第17話 箒
伊藤博文(山崎賢人)は、日本の初代内閣総理大臣として知られる政治家であり、外交や国の近代化に大きく貢献した人物です。しかし、彼の人生には公的な面だけでなく、私的な側面も存在していました。その一部として、彼が様々な女性と遊び、浮名を流したことも歴史の中で語られています。
博文は若い頃から豪放磊落な性格で、遊興や交友関係にも積極的な人物でした。特に芸妓や遊女との交際が多く、彼の女性関係は広範囲にわたっていたとされています。彼の人柄は人を惹きつける魅力があり、社交的でありながらもどこか飄々としていたため、多くの女性からも好意を持たれていたといいます。
例えば、伊藤博文が関係を持った女性の中で特に有名なのは、芸妓「小梅」との関係です。博文は小梅(山本舞香)と出会ったとき既に結婚していたものの、妻すみ子(森七菜)との関係がうまくいかず、1866年に離婚。その後、小梅が博文の継妻となり、彼の家庭を支えました。このように、博文は公の立場を持ちながらも、私生活では情熱的で自由奔放な一面を持っていたことがうかがえます。
また、博文は国内外を問わず様々な土地を訪れ、外交や政治活動に従事していましたが、その旅先でも女性たちとの交流を楽しんでいたとも言われています。彼の魅力的な話術や広い見識は、多くの女性を惹きつけ、その交際はしばしば噂となりました。
ただし、こうした博文の女性関係は、彼の政治的な業績や人生観と対照的であり、歴史的に見ると彼の複雑な人間性を浮き彫りにする要素の一つでもあります。彼の遊び好きな面は、同時代の多くの政治家たちと共通する部分もありますが、彼の豪放な性格が特に際立っていたとも言えるでしょう。
伊藤博文は、自身の人生において女性との交際を楽しむ一方で、日本の未来を見据えた大きなビジョンを持ち、その実現に向けて尽力しました。彼の公的な成功と私的な遊興のバランスは、彼の個性を際立たせる要素の一つであり、歴史に名を残す理由の一端ともなっているのです。
井上馨と伊藤博文は長州藩で共に若き志士として過ごし、維新後も政治や外交の場で協力し合う間柄でした。しかし、そんな長い付き合いの中で、井上は博文の放蕩ぶりや女好きな一面をよく知っていました。ある日の酒の席で、その話題がついに持ち上がることになります。
ある夜、博文と井上は、共に酒を酌み交わしていました。杯が進むにつれ、場は和やかな雰囲気に包まれていましたが、井上はどこか冗談めかした調子で博文に話しかけます。
「博文、お前もいい加減にせんか。あちこちの女に手を出して、まるで箒(ほうき)のように掃き集めておるじゃないか」と、井上は箒を手に取り、軽く振り回すようにして博文をなじりました。
博文はその言葉に驚くこともなく、にやりと笑いながら杯を傾けました。「何を言うか、馨。女というのは、ただ出会いがあればそれを楽しむだけのことよ。お前も同じではないか?」
井上は苦笑いを浮かべながら、「いやいや、俺はお前ほど器用ではない。お前はその場その場で上手く立ち回るが、俺にはそんな芸当はできんよ」と応じます。
「器用かどうかの話ではないさ。ただ、俺は生きている間に楽しいことを見つけたいだけだ。女も、酒も、その一つだよ」と博文は飄々とした態度を崩しません。
井上は少し真顔になり、箒を置いて博文に向き直ります。「だがな、博文。お前は今や日本の顔だ。女遊びにばかりうつつを抜かしていては、国の大事をおろそかにすることになるぞ」
その言葉に、博文は一瞬考え込む様子を見せましたが、すぐに笑みを取り戻しました。「わかっているさ、馨。俺だって国のことを考えていないわけではない。ただ、時には気を抜くことも必要だろう?人生は長い、楽しむところは楽しむべきさ」
井上はため息をつきつつも、友として博文の考えを理解している様子でした。「まぁ、お前のやり方でやればいい。ただ、俺は時々お前がどこまで本気で考えているのか心配になるよ」
「馨、心配するな。俺はお前や他の志士たちと共に、この国を新しい時代に導くためにここまで来た。それを忘れたことは一度もないさ」と、博文は真剣な眼差しで井上を見つめます。
このやりとりは、彼らの長年の友情と信頼関係を象徴するものでした。井上は博文の放蕩ぶりをなじりつつも、その背後にある覚悟と信念を信じていたのです。彼らは互いに違う性格を持ちながらも、日本の未来を共に背負って歩む仲間であり続けました。
1864年、長州藩と西洋列強との衝突の報せが駆け巡る中、伊藤博文は激しい動揺と共に急ぎ帰国した。日本が外圧にさらされ、開国を迫られる状況の中、伊藤は開国論を強く主張していたが、時代は攘夷の声が大きく、彼は次第に「売国奴」として命を狙われる立場に追い込まれていた。
下関にたどり着いた伊藤は、友人の妹であり妻であるすみのことを思いながらも、身を守るために動き出す。彼を匿うのは、下関で名の知れた芸者のお梅だった。彼女の眼差しには優しさと強さがあり、伊藤はその包容力に心を癒され、彼女の元へと通う日々が続いた。
ある夜、伊藤はお梅の家に身を寄せていた。彼女が静かに茶を運び入れ、伊藤のそばに座った。部屋の中は静かで、遠くで海の音が響いていた。蝋燭の柔らかな灯りが二人の影を揺らし、伊藤はふとお梅に目をやった。
「お前がいなければ、今ごろどうなっていたかわからない」と伊藤は静かに口を開いた。
お梅は微笑み、彼の手をそっと取った。「私は、ただあなたの傍にいることが幸せです」と彼女は言った。その言葉に、伊藤は自分の心が徐々にほどけていくのを感じた。
二人はしばし黙っていたが、伊藤の心の中にはすみとの関係が重くのしかかっていた。友人の妹であり、武家の娘を妻に迎えた伊藤は、その結婚に責任を感じつつも、今やお梅への思いが日増しに強くなっていた。
「お梅……」伊藤は彼女の名を呼び、そっと顔を近づけた。お梅もまた、伊藤の眼差しに答えるように顔を上げ、二人の唇は静かに触れ合った。淡い口づけから、次第に深い情熱が二人を包み込んでいった。
夜は更け、二人の身体は互いに寄り添い合い、その温もりを分かち合った。伊藤の心には、激動の時代の中で生き抜くための決意と、すみとの別れという苦渋の選択が残されていた。しかし、その瞬間、彼の心の中にはお梅という新たな存在が鮮烈に刻まれていた。
後に、お梅は伊藤の子を身ごもることになり、彼はついにすみとの別れを決断した。親が決めた妻であったすみとの婚姻を解消し、彼はお梅と結婚する道を選ぶ。そして、お梅は「伊藤梅子」と改名し、彼の新たな伴侶として歩み始めた。
伊藤は、友人の妹という武家の娘を捨て、芸者を妻にした。この選択は、伊藤自身の未来と運命を大きく変えるものとなった。激動の時代の波に翻弄されながらも、彼は新しい家庭と共に、さらに時代の荒波へと突き進んでいくのだった。
慶応4年、時代は激しく移り変わり、幕末の動乱が終わりを告げようとしていた。しかし、新たな時代の幕開けは、依然として不安定だった。そんな中、伊藤博文は外国事務総裁である東久世通禧に見出され、重要な任務を託されることになる。
神戸の港町は、外国船が出入りし、異国の空気が混じる場所となっていたが、それが争いの火種ともなっていた。神戸事件が発生し、さらに堺では攘夷派の動きが激しさを増し、外国人と衝突する堺事件が勃発。これらの事件は新政府の国際的立場を揺るがしかねない危機的状況だった。
***
「伊藤、君に任せる」
東久世通禧(弓削智久)は静かに言った。その言葉には厳しさと信頼が込められていた。伊藤は彼の前に膝をつき、静かに頭を下げた。
「恐れながら、私にお任せいただくとは……重責でございますが、全力を尽くします」
東久世はその答えに満足したように頷き、少し身を乗り出して伊藤の目を見据えた。「神戸と堺、二つの事件は新政府の威信にかかわる。外国との関係を穏便に収め、国際的な信用を確保せねばならん。攘夷派の者たちは、外国人を敵視しておるが、それではこの国の未来はない。君も理解しているだろう?」
「はい。そのためにこそ、私たちは開国を目指してきました。しかし、攘夷派の勢力が依然として根強く……」
「君の役割は、ただ解決策を見出すことではない。君自身が新政府の顔となり、外交の橋渡しをすることが求められているのだ」東久世の言葉には、彼に対する期待と信頼が込められていた。
伊藤はその言葉を重く受け止めた。彼にとって、神戸事件も堺事件も一筋縄では解決できるものではない。しかし、この機会は自分にとって大きな転機であることを感じていた。
「必ず、やり遂げてみせます」伊藤は力強く応えた。
***
神戸事件は、日本兵が酔った外国人水兵に対して発砲したことから始まった事件であった。伊藤は現地に赴き、状況を慎重に見極めながら解決策を模索した。外国側の要求は厳しかったが、伊藤は冷静に交渉を重ね、日本兵の処罰を最小限に留めることに成功した。
続く堺事件では、攘夷派の武士たちがフランス人水兵を襲撃し、多くの死傷者が出た。国際的な波紋を広げかねない状況の中、伊藤は再び奔走した。フランス側の要求は厳しく、武士たちの処罰を強く求められたが、伊藤は冷静に事態を収拾し、外国人との対立を最小限に食い止めた。
***
事件が解決し、伊藤が京都に戻った時、東久世通禧は笑みを浮かべて彼を迎えた。
「見事だ、伊藤。君はこの国のために大きな仕事を成し遂げた」
「すべて、先生のおかげです」伊藤は深々と頭を下げたが、心の中には新たな決意が芽生えていた。この経験を通じて、彼は自らが国際舞台での役割を果たすことを確信したのだ。
この二つの事件の解決は、伊藤の出世の足がかりとなり、彼はその後、次第に政府の要職へと昇進していくことになる。そして、日本の未来を見据えた外交官としての第一歩を踏み出したのだった。
明治維新が成功し、旧幕府が崩壊すると、新政府は次第に安定し始め、国の近代化へと向かっていった。時代の激動の中で、伊藤博文もまた大きな転機を迎えていた。
長州藩出身で、開国論を強く主張していた伊藤は、その語学力と柔軟な思考から、英語に堪能であったことを見込まれ、新政府内での重用が決定的となった。彼は伊藤俊輔から「伊藤博文」へと改名し、新たな名の下で国家の発展に尽力することとなる。
***
「伊藤、君の英語力を買っている者が多い。これからの日本は、外国との交渉を避けては通れない。君の力が必要だ」
木戸孝允(鈴木亮平)は静かに言った。その声には信頼と期待が込められていた。長州藩の改革派として共に活動してきた伊藤と木戸は、互いに深い信頼関係を築いていた。
「ありがとうございます。木戸先生のお力添えなくして、私もここまで来ることはできなかったでしょう」
伊藤は深々と頭を下げたが、彼の目には決意の光が宿っていた。彼は、これから自分が担う役割の重さを深く理解していた。明治という新しい時代が、日本の歴史を大きく変えようとしていた。
「まずは参与として、外国事務局判事を任されるだろう。君の役割は、単に外国人と交渉するだけではない。日本を新しい時代へ導くための礎を築くことだ。改革はまだ始まったばかりだ。私や井上馨、大隈重信と共に、進めていこうではないか」
木戸の言葉に伊藤は深く頷いた。井上馨や大隈重信(吉沢亮)とは、すでに志を同じくする仲間であり、彼らと共に改革を進めることに胸が熱くなった。
「改革を進め、日本を変える。そのためには、まず内外の信頼を勝ち得なければならない」伊藤は言った。
***
その後、伊藤は次々と新たな役職を任されていった。大蔵少輔兼民部少輔として、財政の改革を主導し、国家の経済基盤を固める役割を担った。また、初代兵庫県知事として、地方行政を整備し、新たな統治の形を模索した。
兵庫に赴任した伊藤は、地方と中央の繋がりを深めるべく、地域の発展と行政の近代化に努めた。彼の改革は大胆かつ迅速であり、次第に多くの支持を得ていった。さらに、初代工部卿として工業の発展に尽力し、宮内卿としては宮廷内の改革を進め、天皇を中心とした新たな国家体制を整備していった。
***
ある日の会議で、伊藤は大隈重信と共に今後の改革について話し合っていた。
「伊藤君、工部卿としての成果は目覚ましい。だが、これからはさらなる改革が求められる。特に外交と経済面での整備が急務だ」大隈は静かに言ったが、その目には確固たる信念が宿っていた。
「その通りです。日本がこれから世界と対等に渡り合うためには、経済の基盤をしっかりと整えなければなりません。また、外国との条約改正も視野に入れていくべきでしょう」
伊藤の言葉に大隈は頷き、さらに議論は続いた。二人は新政府の中で中心的な役割を果たしながらも、常に改革の方向性を模索し続けていた。
木戸孝允の後ろ盾もあり、伊藤博文はますます新政府内での存在感を強めていった。彼の柔軟な外交手腕と、積極的な改革姿勢は、多くの仲間たちからも信頼を得ていた。
***
時代が移り変わり、伊藤は明治政府のさまざまな要職を歴任することとなった。彼の名は、次第に国の内外で知られるようになり、日本の近代化を進める一翼を担う存在として、確固たる地位を築いていった。改革の道はまだ遠く、その果てを見通すことはできなかったが、伊藤は前へ進むべき道を確信していた。
明治という新しい時代の中で、伊藤博文はこれからさらに日本を変えるための役割を果たしていくことになる。その背後には、常に仲間たちと共に歩む信念があった。
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