第23話 木戸孝允死す

 舞台は明治8年(1875年)、大阪の寒い冬の一日。伊藤博文(山崎賢人)は、大久保利通(田中圭)との会談を終え、深く考え込みながら書類を整理していた。彼の頭の中には、迫り来る大阪会議が重くのしかかっていた。木戸孝允(鈴木亮平)と大久保の間にできた溝をどうにかして埋めなければならない。だが、その道は険しく、どちらも容易には譲らないだろう。そんな中、井上馨(瀬戸康史)が静かに部屋に入ってきた。


 **井上馨**: 「博文、今、大久保さんと話してきたが、なかなかに難しい局面だな。お前はどう思う?」


 **伊藤博文**: 「木戸さんとの距離が広がりすぎている。大久保さんも、木戸さんの政治手法を好ましく思っていない。あの二人が再び手を取り合うのは至難の業だろう」


 **井上馨**: 「そうかもしれん。だが、お互いに譲り合わねば国はまとまらん。この大阪会議で何としてでも歩み寄りを見せるべきだ」


 伊藤は、眉間に深いしわを寄せながら静かにうなずいた。彼は井上と同じ思いを抱いていた。木戸孝允が維新の立役者であったことを誰もが認めていた。しかし、時の流れとともに、彼の理想主義は現実的な政策と乖離しつつあった。それでも、木戸が持つ人望や政治的手腕は依然として重要だった。


 **伊藤博文**: 「木戸さんは、大久保さんとは違う道を選んだが、まだ国のために力を尽くしている。大阪会議の席に着く以上、何らかの妥協点を見いだせるはずだ。問題は、大久保さんがどこまで譲歩できるかだ」


 **井上馨**: 「そうだな…。それに板垣退助とも協力しなければならん。彼もまた、維新の中で重要な役割を果たしてきた。彼を大阪会議に招いたのは、お前の賢明な判断だ」


 伊藤は軽く微笑んだものの、その表情には重圧がにじみ出ていた。


 **伊藤博文**: 「大久保さんと板垣さんの思想は全く異なるが、それでも板垣さんを巻き込むことで、政府内の議論がより深まるだろう。だが、それが成功するかどうかは、木戸さんと大久保さんの関係にかかっている」


 二人はしばらくの沈黙の後、火鉢に薪をくべながら、大阪会議の準備に向けた具体的な方針について議論を続けた。


 数日後、大阪会議が始まり、伊藤は会議の進行を慎重に見守っていた。木戸孝允は姿勢を正し、大久保利通と向き合っていた。議論が白熱する中、井上が木戸と大久保の間に入り、冷静に調整を続けていた。板垣退助(筧利夫)もまた、政府のあり方について積極的に意見を述べた。


 そして、会議が終わった後の夜、伊藤と井上は静かに並んで座っていた。火鉢の火がほのかに燃え、彼らの表情を照らしていた。


 **井上馨**: 「今日の会議で、木戸さんは一歩譲ったな。これで少しは関係が改善するかもしれん」


 **伊藤博文**: 「ああ、だが時間がかかる。木戸さんは今でも心に葛藤を抱えている。彼が再び政権に深く関与するかどうかは、まだわからない」


 **井上馨**: 「それでも、今日の一歩は大きい。木戸さんが生きているうちに、もう一度彼と大久保さんが手を取り合う日が来ることを祈るばかりだ」


 その祈りは叶うことはなかった。明治10年、木戸孝允は病に倒れ、政治の舞台を去ることとなる。伊藤はその知らせを受け、深くため息をついた。彼の心には、未だに果たせなかった和解への思いが残されていた。


**伊藤博文**: 「木戸さん…もう少し時があれば…。だが、国はこれからも進んでいかなければならない」


 伊藤は静かに立ち上がり、次の一歩を踏み出す決意を固めた。


 明治9年(1876年)の春、明治天皇(阿部寛)は全国巡幸の一環として、奥羽・函館への旅を決行することを決めた。この巡幸には、明治維新の立役者であり、長らく日本の改革を牽引してきた木戸孝允も随行することとなった。木戸にとってこの旅は、国を一つにまとめるための重要な役割を果たすと同時に、自身の病に苦しむ体に鞭を打ちながらも、まだ成し遂げるべき仕事が残っているという思いに駆られてのものであった。


 一行は江戸から出発し、東北の地へと向かう。道中、広大な自然が広がり、各地で人々が天皇の訪れを喜び、参道にひざまずく光景が広がった。旗を掲げ、天皇の行列を見守る民衆の目には、期待と畏敬の念が宿っていた。明治天皇の存在は、維新後の日本を象徴するものであり、民心の安定と新しい時代の希望を具現化するものだった。


**木戸孝允**は馬上に揺られながら、これまでの旅路を思い返していた。東北の地は、戊辰戦争で多くの流血を見た土地であり、かつての会津藩や仙台藩の人々は、いまだその傷跡を深く抱えていた。維新政府として、これらの地域との和解は、国を一つにまとめるために不可欠であった。だが、木戸は自らが成したことにどこか限界を感じ始めていた。


**木戸孝允**: 「国のために、いかに多くの犠牲が払われたことか…。だが、この巡幸を通じて少しでも民心を取り戻すことができれば…」


木戸の言葉は、巡幸に随行していた政府の要人たちに届いたが、その声には以前の力強さは感じられなかった。彼の体調は明らかに悪化しており、時折激しい咳に襲われる姿が周囲の目にも見て取れた。


 一方、明治天皇はこの旅を通して、国中の状況を自らの目で確認しようという強い意志を持っていた。若き天皇は、東北の山々や海を眺めながら、民の生活の苦しさや、地方の経済の停滞を感じ取っていた。彼の目には、広がる土地の中で苦労して生きる人々の姿が映し出され、そこに国家の未来をどう築くべきかという課題が浮かび上がっていた。


ある日、行列が奥羽の山間を進んでいたとき、突然天候が崩れ、激しい雨が降り出した。道はぬかるみ、一行は進むのに難儀する状況となった。木戸は体調が悪化していることもあり、少し休むことを提案されたが、彼はそれを拒んだ。


**木戸孝允**: 「この地の民も、こうした過酷な状況で日々を生きている。私一人が楽をしてはならぬ」


その言葉に誰もが頭を下げ、再び進み始めた。木戸の精神力と意志の強さは変わらず、彼は国の未来を考え続けていた。


函館に到着すると、かつての箱館戦争の舞台となった土地に足を踏み入れる。港町には異国情緒が漂い、かつての戦いの痕跡を感じさせる建物が点在していた。木戸は静かに港を見つめながら、維新によって成し遂げられた変革の大きさと、まだ残された課題を思い返していた。


その夜、木戸は宿で静かに筆を取った。彼の手は少し震えていたが、強い意志を感じさせる字が紙面に刻まれていった。


**木戸孝允の書簡**:

「我が国は、長きにわたり戦乱と変革の中にあった。しかし、いまこそ国民が一つにまとまり、新たな時代を迎える時である。天皇陛下の御巡幸は、民心を安んじ、国を一つにするための大いなる一歩である。私がこの目で見て感じた民の苦しみ、そして希望を、私はこれからも国政に反映させねばならない。」


函館での数日間が過ぎ、巡幸は終わりに近づいていた。木戸は体調が悪化しつつも、最後まで天皇のそばにあろうと努めた。その姿を見て、天皇も深い感謝の念を抱いていた。


巡幸が終わる頃、木戸は深く息を吐いた。彼の顔には疲労が色濃く漂っていたが、その目にはまだ燃えるような情熱が宿っていた。彼にとってこの旅は、ただの巡幸ではなかった。それは、かつての理想を再確認し、日本を一つにするための最後の戦いであった。


 木戸孝允はこの後、再び国政に力を尽くすことになるが、明治10年、彼の体はついに限界を迎え、亡くなってしまう。それでも、彼が巡幸の中で見た光景や、抱いた思いは、日本の未来を切り開く原動力となって残った。



 明治10年(1877年)の春、木戸孝允は静かな部屋で横たわっていた。彼の体はすでに弱り切り、呼吸も浅くなっていたが、かつての鋭い眼光はまだ消えていなかった。彼の頭には、これまで歩んできた長い道のりが次々と浮かび上がっていた。まもなく死が訪れることを感じながらも、彼の心は激しく揺れていた。


**木戸(桂)小五郎**──あの動乱の時代、彼は幕府に抗う者として、志士たちと共に活動していた。長州藩の一員として、彼は新しい時代を夢見ていた。だが、その夢は幾度となく挫折し、血を流す戦いとなった。


「尊王攘夷……あの言葉を、我々は信じていた。しかし、それは誤りではなかったのか?」


 木戸はあの日、長州藩が敗れたことを思い出していた。攘夷を掲げたが、外国の力に屈し、藩は大きな打撃を受けた。あのとき、自らの信念が揺らいだ瞬間を彼は忘れていなかった。しかし、それでも自分を奮い立たせ、新しい未来を信じて再び立ち上がった。


「坂本龍馬……お前がいなければ、私はこの道を見つけられなかったかもしれない」


 彼は龍馬との出会いを思い返していた。龍馬が夢見た薩長同盟。あの盟約がなければ、明治維新は実現しなかっただろう。木戸は自らの役割を果たし、薩摩の西郷隆盛や大久保利通と手を組み、幕府を倒すために全力を尽くした。あの時代の熱気、仲間との信頼、そして幾多の困難が、今となっては遠い記憶のように感じられた。


 彼の胸には、戊辰戦争の記憶も鮮明に残っていた。血で染まった戦場、倒れゆく兵士たちの姿。新しい時代のために、多くの命が犠牲となった。しかし、その犠牲の先に、彼らが夢見た平和と繁栄があったのだろうか。


「維新が成った……だが、その後の私は何を成し遂げたのだろうか?」


 明治政府が成立し、彼は新政府の中枢で重要な役割を担った。文明開化を推進し、国を近代化へと導くために尽力した。しかし、内心では常に葛藤があった。彼が理想とした社会は、果たして実現したのだろうか。改革を進めるたびに、失われていくものもあった。西郷との対立、そして彼が目指した武士道精神の崩壊。木戸は、かつての友人であった西郷が西南戦争を起こしたことに胸を痛めていた。


「西郷、お前もまた時代に飲まれてしまったのだな……」


 そして、巡幸の日々が思い出された。明治天皇とともに各地を巡り、民の生活を自らの目で見て回ったこと。その一つひとつが、彼にとっては国の未来を託すための重要な仕事であった。しかし、病魔に蝕まれながらも、自分が果たし得た役割に限界を感じ始めていた。


「この国は、正しい方向に進んでいるのか……私は、この体が尽きるまで、それを見届けることはできないのだろう」


 木戸は、明治政府の内外で対立が深まる中、自らが果たせなかった改革の数々を心の中で数えた。そして、彼は最後の力を振り絞り、筆を手に取った。彼の手は震えていたが、それでも自らの意思を後世に残そうとする気持ちは強かった。


**木戸孝允の最後の書簡**

「我が国は、今もなお激しい変革の只中にある。この国の未来は、我々が築いてきた礎の上に成り立っている。しかし、それは未完成であり、これからの世代が成し遂げなければならぬ大いなる責務である。私は、この命を尽くすことで、この国を少しでも良き方向へ導こうとした。しかし、それは未だ道半ばである。残された者たちよ、この国の未来を頼む」


書き終えたその瞬間、木戸は深い息をつき、目を閉じた。彼の体はすでに限界に達していたが、その心はまだ燃え続けていた。静かに命が消えていく中、彼は最後に微笑みを浮かべた。


「これで……よい。日本は……きっと、未来へ進むだろう……」


こうして、木戸孝允はその波乱に満ちた人生に幕を閉じた。しかし、彼が築いた維新の理想は、後の日本の発展に大きな影響を与え続けることとなる。木戸の思いは、時代を超えて受け継がれ、彼の足跡は歴史の中に深く刻まれていった。

 

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