第4話 破壊神、学院に入学する――そのさん

 骨の騎士を前にしたリオンは平然とその眼前へと歩み寄りそのしゃれこうべを見上げた。


「骨か、ネルフェティアのガラクタだな」


 ネルフェティアとは冥界を司る神の一人である。滅多に人前に姿を現さず死者の前にのみ現れるといわれる女神であり死神だ。

 下界に生きる人々の神話にも度々登場する女神の名がリオンの口から出たことにルイーナは驚いた。事実、死を象った『ゴシック』がネルフェティアを由来とする可能性を秘めていることはこれまでの研究で分かり始めていた。その事情を知らぬはずの男児が一目でその名を口にしたことを単なる偶然や神話に紐付けた当てずっぽうであると言いきるのは難しい。


 しかし今は目の前に差し迫った危機がある。


「馬鹿っ、逃げなさい!」


 突如として現れた非日常の衝撃と、それを前に怯まぬクソガキの突飛な行動にルイーナは一瞬だけ呆けてしまっていた。しかし我に返るとほとんど同時に、リオンに向かって走りながらそう叫んでいた。


「逃げる? 何をバカな。神がゴミを前に逃げる訳なかろふぎゃっ」


 その言葉に振り返ったリオンの背後――つまり先ほどまで彼と対面していた骸骨の騎士が骨の剣を振り抜いた。

 切れ味の鈍い剣が見事に腹部へと吸い込まれ、リオンは短いうめき声を上げて数々の実験器具が収納された棚まで吹き飛んだ。


「リオン君っ!」


 がしゃり、がしゃり。

 軋むような音を立て、いびつな関節から悲鳴を上げつつ騎士はゆっくりとした動作でリオンの吹き飛んだ方向へと歩みを進める。妖しく光る青白い眼窩の奥には生者を同胞へと迎え入れんとする仄暗い欲望が見えた。ネルフェティアを由来とする『ゴシック』には珍しくない殺意だった。


 冷たい殺意を眼前に、ルイーナの奥歯が激しく振動した。『ゴシック』の研究者としていくら優秀であれど彼女はまだ十八の少女だ、それに専門は解析の分野である。フィールドワーカーのベテラン調査員ほど、危険性の高い『ゴシック』に慣れている訳ではない。

 滲むように恐怖が心に浸透していくのをルイーナは自覚した。


 死神はこちらを見ていない。視線はリオンが吹き飛んだその地点に向けられていた。

 ……今すぐ逃げ出せばほぼ確実に自分は助かる。それに、仮にあの骨の騎士に立ち向かったところで勝てる保証はこれっぽっちもない。ひとまず逃げて応援を呼ぶのが賢い判断だ。

 理性が耳元でそう囁く。恐怖に冒された本能もそれを後押しする。後は決断するだけだ。


「……だ、だ、駄目ですっ!」


 だが、彼女は幼い子どもが命の危機に晒されている状況で非情になりきれるほど成熟してはいなかった。


 何をどうしようなどと思っての行動ではなく咄嗟の叫びだった。


 緩慢な動作で歩みを進めていた骸骨は動きを止め、これまた緩慢な仕草で振り返る。零度の炎のような視線がルイーナを貫いた。

 彼女の心を一瞬後悔が満たしかけたが、半ば自棄糞染みた決意でそれを吹き飛ばす。


「『ゴシック』の飛来の被害はそれなりに大きい、であれば人員が落下点であるここへ到達するのも時間の問題……わたしが逃げても、逃げなくても、応援が来る速度はきっと変わりません、きっと、多分……」


 ならば、より二人が助かる確率を選ぶのが賢い選択のはず。少女は先ほど会ったばかりの男児の命のために、運命の秤へと自らの命をベットした。


 ……そして。


『――――――コワセ』


 その決断に、神は応えた。


「!? なっ、何っ!?」


 ルイーナの頭の中で、奇妙な音が響いた。

 自然音ではない。そして動物の声でも人間の声でもない。楽器の音でもなく、機械の駆動音とも遠く、およそこの世に存在し得るものとは思えぬ音だ。


『コワセ』


 再度聞こえた。

 どういう訳か、その奇怪な音は意味のある言葉のように聞こえる。


『コワセ』

『コワセコワセ』

『コワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセ――』


「あれ…………えっ…………」


 一瞬の目眩、そして少しだけ痛む頭。


 パチパチと瞬きをするルイーナだったが、その視界はやけに掠れて見えた。


「……どういう、こと」


「ォ……ォォオ…………」


 ルイーナの目の前では、あの骸骨の騎士がサラサラと灰のように崩れ始めていた。


 ぞわりと右腕に悪寒が走る。見るとそこには、彼女が右腕に握っていたのはまるで生き物のように脈動するナニカ。


「ひぃっ!?」


 咄嗟に手を話すと、カランと音を立ててそれは地面へと落ちた。それは、『ゴシック』落下の際の衝撃で折れた椅子の足だった。軽い金属で出来ていて、生命の気配はまるでない。


「げ、幻覚? どういうこと?」


 まるで意味が分からなかった。急に崩れ去った骸骨も、先ほどの幻覚も、そして自分が今生きていることさえ現実感がなく、ルイーナは呆然としてしまう。


 その時、がさりと脇の方で物音がした。


「ぐっ……うぅ……」


「!? そうだ、リオン君! 大丈夫ですか!?」


 うめき声によって正気を取り戻したルイーナは、骸骨によって殴られたリオンに向かい彼を抱え起こした。


「……良かった、生きてる。心臓も動いていますし呼吸もしています。目に見える負傷はなさそうですが腹部を傷つけてしまっているかもしれませんね」


 険しい表情のまま意識を失ったリオンだったが、彼の腹部へとルイーナが手をかざし回復魔法を唱えると、安らかな寝息を立て始めた。ずいぶんとのんきなその顔に緊張の糸が切れ、がっくしと肩の力が抜けてしまう。


 リオンを抱えたまま地面にへたり込んでしばらく、『ゴシック』落下の被害報告を受けてか周囲に人が集まり騒がしくなり始めた。


「……さて、どう報告をすべきでしょう」


 ルイーナも被害者ではあるが、彼女は被害者である前にこの学院の生徒会長であり同時に『ゴシック』に関する研究者でもある。自身に起きた現象について正しく他者に説明できるか脳内でシミュレーションしてみる。


 そんな彼女の足元、リオンが握っていた機材――例のカウンターが人知れず、小さく針を動かしていた。

 小さく、小さく、微々たる数値。だが、決してゼロではない。


 ルイーナとリオンが医務室まで運ばれるのにそれからそう時間はかからなかった。

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