第19話 改革
明治2年(1869年)、兵庫県知事となった伊藤博文(山崎賢人)は、彼の政治理念をまとめた『国是綱目』、通称「兵庫論」を朝廷に提出した。この文書は、日本の政治・社会・国際関係における新たな方向性を示すものであり、彼の進歩的な思想が色濃く反映されていた。
伊藤は、まず「君主政体」の重要性を訴え、兵馬の大権を朝廷に返上することで、国家の権力を中央に集めるべきだと主張した。これは、幕府時代の分権的な統治体制から、天皇を中心とする強固な中央集権体制へ移行することを意味していた。また、彼は「世界万国との通交」を強調し、閉鎖的な鎖国政策を完全に放棄し、国際社会との協調を重視する姿勢を示した。これにより、日本は国際的な舞台での地位を高め、列強に対抗しうる国家を目指すことができると信じていた。
さらに、伊藤は「国民に上下の別をなくし『自在自由の権』を付与」することを主張し、封建制度の名残である身分制度を廃止し、すべての国民に平等な権利を与えるべきだと訴えた。これにより、民衆が自由に活動できる社会を築き、経済や技術の発展を促進することを狙っていた。また、「世界万国の学術」の普及を目指し、海外の進んだ技術や知識を積極的に取り入れ、日本の近代化を加速させることを求めた。これは、殖産興業や教育の推進に繋がるビジョンでもあった。
**明治3年(1870年)― 工部省の発足**
伊藤は、兵庫県知事の職務を遂行しながら、国家全体の近代化に向けた役割を拡大していった。彼の提言に基づき、明治3年には工部省が発足し、彼自身が初代工部卿に任命された。工部省は、国家の産業振興や技術革新を推進するために設置された省庁であり、伊藤はこれを通じて殖産興業政策を進めた。工部省の役割は、その後、内務省へと引き継がれ、大久保利通(田中圭)のもとでさらに強化されることとなる。
伊藤が推進した殖産興業政策は、日本の産業基盤を強化し、経済的独立を図ることを目的としていた。特に、外国の技術者や専門家を積極的に招へいし、鉄道や鉱山の開発、紡績業の導入など、さまざまな産業分野での技術革新を進めた。このような取り組みにより、日本は急速に近代化し、国際競争力を高めていった。
**明治3年11月―渡米と貨幣制度の改革**
さらに、伊藤は明治3年11月から翌年5月まで、財政・幣制調査のため芳川顕正(成田凌)、福地源一郎(高橋光臣)らと共に渡米し、アメリカの中央銀行制度や貨幣制度について学んだ。アメリカ滞在中、伊藤は中央銀行の役割とその重要性を深く理解し、日本の金融システムを改革するための知識を蓄えた。
帰国後、伊藤はその経験を基に建議を行い、日本最初の貨幣法である「新貨条例」が制定される。この条例により、日本は統一された貨幣制度を整備し、経済の安定と発展を目指すことが可能となった。この貨幣制度の改革は、近代国家としての日本の経済的基盤を強化し、国際的な信用を得るための重要なステップとなった。
**伊藤とお仲の記憶**
工部卿としての重責を担い、殖産興業や貨幣制度改革に奔走する中、伊藤の心の片隅には、依然としてお仲の存在が残っていた。忙しい日々の中でも、ふとした瞬間に彼女との思い出がよみがえり、彼の心を揺さぶった。しかし、伊藤はその感情を胸に秘め、国家の発展という大義のために、自らの私情を抑え続けた。
それでも、お仲の面影が彼の人生に与えた影響は、決して消えることはなかった。
伊藤博文は、忙しさの中に埋もれる日々を過ごしていた。明治政府の要職を担い、国家の近代化という大事業に尽力しながらも、彼の心にはいつもお仲の存在があった。
ある夕暮れ時、工部省の執務室で一息つこうとしていた伊藤は、ふとお仲との思い出がよみがえった。彼女の微笑み、彼女との会話、そして別れの瞬間。それらが時折、彼の心に重くのしかかっていた。
ドアが軽くノックされた。
「失礼いたします、伊藤卿」
秘書官(目黒蓮)が静かに入ってきたが、伊藤はそれに気づかない。彼の視線は窓の外に向けられ、遠くの夕焼けを見つめていた。
「伊藤卿…?」秘書官がもう一度声をかけた。
「ん?あぁ、何だ」伊藤は少し驚いたように振り返り、秘書官に目を向けた。
「明日、貴族院での演説準備について確認したいとのことで、皆が集まっております」
伊藤は短く頷きながら、机の上に置いていた書類に目を落とした。しかし、彼の思考はまだお仲との記憶に囚われていた。
「君は…」伊藤はふと口を開いた。「愛する者との別れを経験したことがあるか?」
その突然の質問に、秘書官は戸惑いを見せたが、すぐに答えた。
「はい、少し前に…友人を亡くしました」
「そうか」伊藤は静かに言葉を続けた。「人は、別れの中で成長するものだ。しかし、忘れることができない記憶もある。いつまでも、胸の奥で残り続ける記憶がな」
秘書官はその言葉に耳を傾け、伊藤の言葉に含まれた深い感情を感じ取った。国家を背負う重責の中でも、彼は一人の人間として愛する者を失った痛みを抱えているのだ、と。
「伊藤卿、お仲様のことをお話しされているのですか?」秘書官が恐る恐る尋ねた。
伊藤は驚いた顔をして秘書官を見たが、すぐに微笑んだ。
「君も知っているのか」
「はい、うわさでは伺っておりました。お仲様は伊藤卿にとって特別な方であったと…」
「そうだ、特別だった。だが、もう戻らない」伊藤はゆっくりと深呼吸をし、再び窓の外を見つめた。「それでも、彼女の思い出がある限り、私は前に進むことができる。日本の未来のために、彼女もまた、私と共に歩んでいるのだと感じている」
「伊藤卿…」
秘書官は言葉を失い、その場に立ち尽くした。伊藤の心の中で交錯する感情は、彼の強いリーダーシップの裏にある繊細な一面を垣間見せていた。
「さぁ、仕事に戻ろう」伊藤は立ち上がり、書類を手に取った。「国家の未来を築くために、我々にはやるべきことが山ほどある」
その言葉に秘書官は力強く頷き、伊藤の後を追うように部屋を後にした。しかし、彼の胸には、伊藤の抱える人間的な一面が深く刻まれていた。
翌日の朝、伊藤博文は静かに執務室で演説の準備をしていた。窓の外から差し込む朝日が、彼の机に置かれた書類を柔らかく照らしていた。頭の中には、兵庫論の内容と、今日貴族院で伝えるべき国家の未来像が巡っていた。だが、心の奥底では、昨晩ふと思い出したお仲のことが未だに残っていた。
彼は深く息をつき、ペンを取り演説の草案に目を走らせた。貴族院での演説は、国家の未来を方向付ける重要なものであり、失敗は許されない。日本がいかにして国際社会と渡り合い、近代国家としての地位を確立するか、その道筋を示す責任が彼にはあった。
「今日が大切な日になる…」伊藤はそう心の中でつぶやき、草案に筆を走らせた。封建制度の廃止、中央集権体制の強化、そして殖産興業を進め、国家全体の近代化を図る政策――これらの大枠はすでに固まっていた。だが、彼の中で浮かんでは消えるお仲の面影が、彼を少し迷わせていた。
その時、またしてもドアが軽くノックされた。
「失礼いたします、伊藤卿。貴族院へのお迎えの時間です」
秘書官が慎重に声をかけた。昨晩のやり取りを思い出し、少し緊張した表情を見せている。
「わかった、すぐに行く」伊藤は書類をまとめ立ち上がった。その目は、すでに決意に満ちていた。
貴族院の議事堂に到着すると、すでに多くの議員たちが集まっており、伊藤の演説に期待を寄せていた。彼の登場により場内は静まり返り、全員が彼の言葉に耳を傾ける準備を整えていた。
伊藤は壇上に立ち、静かに場を見渡した。そして一呼吸置いてから、演説を始めた。
「諸君、我が国は今、歴史的な岐路に立っている。幕府時代の遺産を引き継ぎながらも、我々は新たな道を切り開かねばならない。それは、世界に通じる近代国家への道である」
彼は一つ一つの言葉を慎重に、しかし力強く紡ぎ出した。兵庫論で提唱した、君主政体の強化、そして国際社会との調和を重視する姿勢。全ての国民に平等な権利を与え、封建制度を廃止する重要性を強調しながら、日本がいかにして世界と渡り合い、列強に立ち向かう国家となるべきか、そのビジョンを明確に示した。
「国家の未来は、民衆の力によって支えられる。我々はすべての国民に自由と平等を与え、彼らが持つ可能性を最大限に引き出すべきだ。そして、その力をもって、国際社会における日本の地位を確立しなければならない」
演説は終始、緊張感の中で進んだが、伊藤の言葉には深い確信があった。彼が目指す国家の未来像は、これまでの保守的な体制を大きく変革するものであり、反対意見も多いことは分かっていた。しかし、彼の信念は揺るがなかった。
演説が終わると、場内は一瞬の静寂に包まれたが、次第に拍手が響き渡り、議員たちは伊藤の指導力とそのビジョンに賛同の意を示した。彼は少し安堵しながら、壇上を降りた。
その帰り道、秘書官がそっと伊藤に声をかけた。
「素晴らしい演説でした、伊藤卿。国家の未来がより明るく見えてきました」
「ありがとう」と伊藤は短く答えたが、その表情には少し疲れが見えていた。やはり、お仲の存在が彼の胸の奥底にずっと残っていたのだ。秘書官はその様子に気づき、静かに問いかけた。
「伊藤卿、お仲様のこと、まだお心に留めていらっしゃるのですね?」
伊藤は少し驚いたが、すぐに頷いた。「そうだ、忘れることはない。彼女との思い出がある限り、私は彼女と共に生きている。国家の未来を築くこと、それが私の使命であり、彼女に報いる唯一の方法だ」
秘書官はその言葉に深く頷いた。伊藤博文の中にある、人間的な一面と、国を背負う重責を感じ取ったからだ。
「これからも日本の未来を共に作り上げていきましょう、伊藤卿」
「そうだ、やるべきことはまだ多い。さぁ、次の仕事に取り掛かろう」
伊藤は再び力強く歩み始めた。彼の心の中でお仲の存在は消え去ることはないが、それを支えにしながら、彼は国家のために前進し続けるのだった。
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