第16話 維新

 翌慶応元年(1865年)に藩の実権を握った桂の要請で行った薩摩藩や外国商人との武器購入および交渉がおもな仕事となり、第二次長州征伐にも戊辰戦争にも加勢できずに暇を持て余す形になった。


 博文は新たな妻、梅子(山本舞香)を得た。

 1848年、木田久兵衛の長女として長門国(現山口県)で誕生。赤間関(下関)稲荷町の置屋「いろは楼」の養女となり、芸妓となって「小梅」を名乗る。1864年(元治元年)頃、イギリスからの帰国間もない伊藤博文と出会う。当時、博文は既に入江九一・野村靖の妹であるすみ子と結婚していたが、博文とすみ子は1866年(慶應2年)に離婚し、梅子が継妻となった。その後、同年長女貞子(1868年没)、次女生子(1868年9月19日 - 1934年1月2日)を生み、養女朝子(1876年 - 1944年)、養子博邦(幼名勇吉、井上光遠の子、1870年 - 1931年)、眞一(1890年 - 1980年)、文吉らを育て上げた。


 夫の博文が初代内閣総理大臣となったことにより、梅子もまた初の内閣総理大臣夫人となった。その様子は芥川龍之介の『花火』に記述されている。梅子は勝気で向学心に富み克己心が強く、下田歌子に和歌を学び、英語の習得にも心がけた。常々身だしなみに気を配り、婦徳の鑑と称された。


 1909年10月26日に博文が暗殺された際には、梅子は涙ひとつ見せなかったが、自室で「国のため光をそえてゆきましし 君とし思へどかなしかりけり」と詠んだとされる。その後、滄浪閣(神奈川県中郡大磯町)を出て東京の生子の嫁ぎ先の末松謙澄邸などを転々とし、1924年4月12日に死去した。


 

**1864年(元治元年)、長門国・赤間関(現山口県下関)**


その日、赤間関の街はいつもと変わらず活気に満ちていた。港に吹き込む風は潮の香りを運び、町の一角にある稲荷町の置屋「いろは楼」も、賑やかな声に包まれていた。


夕刻、まだ日が沈みきらない時間に、置屋の座敷に一人の若い男が足を踏み入れた。短髪に洋服を纏い、どこか異国の風を漂わせていたその男は、長州藩士の伊藤博文である。彼はつい最近まで英国に留学しており、西洋の文化と思想に触れ、大いなる志を抱いて帰国したばかりだった。


博文が通された座敷には、すでに数人の芸妓が待っていた。だが、その中でも一際目を引く存在がいた。「小梅」と呼ばれる若い芸妓である。彼女は幼い頃、置屋の養女となり、いろは楼で修行を積んで芸妓となったばかりだった。細やかな動きと品のある所作で、彼女は多くの客を魅了していた。


博文が座ると、小梅は静かにお辞儀をし、淡い微笑みを浮かべて隣に座った。


「初めてお会いします。小梅と申します」


その声は、静かでありながらも確かな存在感を持っていた。博文は一瞬、彼女の目を見つめた。その瞳はどこか鋭く、強い意志を感じさせた。芸妓としての立場にありながら、彼女には他の者とは違う、特別な何かがあるように思えた。


「伊藤博文です。英国から帰ってきたばかりだ」


 博文はあまり多くを語らず、ただそう言って杯を差し出した。小梅はその動きに合わせて、慎重に酒を注ぎながら微笑んだ。


「異国の風を纏っておいでですね。お帰りなさいませ」


その一言に、博文は一瞬驚きを隠せなかった。彼女が何か特別な教養を持っているとは考えていなかったが、その言葉には彼女の知性と感受性が表れていた。


「お前はただの芸妓ではないな」


 博文の問いかけに、小梅は穏やかに微笑んで応えた。


「ただの芸妓でございますよ。ただ…私もまた、もっと広い世界を見てみたいと常々思っております」


 その言葉に、博文はますます興味を持った。彼女の美しさだけではない。何か、彼の胸を揺さぶるものがあった。それは、自身が抱く「新しい日本を創る」という大志と、彼女の内に秘めた願望が共鳴しているかのようだった。


「君はこの赤間関の外の世界を知りたいと思っているのか?」


博文は真剣な眼差しで尋ねた。小梅は少しの沈黙の後、はっきりとした口調で答えた。


「はい。私はこの狭い場所だけではなく、もっと広い世界を見てみたい。自分の力で、何かを成し遂げたいのです」


 その瞬間、二人の間に言葉では表せない理解が生まれた。彼女の強い意志と、博文の志が交わり、互いに引き寄せられる感覚があった。


「なるほど。君のような者が、これからの日本には必要だ。私も、今の時代を変えるために戦っている。もし私の側で、その力を発揮してくれるなら、君も新しい時代の一員として迎えよう」


博文の言葉は、まるで運命の宣言のようだった。小梅はその言葉を深く受け止め、静かにうなずいた。


こうして、二人の出会いは運命的なものとなった。博文はすみ子との結婚生活がうまくいっていない中で、小梅との新たな絆を築いていく。そして、彼女はやがて「梅子」として彼の伴侶となり、日本初の内閣総理大臣夫人として歴史に名を刻むことになるのだった。


---


この出会いは、二人の未来を変える大きな転機となり、幕末の動乱を越えて日本の未来を共に切り開いていく物語の始まりであった。

 

 1867年11月15日、夜が深まるにつれ、京の空は冷たい霧に包まれていました。その日、伊藤博文は政治の雑務に追われ、同士たちとの会談を終えて宿に戻ったばかりでした。激動の時代の中、志士たちの情熱が燃え上がり、新たな時代が訪れようとしているのを肌で感じていました。


その静けさを破るかのように、突然一人の使者が駆け込んできました。顔色を失ったその男は息を切らしながら、伊藤に告げました。


「坂本龍馬が…暗殺されました!」


その言葉が響いた瞬間、伊藤の頭の中は真っ白になりました。幕末の激動期に共に未来を語り合った盟友、坂本龍馬の死。彼は日本の未来を切り拓くために奔走していた、まさに志士の象徴でもありました。伊藤は信じられない思いで、使者の言葉を何度も反芻しましたが、現実は変わりません。


龍馬とは数々の夢を語り合った日々が頭を過りました。新しい時代を切り開くため、共に幕府の倒壊を目指し、攘夷から開国へと日本の舵を切るために力を尽くしてきた仲間。その存在が、突然、無情にも奪われたのです。


 伊藤はしばし黙り込み、胸の奥にこみ上げる怒りと悲しみに言葉を失いました。倒れた龍馬を思い、彼の不屈の意志を感じると同時に、その志を引き継がなければならないという強い決意が彼の中に生まれました。


 龍馬は、自らの命を懸けて時代を動かそうとした。その犠牲を無駄にしてはならない。伊藤は握りしめた拳に力を込め、目を閉じました。龍馬の死によって日本の行く末が暗転することは許されない。彼の志を、今度は自分が背負って新たな時代を築かねばならない。


 伊藤博文は、その日を境にさらに強い覚悟で立ち上がり、坂本龍馬の遺志を胸に刻み、明治維新の実現に向けて全力を尽くすことを誓ったのです。

 

慶応4年(明治元年、1868年)に外国事務総裁東久世通禧に見出され、神戸事件と堺事件の解決に奔走。これが出世の足がかりとなった。


 伊藤博文と勝海舟が再会する場面を、幕末から明治に移り変わる日本の激動を背景に描きます。


 **明治維新から数年後、東京・芝公園の一角**


 夕暮れが訪れ、芝公園の庭に柔らかな光が差し込む中、伊藤博文は深い思いを抱えながら歩いていた。日本は長州藩や薩摩藩の勝利で、幕府が倒れ、明治政府が樹立された。だが、改革の道はまだ遠く、課題が山積みだった。彼の胸の内には、外交や内政の様々な問題が渦巻いていた。


 ふと目を上げると、一人の男がその先に立っていた。白髪交じりの長い髪と、どこか堂々とした風格を持つその人物に、伊藤は見覚えがあった。


「勝先生…」


 勝海舟(内野聖陽)である。かつて、幕府の名将としてその名を轟かせた男。伊藤は敬意と複雑な思いを抱きながら、一歩一歩近づいていった。


「伊藤か、久しぶりだな。立派になったじゃないか」


 勝は微笑みを浮かべ、軽く手を挙げた。その目は柔らかくも鋭く、まるで日本の未来を見透かしているかのようだった。


「先生、今の日本、どうご覧になりますか?」


 伊藤の言葉には、かつての敵としての感情ではなく、一人の同胞としての問いかけが込められていた。勝もその意図を感じ取り、ゆっくりと深い息を吐いた。


「まあ、時代が変わったな。幕府は倒れ、今やお前たちが新しい国を創っている。だがな、それだけじゃ駄目だ」


 勝の言葉は静かであったが、その重みは伊藤の胸に響いた。


「分かっています。国内の改革は進めていますが、世界との関わりが、まだまだ弱い。日本が世界に通じる国になるためには、我々はもっと学ばなければならない。攘夷の時代は終わったのです」


 伊藤の目は、すでに国内の問題を超え、遠くヨーロッパやアメリカを見据えていた。彼は何度も海を越え、国際社会で日本をどう位置づけるかを模索していた。そして、その答えを求める中で、勝に再び会えたことに運命を感じていた。


「お前も分かってきたな、伊藤。俺たちがあの時、戦わずに江戸を開いたのも、未来を見据えてのことだ。戦で国を潰すのは簡単だが、再建するのは容易じゃない。お前たちには、それを成し遂げる力がある」


 勝はかつての「江戸無血開城」を振り返りながら、伊藤の目を見据えた。


「先生、私はこれから再び外国との交渉に赴きます。今度は、ただの使節ではなく、日本の代表として、真の対等な関係を築くために」


 伊藤の決意は固かった。かつての攘夷思想に固執せず、開国し、世界に認められる国家としての地位を築く。そのための外交が必要だと、彼は深く理解していた。


 勝はそれを聞いて、静かに頷いた。


「お前ならやれるさ。日本を、ただの小国に終わらせるわけにはいかない。だが、忘れるなよ。国を守るのは、武力だけじゃない。時に、言葉と知恵が戦を超える力を持つ」


「先生…」


「俺も老い先は長くないが、日本が世界で立つ姿を、この目で見てみたいもんだな」


勝はそう言うと、空を見上げた。夕焼けに染まる空の向こうには、広がる海と、未知の世界が待っているように感じられた。


二人はしばらくの間、何も言わずその場に立っていたが、共に抱く未来への希望と重責が、言葉を超えて通じ合っていた。


「伊藤、これからもお前のやり方で進め。だが、時には俺のような古い人間の意見も思い出してくれ」


勝は最後に軽く肩を叩き、背を向けた。伊藤はその背中を見送りながら、改めて自分が背負うべき日本の未来を見据えた。彼には、勝海舟の教えがこれからの道を照らす灯となることを確信していた。


---


伊藤博文と勝海舟の再会は、単なる師弟や敵同士の再会ではなく、新たな時代の中で、日本の未来を担う二人の志士が互いにその責任を認識し、次なるステップを模索する象徴的な出来事だった。この再会を通じて、伊藤はさらに国際社会へと歩を進め、近代日本を築くための大きな一歩を踏み出していくことになる。


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