅かったら死んでたかもってお医者さんに言われたから……その人は命の恩人なんだ」


 龍太郎りゅうたろうくんが答える。


「それが彼方かなたさん?」

「おそらく……」

「ずいぶん曖昧だね」

「……本人には確認してないから……病院でも名乗らなかったらしいし」だから確証はないのだ。「でも……彼方かなたさんだと思う。このクラスで始めて顔を見たとき、見覚えがあったから」


 自分のことを助けてくれた天使様だ。忘れるわけがない。


「ふーん……」結鶴ゆづるくんが皮肉げに、「別人だろ。あいつが人助けとかするタイプか? そんな優しいやつじゃないって」

「そんなことないよ」ついムキになってしまった。「困ってる人は見過ごせないタイプだと思う」

「じゃあなんで茉莉まつりちゃんと友達にならないんだよ。茉莉まつりちゃんはそれで困ってるんだろ?」


 ぐうの音も出ない反論だった。たしかに彼方かなた此方こなたが困っている人を見過ごせないタイプなら、茉莉まつりちゃんと友達になってくれているだろう。


 ……


 彼方かなた此方こなた。相変わらず謎の人物だ。評判が良かったり悪かったり……まったくもって読みきれない人物である。


 とにかく……茉莉まつりちゃんにとって彼女が命の恩人であることに変わりはないのだけれど。

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