第34話 決断

 明治の大晦日の夜が更けると、町中は次第に静まり返り、人々は年越しの準備を終えて各々の家に戻っていきました。冷たい風が街を包み込み、夜空には月が冴え冴えと輝き、星々が明るく瞬いています。家々から漏れる灯りと、かすかに聞こえる家族の笑い声が街に暖かさを与え、厳しい冬の寒さを忘れさせるようでした。


 一方で、神社や寺院では、引き続き人々が訪れ、年の最後を静かに振り返りながら、新しい年への願いを込めていました。大きな境内の中では、年を越すための行事が進められており、境内に設けられた焚き火の周りでは人々が手を温めながら、新年への期待や不安を語り合います。


 そんな中、ある若い学生が、留学先から帰国して久しい井上のもとを訪れました。その学生は、井上が英国から持ち帰った新しい知識を学びたくて、長い間その教えを請う機会を待ちわびていたのです。彼の名前は大村新蔵(岡田将生)――長州藩出身で、井上と同じく海外の知識を深く求めている者でした。


 大村は、井上にこう尋ねました。「先生、これからの日本はどうなるのでしょうか。西洋の技術は確かに優れていますが、それが本当に我々の未来を作るものなのでしょうか?」


 井上は、彼の問いに対してしばらく考え込んでから、静かに口を開きました。「新蔵、私たちは確かに西洋の技術を学び取り、それを用いて国を守らなければならない。しかし、我々が忘れてはならないのは、自分たちの誇りと文化だ。西洋の技術をただ模倣するのではなく、それを日本の独自の精神と調和させ、さらに強い国を築き上げることが重要なのだ」


 大村は井上の言葉をじっと聞き入りました。彼の中には、尊王攘夷の考えも根強く残っていましたが、井上の言葉によって、西洋の技術を取り入れる必要性と、それを自国の力に変えていく意志の重要性を再認識しました。


 その後、二人は静かな年越しを過ごしながら、日本の未来について語り合いました。やがて、夜が明け、新しい年が始まるころには、井上と大村の心には、新たな決意と希望が宿っていました。井上は自らの道をさらに進み、国のために尽力することを誓い、大村もまた、その後の日本の変革において重要な役割を果たす人物へと成長していくこととなるのです。


そして、日本の近代化の歩みは、このような静かで情熱的な瞬間の積み重ねによって進んでいくのでした。


 明治21年(1888年)、伊藤博文は、枢密院の初代議長に就任するため、内閣総理大臣の職を辞任する。この決断は、日本の立憲体制を確立するために重要な一歩であった。


 物語は、前年の6月から夏島で開始された憲法草案の検討に焦点を当てる。伊藤は、井上毅、金子堅太郎、伊東巳代治らとともに、日本の未来を見据えた新しい憲法を策定するために精力的に働いていた。西洋の様々な法制度を参考にしつつ、日本独自の文化や歴史を反映させた憲法を作り上げるため、議論が白熱する場面が描かれる。


 憲法草案の検討を進める中、イギリス自由党議員で鉄道事業家のジャスパー・ウィルソン・ジョーンズの義理の息子であるフランシス・ピゴットを法制顧問に迎え入れる。ピゴットはイギリス法制度に精通し、その知見を基に伊藤たちに助言を与える重要な役割を担った。ピゴットの論文や解釈は、のちに伊藤が編纂した『秘書類纂』にも収められ、日本の法制に深い影響を与える。


 物語の中盤では、ピゴットの妻、マーベルが1896年に植民地看護協会を設立したことに触れ、さらに英国での活動が描かれる。伊藤はその活動を通じて、世界情勢の変化や国際的な視野を持つことの重要性を再確認する。


 物語のクライマックスは、憲法草案が完成に近づき、枢密院設立の準備が整う瞬間に向けられる。伊藤は、国の将来を託す枢密院議長という新たな使命を果たすために首相の座を降り、国政に新たな局面をもたらす決断を下す。

 

 ### 明治21年、夏島


伊藤博文は、机の上に広げられた憲法草案の書類を眺めながら、額に汗を浮かべていた。彼の隣には、井上毅(山本太郎)、金子堅太郎(立川談春)、伊東巳代治(佐戸井けん太)の三人が座り、それぞれが筆を走らせている。蝉の鳴き声が遠くで響く中、静寂の中に緊張が漂っていた。


「伊藤さん、この条項についてもう少し考え直した方がいいかもしれません。特に、天皇の統治権に関しては、もっと柔軟に解釈できるようにしないと、後々問題になる可能性があります」井上毅がそう言って、草案の一部を指さした。


 伊藤は深くうなずきながら、井上の指摘を受け止める。


「君の言う通りだ。しかし、我々の憲法は単に西洋の模倣であってはならない。日本の国体を守りつつ、国民がしっかりとこの憲法を受け入れるようにしなければならない」


 その時、扉が静かに開き、フランシス・ピゴットが部屋に入ってきた。彼は丁寧に礼をし、持ってきた書類をテーブルに置く。


「お待たせしました、皆さん。これはイギリス憲法に基づいた統治権と議会権限の整理案です。どうぞ、ご覧ください」


 ピゴットは流暢な日本語でそう言い、椅子に腰を下ろすと伊藤に目を向けた。伊藤は書類を手に取り、しばらくの間黙って読み込んでいた。その後、静かに口を開いた。


「ピゴット先生、これは非常に参考になります。しかし、我々が目指すのは日本独自の法体制です。西洋のシステムをそのまま導入するのではなく、あくまで我が国の文化や歴史に基づいた形にしたいのです」


 ピゴットは微笑みながら頷いた。「もちろんです。私もそのことを十分理解しています。しかし、ヨーロッパの法制度から得られる知識は、きっと日本の未来に役立つと信じています」


 井上もまたピゴットの意見に耳を傾けていた。「そうだな、ピゴットさん。我々も西洋の知識を参考にしつつ、日本の伝統を守り抜くことが最も重要だ。だが、そのバランスが難しい」


 金子がその話に割って入る。「伊藤さん、ここで一度、天皇の統治権と国会の権限についての条文を再確認しましょう。ピゴットさんのアドバイスを踏まえながら、日本の特徴を活かす方向でまとめたいと思います」


「そうだな」伊藤は深く息を吐きながら、ペンを手に取った。「さあ、もうひと踏ん張りだ。日本の未来は、我々のこの手にかかっている」


### 翌年、枢密院設立の時


 伊藤は内閣総理大臣としての最後の演説を控えていた。彼は遠くを見るような目で窓の外を見つめていた。枢密院議長としての新たな使命を胸に秘め、彼はこれからの日本の未来に思いを馳せていた。


「これが私の最後の仕事だ」

 伊藤は静かに呟いた。


 金子がその言葉を聞き取り、そっと肩に手を置いた。「伊藤さん、あなたがいなければ、ここまで来ることはできませんでした。これからも日本のために力を尽くしてくださることを、我々は信じています」


 伊藤は微笑み、金子の言葉に感謝しつつ、舞台に立つためにゆっくりと歩み始めた。これから始まる新たな章への覚悟を胸に、彼は日本の未来を見据えていた。


1月1日 - 日本標準時が適用される。

1月3日 - 当時世界最大の望遠鏡であるリック天文台の屈折望遠鏡で最初の観測が行われる。

1月27日 - 米国でナショナルジオグラフィック協会設立

3月9日 - 独帝ヴィルヘルム1世死去

3月11日 - 米国東海岸で大寒波(死者400名)(1888年の大ブリザード)

3月13日 - デビアス鉱山会社とキンバリー・セントラル鉱山会社が合併し、世界のダイヤモンドを支配するデビアス合同鉱山会社となる。

3月22日 - 英国でフットボールリーグ創設

4月11日 - オランダでコンセルトヘボウ開場(戦前から残るコンサートホール)

4月13日 - 東京下谷黒門町で「可否茶館」開業(日本初のコーヒー店)

4月25日 - 市制・町村制公布(1889年4月施行)

4月30日

黑田清隆が第二代内閣総理大臣に就任

枢密院設置(初代議長伊藤博文)


 ### 明治21年4月30日、黒田清隆内閣総理大臣就任


1888年4月30日。東京は春の暖かさに包まれ、街は活気に満ちていた。しかし、政界では大きな転換期が訪れ、これからの日本の行方を左右する重要な出来事が進行していた。伊藤博文が内閣総理大臣を辞任し、新たに黒田清隆が第二代内閣総理大臣に就任する日だった。


### 総理大臣官邸にて


 黒田清隆は、総理大臣官邸での就任式に臨むため、重厚な和服に身を包んでいた。官邸の庭には、美しく咲く桜が静かに揺れていたが、黒田の表情は決意に満ち、緊張の色が見えた。彼の心中には、前任者であり親しい盟友である伊藤博文から託された国政の重責がのしかかっていた。


「黒田さん、今日は新しい一歩を踏み出す日です」伊藤博文が、黒田に声をかける。


 黒田は深く頷き、「伊藤さん、あなたが築いたこの道を私が引き継ぐことができるかどうか…自信がない部分もあります。しかし、私もこの国を導くために全力を尽くす覚悟です」と返答した。


 伊藤は黒田の肩に手を置き、静かに微笑んだ。「私も初めて総理大臣になった時には不安があった。だが、最も大切なのは、常に国民のために何ができるかを考えることだ。君ならできる。私はそう信じている」


### 就任式


 式典が始まり、黒田清隆は新内閣総理大臣としての演説を行った。彼の力強い声が会場に響き渡る。


「本日、私は日本国第二代内閣総理大臣として、この国を導く責任を負うこととなりました。日本は今、大きな変革の時期にあり、立憲政治を根付かせるため、さらなる努力が求められています。前任者の伊藤博文氏が築き上げた基礎を、私は忠実に引き継ぎ、発展させていく所存です」



 

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